そこにハセノボがいた。
そこにハセノボがいた。
自分で読み返しても、よくもそんな言葉が出るものだと少し恥ずかしい気持ちになった。
けれど、これ以上のパワーワードもなかなか出ない。
それくらい天皇杯での秋田、長谷川暢は圧巻だった。
いや、それ以上に「懐かしさを感じた」という方が正しい。そして、それがとても嬉しかった。
今回は戦術でもなんでもないが、そんなことを少し綴っていきたい。
ハセノボがゲームを支配していたころ
日本バスケ最大の祭典といえば、ウィンターカップだ。
ファイナルには1万人もの観客が詰め寄り、高校生のラストマッチをその目に焼き付ける。
様々なところで話しているが、個人的に2014年のウィンターカップが自分史上最も印象深いウィンターカップだ。
ファイナルは2年生チームで八村(ワシントン・ウィザーズ)や納見(新潟アルビレックスBB)を要した明成高校と津山(三遠ネオフェニックス)を中心とした福岡大附属大濠高校。
当時、津山は圧倒的な力を誇っていた。他にも藤枝明誠の角野(シーホース三河)、東海第四の内田旦人、土浦日大の本村亮輔など屈指のスコアラーが名を連ねた。
彼らを蹴散らし、チャンピオンになったのが八村塁の明成な訳だが、その世代屈指のスコアラーの中に能代工業キャプテンの長谷川暢もいた。
全中を制し、鳴り物入りで能代工業へ。当時の能代は低迷期…圧倒的な存在感はどこか影を潜めていた中で、長谷川暢は7年ぶりに能代工業をウィンターカップのセンターコートに導いた。
能代工業の絶対的存在
能代工業の絶対的存在
まさにそんな雰囲気を持った選手。私はバスケットボールに選ばれた選手はいると思っている。八村はもちろん、津山、角野、内田、本村そして長谷川暢は間違いなくバスケットボールに選ばれた選手だと言える。
そんな能代工業はセンターコートで行われる準々決勝で津山の福岡大附属大濠と対戦。私はそれを会場で見ていた。彼らのやり合いをそこにいた全ての観衆が目を凝らして見つめ、彼らが見せるプレーに割れんばかりの歓声が上がった。
当時、福岡大大濠の1年生としてベンチに座っていた鍵冨太雅(ボウディンカレッジ)も「津山さんを止める人がいるなんて思わなかった」と当時の長谷川暢の印象を語っていた。
それくらいハセノボはゲームを支配していた。残念ながら、能代工業はそこで姿を消すのだが、そのゲームも最もインパクトを残したのはハセノボだったと私は思っている。
いつもメンバーに支えられていたから。
ハセノボは絶対的な存在だった。
そんなことを言うたびに、本人がいつもいう言葉がある。
「自分が好き勝手できたのは、いつもメンバーに支えられていたから。特にもう1人のガードはいつも素晴らしい選手で自分より優れていると思う。」
全中を制した大石中でも久岡幸太郎(アースフレンズ東京Z)がいたから、自分が好きにプレーできたとよく言う。と同時に、仲間に恵まれることも立派な才能だと私は思う。
そして、そうやって仲間に感謝できるからこそ、彼はそんな仲間に恵まれるのだと…
進学した早稲田大学でも燻った1、2年生(詳しくはダブドリvol.11をお読みください)、何かが変わった3年生、そして4年次には、やはりハセノボがそこにいた。
時に無謀にも見えるアタックから、ミラクルとも言えるショットをねじ込み、そこしかない!と言わんばかりのアシストをする。
激しいプレッシャーからボールを奪い、最短距離でゴールにアタックする。アタックしたと思えば、次はノールックパスで後ろから走ってくる仲間にアシストをする。
そんなハセノボが僕は好きだった。
そこにハセノボがいた
この天皇杯の3日間、秋田は磐石な試合運びだったと感じる。若手を起用しつつ、勝負は勝ち切った。そんなHCの思惑も透けて見えたが、何よりその起用に若手が答えたこと。そして、間違いなくこの天皇杯で長谷川暢からリミッターが外れる音が聞こえた。
そのリミッターは彼自身が自分のエゴをセーブするスイッチだったのかもしれない。
そんな気がした。
チームのために、秋田のために…
彼は激しいディフェンスで責任を果たし続けた。
個人としては、ほろ苦い19-20シーズン序盤から、何かが弾けた11月の京都戦
躍進を果たした20-21シーズンも、自身のプレーに一定の手応えを感じつつも、チームはチャンピオンシップには届かなかった。
ただ、間違いなくチームは進化したと同時に長谷川暢も成長した。
しかし、まだクラブが描く景色には届きそうもないのが正直なところだ。
そして、そのために必要なものが「エゴ」なのかもしれない。
様々な経験をし、責任を全うしてきた長谷川暢はそのエゴを表現する権利を得たのかもしれない。私はそんなことを思った。
チームをさらなる高みへ導くために…
あの日、全ての観客を魅了したハセノボが見せていた
「俺にボールをくれ!」を言わんばかりのエゴ
観衆を巻き込み、会場の空気を一変させる存在感
間違いなく彼は、バスケットボールに選ばれた存在だからこそ、そんな姿をもう一度みたいと思わせてくれた、思い出させてくれた3日間だった。
そこにハセノボがいた。
そんな秋田を僕はみてみたい。
そして、欲を言えば…
日本を背負う長谷川暢を僕はもう一度みたい。
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