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宮永雄太HCの書籍を読みながら、思いだす宮永雄太の名言
休みだったので、久々にnoteを開いた。
普段はこっちで色々やっているので、よかったらフォローをお願いします。
本日、Bプレミアの審査結果が出た。
その中に佐賀バルーナーズがいたことは、
正直もっと多くの方が驚くべきだと感じている。
少し前まで、「潰れるんじゃないか」と思われていたクラブ。
それをたった数年でクラブを地域に根付かせ、B1に昇格させ、そしてBプレミアの審査に通った。
26-27シーズンから始まる新シーズンは、トップリーグで戦うことになる。
近年の佐賀がどんな歩みをしてきたのか。
それはこの本を読んでほしい。
この本ができる前に、宮永ヘッドコーチからご連絡をいただいた。
「私事で恐縮です。本を出すことになりました」
すぐにこう返事をしました。
「買います!」
本当なら、僕が佐賀で何かを作りたかった。
宮永体制になってから、自分が一番濃度の高い取材をしているという
自負もあった。
宮永さんからも
「佐賀特集をお願いします!」
と何度も言われて、
何度か広報さんに提案したことがある。
その度に
「やりましょう!」
と言ってもらえる提案をできなかった自分の不甲斐なさと力不足を感じたりした。
そして、宮永さんが本を出す。
嬉しさ半分、悔しさ半分
でも、読みたい。
ということで、発売後
すぐに書店に向かった。
僕と宮永雄太
宮永さんとは越谷アルファーズの青野さんのおかげで出会うことができた。
青野さんにはいろんな経験をさせていただき、いろんな方を繋いでもらい感謝しかない。
この時は宮永さんが佐賀バルーナーズのGM兼HCに就任したシーズン。
レバンガ北海道で2年目のシーズンを迎えるものだと思っていた。
もっと言えば、僕と宮永さんは同じ北海道出身。
同級生の兄が宮永さんと同い年で対戦していたこともあり、
様々な伝説を聞いていた。
そして最近知ったことだが、僕の中学の恩師は宮永さんが札幌選抜の時のコーチだったらしい。(要するに西川選手の恩師でもある)
札幌に残る宮永雄太伝説の数々
さらに言うと、僕は小学校4年生でバスケを始めた。
小学校5年生の時だったと記憶している。
仲間たちとある大会を見にいき、1人の高校生に目を奪われた。
「……かっこいい」
それが宮永雄太だった。
僕が初めて憧れたバスケ選手は宮永雄太。
そんな人と、いま仕事を共にさせていただいている。
タイムマシンができたら、ぜひとも小学校5年生の僕に伝えたい。
そして、
「君もバスケを諦めずにいっぱい練習して、東海第四(現東海大札幌)に行くんだ」
と伝えたい。笑
宮永雄太の名言
そこからは
「この人の力になりたい!」
と思い、B2時代の佐賀バルーナーズを追いかけた。
今回出された宮永さんの著書は、これまでの経験を辿りながら、
どのようにその困難と向き合い、乗り越えてきたのかが書かれている。
そして、それらは間違いなく読者の人生の助けになる言葉たちだ。
宮永さんと共に時間を過ごさせてもらい、実は僕の中にも
「宮永雄太という一冊の本がある」(寺嶋良選手のコラムのパクリ。ちなみに宮永さんと朝山さんは仲良しの同級生)
今回は書籍を読んだ上で、僕の中で響いた宮永雄太の言葉を紹介したい。
ぜひ、これに合わせて書籍を読んでほしい。
ー最初に言われた言葉ー
「ぜひとも佐賀バルーナーズをよろしくお願いいたします」
憧れの宮永さんにそんなことを言われちゃったら、そりゃ、追いかけますよ!
