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義を見て爲ざるは勇無き也

「論語」の一節です。

白文

子曰非其鬼而祭之諂也
見義不爲無勇也

書き下し文

子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂う也
義を見て爲ざるは勇無き也(義を見てせざるは勇無きなり)

この後半だけお話しします。

「義」は儒教の教えである五常(仁義礼智信)のひとつで、「人として正しい行い」のことです。

直江兼続を描いたコミックス「義風堂々」の中でも「義とは」が語られますので、興味のある方はお読みください。

つまり

人として正しい行いだと思っているのに、それをしないのは勇気がないことだ。という意味です。

なぜそういう意味なのかを引き続き。

まずは「義」という字の成り立ちから

「義」の字は、上半分が「羊」で、下半分が「我」です。

上半分から見ていきます

「羊」は象形文字です。
羊の顔を正面から見た様子をそのまま字にしています。
ちなみに動物を表す漢字の内、象形文字は「羊」のみだそうです。

この字は左右シンメトリーであり、バランスのとれた美しい様子も表しています。

ここからさらに、大きな美しい羊を表す、「美」という字が生まれます。
「羊」と「大」の合体ですね。
つまり、「義」の上半分は「美しい様子」を表します。

次に下半分

「我」も象形文字で、右半分が「戈」という武器。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%88
武器でもありますが、古代中国で神への供物の羊を切る時にも使ったそうです。

「我」の左半分は、カタカナの「ノ」の下にギザギザを表す「手へん」のような形。
戈にさらにギザギザの鋭い刃がついた武器が「我」です。

音と漢字の結び付けは後

「我」の音読みは「ガ」。
中国語で一人称は「Wo」が「ガ」に近いということで「我」という字が一人称を表す漢字になったようです。
音が先にあり、「我」という字が一人称の意味を持つのは、後になってかららしいですね。

やっと「義」に戻ってきます

この字は上述したように、「羊(美)」と「我」から構成されています。
意味は変遷していますが、「義」は「我を美しゅうする」という意味を持ちます。

美しゅうするのは、外見ではなく内面です。
つまり人としての心の持ちようです。

そこから五常(仁義礼智信)の教えにある、「人として正しい行い」の意味を持つようになったということです。

例えば

東京駅のコンコースで、大きな荷物を抱えて、掲示板を見ながらオロオロしているおばあさんがいたとします。

あなたならどうしますか?

自分を省みて

自分はできているのだろうか?と振り返ってみれば、いくつも「ああしておけばよかった」と思うことがあります。

家族や知人はもちろんのこと、道ですれ違う見知らぬ人に対しても「義」に照らして行動を決めていきたいと改めて思います。

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