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家業を継ごうと思った背景

こんにちは。
二代目経営者見習いのマサです。

今回は、自分が会社を継ごうと思った背景について、お話します。

目次
1:会社を継ぐことを意識し始めた時期
2:絶対、恩返しをしないといけないと思った出来事
3:最後に、

1:会社を継ぎたいと思いはじめたとき

ずばり、意識し始めたのは、中学生の時です。

背景をお話する前に、家業を継ぐ際のよくあるパターンについて、お話します。
一般的に、家業を継ぐ人の中には、大きく2種類のパターンがあると思っています。
 ①小さい時から家業を継ごうと思っていた
 ②家業のことは全く考えていなかったが、初代に声をかけられ急遽戻ることになった。

これは、初代が「会社を継いでほしい」と思っていたかそうでなかったか、の違いだと思います。

僕は①に当てはまります。父は会社を継いでほしいと思っている派ですね。
中学2年生くらいのときから、「君は会社を継ぐんだ。それが君の宿命だ。」的なことを父から言われ続けていました。ちょっと、洗脳っぽいですね。 ですが当時、経営者になることがかっこいいと思っていたので、すんなり受け入れました。笑

①のパターンのメリットしては、家業を継ぐことを早いうちから意識しているからこそ、「どうしたら、父の会社を継ぐに相応しい人間になることができるか?」「どうしたら、父の会社を大きくすることできるか?」ということを意識しながら、日々生活を送れることかと思います。

例えば、上記を意識していたからこそ、僕は大学時代には、得意なゴルフを使って、いろんな経営者の方と繋がり、二代目経営者の辛さや会計の仕組みなんかをみっちりと教えてもらうことができました。


2:絶対、恩返しをしないといけないと思った出来事

次に私が「会社を守成したい、継ぐことは自分の宿命だ」と思ったできごとについて、簡単に話をさせていただきます。

私は、大学受験に失敗して、浪人をしました。浪人時代には、もちろん寝る間も惜しんで勉強をしつづけ、自分でもできるだけのことをやったつもりでした。 

しかし、本番はそう甘くなく、、、、
センター試験もこけ、出だしの滑り止めだった大学にも落ちてしまい、続く大学にも思うような結果が出ず、メンタルズタボロで毎日泣いていました。
母が握ってくれたおにぎりを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、泣いたこともありました。。。笑
最終的には、なんとか中央大学の理工学部に合格することができ、家族で結果を見て、大喜びをしました。
(父がなぜか、ロッキーの主題歌を流しながら帰ってきて、二人で抱き会いました。笑)

さらに当時、姉も国家試験に合格し、家族みんなでお祝いムード。
しかし、その日の夜、父から「緊急の家族会議をするから集合」ということで、夕食後みんなでリビングに集まりました。

「二人、合格おめでとう。そして、二週間後にお母さんは、胃がんの手術を受けます。これからの二週間はみんなでお母さんを支えよう」

衝撃の告白でした。
母は、一年前くらいから胃癌を患い、治療を受けながら、姉と私には癌のことは内緒にして、受験のサポートをしてくれていました。手術日も敢えて、受験が完全に終わったタイミングにしてくれていたんだと思います。
(母は無事に胃癌の手術を終わり、今はピンピンしています。)

この日、自分のために命をかけてくれた両親に「なんとしても恩返しをしないといけない。」と心から思いました。
そして、自分の宿命として、父の会社を守成することで恩返しをするべきだと思いました。

少し長くなってしまいましたこんなことがあり、会社を大きくすることで、恩返しがしたいと思いました。

3:最後に

そんなことがあり、僕は父の会社を継いで、大きくすることで恩返しをすると決めました。

大学までは、「両親への恩返し」で会社を継ぎたいと思っていましたが、最近は、会社の事業や、父の掲げているビジョンに共感しはじめて来ており、両親への恩返しだけでなく、父の会社を通して、社会に価値を届けることに関心を持ち始めています。

今回、この話をすると長くなるので、別のブログで「会社を通して、社会に届けたい価値」についてお話をさせていただきます!

最後まで、読んでいただきありがとうございました!!

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