僕は一瞬で心を射抜かれた。
別に何気ない一言だが、宮永さんはいつも誠実で、真っ直ぐに言葉を伝えてくれる。
彼はそういう人なのだと、ここから言葉を重ねるごとに知っていく。
ー22-23シーズン、3月のアウェーアルティーリ千葉戦を密着させてもらったあとー
「ここは使わないでください。連敗したけど、これで選手たちも気づけたと思います。大丈夫、必ずB2を優勝します」
21-22シーズンから、当時の広報さんと話をしていた。
「ロッカールームまで密着したい」
あの取材は、当時の広報さんが残してくれた置き土産だったのかもしれない。
ダメもとでアルティーリという、昇格を争う相手との天王山を密着できないかとオファーをしたところ、宮永さんからオッケーをもらった。
動画媒体ではないダブドリが、天王山をロッカールームまで密着する
試合前のミーティング
ハーフタイムのミーティング
試合後のミーティングも
これはかなり異例なことだと思う。
しかし、いま思い返せば、これも宮永さんの考えがあっての密着だったのだと思う。
この連敗のあと、西川選手が選手ミーティングで気持ちを伝えた。
まだ角田選手はチームの顔ではない。むしろこのチームは西川選手が顔と言えた。その西川選手の言葉にピリついた空気が流れた。
改めて振り返ると、今の佐賀とはちょっと空気が違う。
そして終了後、宮永さんはさらに名言を残す。
「密着ありがとうございました。最後に完結させますので、佐賀でお待ちしています」
この連絡が来た後の僕
「……佐賀にいく!!!」
笑
ー佐賀がB1昇格を決めた後ー
そして、僕は佐賀アリーナで行われる試合に向かった。
航空券を確保し、有給をとり、何があっても万全の体制。
そして、昇格が決まる。選手、スタッフが入り乱れる。
あの佐賀アリーナでの光景は一生忘れない。
その日の会見も印象的だった。
僕は西川選手に「中学の恩師が来ていた」ことを聞いた。
西川選手が恩師である中学の先生(僕の恩師でもある)を招待していて、
試合後は先生と祝杯をあげた。
昇格後に宮永さんからこんなことを言われた。
「ありがとうございました。佐賀の力を誰よりも見抜いてくれていたのは宮本さんでした」
僕は宮永さんから信じることの大切さを学んだ。
選手たちに、「宮永バスケとは?」という質問を何度もしたが、全員が首を捻りながら、「男気?!」と答えた(笑)。
でも、一番は貫くこと、信じることだったのだと思う。
ーB2優勝を果たした後ー
そして、佐賀は長崎とのファイナルを勝ち、B2優勝をした。
その試合は現地に行くことはできなかったが、
試合後に宮永さんから連絡をもらった。
「やりました!みんな佐賀一丸で頑張りました!角田が覚醒しました!笑」
書籍にも書いているし、取材でも何度も言っていた。
角田は佐賀を背負う選手だと。そして宮永さん自身はそういう起用方法をするタイプではないが、佐賀の未来を考えれば、角田にプレータイムを与える。
そう。信じ続けた結果、角田選手がファイナルという舞台で答えたのだ。
そこからは明らかに佐賀は角田のチームになったと思う。
昨シーズンから佐賀に加入したジョシュ・ハレルソンも角田の才能は素晴らしいと言っていた。
おそらく彼は佐賀だけでなく、これからの日本を背負う選手になる。
それも、宮永さんがある意味で自分のスタイルではなく、
佐賀のために、角田選手のために彼を信じ続けた結果なのだと思う。
終わりに
思い返すと、僕もまた宮永さんの手腕にうまく転がされたのかもしれない。
いや、むしろその船に乗りたいと思ったし、思わせてくれた。
そして、あたたかく向かい入れてくれた。
最近はなかなか佐賀に行けていないが、
何かで佐賀や宮永さんの力になりたいと常に思っている。
取材を重ねる中で、田畠社長とも色々お話をさせていただき、
様々なご尽力をいただいた。
この2人だから、佐賀は初年度からBプレミアに挑むことができるんだろうなと思う。
そして、佐賀には素晴らしい場所がたくさんある。
佐賀の紀伊國屋書店さんは、ダブドリコーナーを作っていただいた
最初の書店でもある。
バルーナーズだけでなく、もっと佐賀の魅力を知りたいという気持ちもあるので、今シーズンもどこかで必ず佐賀に行きたいと思う。
誰かお仕事、もしくはサポートをいただけたら嬉しいです。笑
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