新陳代謝と延命治療
激動する世界を生き抜くために、私たち日本人が身に着けなくてはならない考え方のひとつ、それが「延命治療をやめて、新陳代謝を促進する」です。
「世界が急速に動いている」という現実は、今も続くコロナ禍の経験などを通じて、多くの日本人に実感を持って受け止められるようになってきています。このような激動する環境の中で、変化に適応しながら生き抜いていくことが求められてきている今、忘れてはならない基本姿勢、何かを判断をする際にもっとも必要とされている基本姿勢が「新陳代謝」というものなのです。
状況が変化する中で古くなり役割を失なった、その時代が必要としなくなってきたものを敢然と捨て去り、新たなものを勇気を持って取り入れていく決断が急務とされているのが、今という時代だからです。
ところが、日本人である私たちは実は、今まで持ち続けていたものを捨てることが極めて不得意なのです。優先してきたのは必ずといってもいいほど、何とかして今までのものをそのまま生き延びさせよう、という前例踏襲に凝り固まった姿勢です。つまり、私たちがそういう時にしてきた判断は、多くの場合、新陳代謝ではなく「延命治療」だったということです。
日本人は優しいから、古くなったかもしれないけれど慣れ親しんできたものを簡単には捨て去ることができない、といえばその通りです。しかし、なぜそうしてしまうのか、については優しさだけでは説明しきれない、何かがありそうです。
世界に目を向けると、小さい国々であるにもかかわらず、進化という意味では最近つねに世界のトップを走っているのが北欧諸国です。こうした国では、「古くなったものを捨て去り、新たなものを育て上げていく」というコンセプトが国の政策としてだけではなく、人々の生き方にも貫かれています。だからこそ、つねに世界の先頭に立って、進化を続けていけるのです。
企業という存在も、時代と共にその存在価値は変化していきます。
そのような企業を、時代に合わなくなってきたにもかかわらず、何としてでも生き延びさせようとする延命治療の策を取り続ける日本とは逆に、まさに新陳代謝を促進しているのが北欧諸国なのです。
もちろん、時代に合わなくなったことを理由に、ただその会社をつぶしているだけということではありません。実際にやっているのは、つぶそうとしている会社に関与してきた従業員が再起するサポートであり、経営者が再起するために必要なバックアップなのです。経営者に対しても可能な限り支援策は整える、という意味では従業員と同じ扱いをしているのです。
もちろん、従業員に対しては、時代に即した新たな技能や知識を(その人の主体的な「やる」という意思の存在が前提ではありますが)身に着けていくための支援に惜しみなく力を注いでいるのです。こうしたバックアップのインフラが整っているからこそ、新陳代謝を躊躇なく進めていける、ということです。
日本では、農業においても企業においても、それとはまったく異なる光景が展開されていきます。本来は新陳代謝が必要とされているはずのものを、何としてでも延命治療しようとするのが当たり前になっているからです。
こうした延命治療を重視する考え方は、日本の政治を主導する保守勢力だけではなく、それに対抗するはずの、いわゆる革新勢力においてもまったく同じであると言ってもいいでしょう。革新勢力にとっての延命治療は、弱者を支援することにつながっているからです。
しかし、本当の意味での弱者の支援は、新陳代謝であるはずです。ところが、新陳代謝のバックアップのインフラが整っていない日本では、すぐにはそうはなりにくい現状があります。
いずれにせよ、こうした悪循環が続いているのが今の日本が置かれている状況だということです。
このような延命治療の考え方は、実は調整文化の負の側面の表れでもある、「問題の先送り」という考え方から生まれてきています。そういう意味でも、日本でなかなか新陳代謝が進まず、延命治療ばかりがなされてしまう現状、それも調整文化のなせる業のひとつでもあるのです。