能登と湯宿と震災と
鎌倉は肌寒く、能登はもうしっかり寒い11月に1泊で能登半島にある泊まりたかった宿へただ泊まりに行く旅をしてきました。
人を選ぶものの個人的にはドンピシャで必ずまた戻ってきたい湯宿と、能登震災について。
震災の爪痕
まず早朝の羽田を飛び立ち、能登里山空港について驚いたのは滑走路が震災の影響で大きく歪んでおり、着陸直後の滑走の際に上下にありえないくらい揺れたこと。
プレートの歪みが凄い地震だったとは聞いていたがここまでとは…
その後、乗合タクシーで目的地の珠洲まで移動すると、そこにあったのは倒壊した建物、広場での炊き出し、プレートの隆起で地形そのものが変わってしまった海岸線沿いの風景。
震災から1年弱経つのに復興が進んでいないと聞いてはいたものの、地震大国で経済大国で先進国である日本でここまで復興が進んでいないのは、自分の目で見てみると改めて衝撃だった。
とはいえ、一概に全てを直して元通りにすべきだとは思わない。震災復興とは、文字通り「復」元するわけでもなく新しく「興」すことでもなく、「復興」であるべきと専門家でもなんでもないが思う。
震災復興について
誤解がないように書きたいが、長期的なビジョンも何もなくただ税金を突っ込む「震災復興」は必ずしも良いものではないと思っている。
東日本大震災の跡地にて、津波到達地点を境に全く風景が変わり全てが人工物になってしまった三陸沖の海岸エリアを見て感じたのは、違和感だった。
震災の被害を受けた方々の「自分の生まれ育った土地に住みたい」「津波が来る前の元の状態に戻りたい」という感情はもちろん重要ではあるが、跡地にプレハブやどこにでもある建売住宅が並べたとてその土地である意味は本当にあるのか?もっと抜本的で長期的な復興を模索できないか?
今後再度来たる津波の被害を抑えるため、膨大な税金を用いてより高くて強度の強い防波堤を作るしか正解はないのか?皮肉めいたことを言うと、度重なる震災でインフラ業界が受けている恩恵はどれほどなのだろうか?
東日本大震災の復興財源である復興特別所得税が2037年まで個人が通常払う所得税額の2.1%分を加算されている一国民として、もう少し考えたいなと思った。
旅好きな人間として、大好きになる土地にはその土地にある歴史と文化が紡いできた特有の雰囲気があるから。
非おもてなし旅館
至る所で残る震災の爪痕を横目にたどり着いたのが今回の旅の目的地である「湯宿さか本」
宿に着くなり建築と内装の洗練度合いに驚きつつ、宿の方に案内されたのは部屋と離れとお風呂の場所だけ。あまり受けたことのない「接客」に戸惑いつつも、まずは離れへ。
池の隣にある離れで自分で珈琲を淹れて備え付けのスピーカーでMichel Camiloを流しながらゆっくり本を読む。
小一時間くらいゆっくりした後、満を持してお風呂へ。
扉を開けると先にゆっくり浸かっていたお客さんと目が合い、一瞬のうちに「お互いゆっくり一人でお湯に浸かりたいよね」という暗黙の意思疎通で合意したので、一度囲炉裏のある居間に戻ってゆっくりすることに。
先にお風呂を堪能していたお客さんが自分が想定していた時間より気持ち早くお風呂から上がって来て「すみません、上がりました。」と一声をかけてもらったので、ついにお風呂へ。
このお風呂が良かった。
薪で沸かしたお風呂は、冷めないように木の蓋に覆われており、その蓋を開けると漆塗りの浴槽が。大きな窓を開けると、夕闇に竹林。
風呂桶も風呂椅子もなく、ひんやりした地べたにあぐらをかいて座り込んでシャワーを浴びたら、なぜか懐かしさを感じた。子供の頃はよく大浴場のツルツルの床に座ったり、全身横になって滑走していたのを思い出す。
最大限満足したあとは、いよいよご飯。こちらも最高。
大阪から来ていた常連のご夫婦二組と一緒のテーブルでただひたすら素朴でだが最高に美味しいご飯を食べる。
この常連二組は、両方とも数十年この宿に通い続けているとのこと。
お酒も入ったことで、能登震災と能登への想いから、全国にある行きつけの場所や宿の話、大阪の衆院選の話、仕事の話や家族の話などをして三時間くらいご飯を食べながらとても良い時間を過ごした。
この常連さん二組と一緒になれたのはすごく良かった。
常連が語る宿の良さを聞けたという意味ではなく、その楽しい人生の先輩方との会話を横目にただひたすらご飯を何も邪魔せず提供してきてくれる宿の方々のスタンス、その会話が生まれる雰囲気そのものから知らないうちにこの湯宿の良さを少し知りえた気がするから。
次の日の朝、早起きして朝風呂と離れでの珈琲を享受したあとは朝食。
昨日とは打って変わってそこまでの会話はなかったが、それぞれ思い思いの会話を楽しみながら昨日の夕食にも増して質素で贅沢なご飯をいただいた。
何もないが、全てある。
接客もアメニティもTVもWiFiも何もないが、人間が満足する全ての要素がそこにあった。
お風呂、ゆっくりできる場所、囲炉裏と暖炉の温かさ、美味しいご飯、偶然の素敵な出会い、珈琲、音楽。
また近いうちに戻ってきたい宿でした。
良い宿に泊まるということ
旅先では宿には滞在もしないし、寝るだけの場所にお金を払いたくないじゃんというシンプルでありつつ雑な理論の持ち主だったが、少し考え方が変わったような気がする。
あまり宿にはお金をかけずに多くの旅に行きたいタイプなので、高級旅館や高級ホテルに泊まった経験はあまり多くはないが、本当に良い宿にはお金を今後かけていきたい、そんな体験だった。