真善美の実践を具体的に考えてみたら、続きそうになかった話。~社長のnoteを読んで~
社長が先日、こんなnoteを書いていました。
その中で、社長なりの真善美への理解が以下のように書かれていました。
全ての事柄に対して、「自分のこの行為は人間として正しいのか?」という自分に対する問いかけに対する解が、「真」
人との関係の中で、「相手にとってこれは良い事なのか?コミュニティ全体にとって良い事なのか?」というのが「善」
自然な状態でバランスしている状態(宇宙のルールに従って存在している状態)が「美」(1/fゆらぎなど、自然は自然のままで美しい。人の打算やエゴでバランスは崩れる)。人間本来(自然な状態)は、真と善だから、真と善で満ちている場は美しい。
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具体的には、どのようなものが考えられるのでしょうか?
真善美のうち、1つが欠けている具体的な事例を挙げてみました。
真がない場合
真とは何か。再掲するとこんな感じですね。
全ての事柄に対して、「自分のこの行為は人間として正しいのか?」という自分に対する問いかけに対する解が、「真」
人間として正しくないけど、相手やコミュニティにとっては良くて、宇宙のルールに従っていること、、、、
ばれない浮気ではないでしょうか?笑
相手にとっては満更でもないですし、コミュニティにとってはバレなければ不穏になることもない。本来の生物的な力学に従うと、雄は不倫してナンボです。しかし、日本人がつくりあげた、一夫一妻制や、大切な一人のパートナーを裏切る時に感じる後ろめたさのような感情を考えると、うーん、、、となってきます。
善がない場合
善とはなんでしたっけ。
人との関係の中で、「相手にとってこれは良い事なのか?コミュニティ全体にとって良い事なのか?」というのが「善」
人間として正しいし、宇宙のルールに従っているけど、相手やコミュニティにとっては悪いこと、、、
過剰なエコ活動を挙げてみました。
昔、やたらめったらに目についた電気を消しまくるような人がいました。彼は、「地球のため」と立派な行為をしている自覚を持っていましたし、実際にCO2を削減し、現在の地球の生態系のバランスを保つことにつながっている気がします。しかし、周りの人がみんな迷惑をしていましたね。
美がない場合
最後に美です。
自然な状態でバランスしている状態(宇宙のルールに従って存在している状態)が「美」(1/fゆらぎなど、自然は自然のままで美しい。人の打算やエゴでバランスは崩れる)。人間本来(自然な状態)は、真と善だから、真と善で満ちている場は美しい。
人間として正しいし、相手やコミュニティにとっては良いけど、宇宙のルールには従っていないこと、、、
環境問題が問題になっていない時の過剰な経済活動とかどうでしょうか。
例えば、水俣病が問題になっていた頃の映像をみると、公のために資すること=経済の活性化 が大切だという考え方が常識だったことがわかります。会社や熊本県はチッソの恩恵をうけていましたが、環境汚染をもたらしました。結果的に、一部のたくさんの人に後遺症が残ることになりましたね。
真善美の同時の担保はまだ難しい。。
このように具体的に考えてみると、真善美を同時に担保できる行いが案外多くはないことに気が付きます。常に、早いスピードで真善美を行いながら生きるのは大変な気も。。。
そこで、考えたのは、真善美を時間軸をズラしながら担保していくことです。
今は「真と善」を、次は「善と美」を、その次は「美と真」を、、、
等と、真善美をバランスを良く積み重ねていき、最終的に真善美の総量を増やしていくイメージです。
これは、物事を早く進めたい時や、僕のようにイタズラやアングラ系の「少しダメそうなこと」に関わっていないとダメなタイプにはオススメできると思います。笑
モラルライセンシング効果*1みたいなものが働いているのでしょうかね。。。
ともかく、自分の現在の特性を見極めて、持続可能な真善美の追求ができるための工夫を模索していきたいなぁと思わされました。おわり。
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*1 モラルライセンシングとは。
簡単に言えば、
少し良いことをすると、今度は自分の好きなように行動してもいいだろうと思う心の傾向
と言えると思います。
例えば、心理学者のブノワ・モナンとデイル・ミラーによる実験の一部。
1つ目の実験
学生をAグループBグループに分け、ある2つの意見に対して
賛成、やや賛成、やや反対、反対
の4つの内どれかで判断を下してもらいました。
Aグループには
①「ほとんどの女性は本当に頭が良いとは言えない」
②「ほとんどの女性は外で仕事をするよりも家で子供の世話をする方が向いている」
Bグループには
①「なかには本当に頭が良いとは言えない女性もいる」
②「なかには外で仕事をするよりも家で子供の世話をするほうが向いている女性もいる」
という意見を提示して、その反応を調べました。
この結果、Aグループの学生たちはとんでもない性差別的意見だと反対の判断を下し、一方、Bグループの学生たちは、やや賛成という中立的な態度を示しました。
2つ目の実験
この実験の後、学生たちは就職面接という設定で意思決定をする実験に参加します。
与えられた課題は、男女数名の候補者の適正を判断することで、職種は建設や金融など典型的な男性中心の業界の上級職という設定です。当初、二人の心理学者は、Aグループの性差別的な意見に反対した学生たちは当然、能力ある女性候補者を差別したりはしないはずだと考えていました。
しかし、二人の研究者は、正反対の結果を見ることになりました。
あからさまな性差別的な意見に強く反対したAグループの学生たちのほうが、やや性差別的なニュアンスが和らいだ「なかには~もいる」という意見にしぶしぶ賛成したBグループの学生たちよりも、その職種には男性のほうが適していると判断したのです。
また、この実験とは別に、研究者たちが人種差別的な態度について学生らに質問を行った後に、人種的マイノリティへの差別的意識が表れる実験を行った時も、同じような現象が起きました。
あからさまな性差別的な意見や人種差別的な意見に反対した学生たちは自分の優れた道徳観をアピールできたように感じていました。自分は性差別主義者でも人種差別主義者でもないことを堂々と証明したあげく、心理学者のいう「モラルライセンシング」、つまり、いいことをした後に自分に甘くなってしまう現象に陥りやすくなっていたのです。
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