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存在の孤独をいかにして埋めるか。|2024,Week48.
『ロスト・イン・トランスレーション』という映画を観た。ソフィア・コッポラが監督・脚本を務めた作品で、異国の地<東京>で出会った2人の心の交流を描いた、とても心温まる作品です。
何か特に2人の間に緊張感が走るような劇的な展開もなければ、愛を確かめ合うとかいう直接的な表現もないのだけれど、2人が互いに惹かれ合っていく様子が、ごく自然なかたちで描かれていると思いました。こう言っちゃなんだけど、いわゆる映画におけるドラマティックなシーンって現実世界では頻繁に起きないし、あっても別に、そんなに良いものじゃなかったりする。これはあくまで僕の考えですが。
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映画の本筋とはちょっとズレるんだけど、この映画でおもしろかったのが、舞台である<東京>の描かれ方が非常に奇妙にみえたこと。年代的には2000年代前半で、今でこそ東京は世界有数の観光地として多くの外国人の方が訪れておりジャパンカルチャーが世界に浸透しているのだろうけれど、当時はまだあまり知られていなかったのか、この映画でも東京がある種の「おかしさ」をもって描かれていた。
もちろん、これらに特に深い意味はなく、あくまで「ロスト・イン・トランスレーション(存在の孤独)」を演出するための装置であると思っているが、確かに日本人の僕からみてもこの時代の東京は「奇妙だ」と思わされるシーンがたくさんありました。例えば、宿泊するホテルの丁寧過ぎる接客や、CM撮影のために来日した主演のボブ・ハリスが取引先から渡される大量の名刺、客が自分で調理するスタイルの食事などなど。確かに、一歩引いてみたら「これはちょっと不思議だよな」って思うものも多く、いかに僕らの生活や思考に、そうした文化が自然に溶け込んでいるのだなと思った。
向き合い方を見つめ直す、旅。
ちょうど2年ほど前に、noteに「旅に出るのは。」と題したエッセイを書いたように、旅とは日常のアレコレから開放され、自分という存在と繋がった「結び目」を点検することでもあると同時に、そうした結び目を「探し求める」ことでもあると思う。まだ自分の知らない場所へ旅立ち、新しい発見・視点・気づきを得ながら、自分に取り入れていくこと。
『ロスト・イン・トランスレーション』でも中年のハリウッド俳優ボブ・ハリス自身、結婚して25年になる妻との間に生まれた小さな子どもとの向き合い方や、映画俳優としてのキャリアが終盤に差し掛かっていることに悩み<ミッドライフ・クライシス>に陥っているし、シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)自身もまた、写真家の妻として自身もクリエイティブな才能を見出そうとするもうまくいかないことに落胆し、自分探しを続けている。これまでを見つめ直す時期に差し掛かったボブと、これからを見出す時期に差し掛かったシャーロット。対象的な2人ではあるが、本質的に抱えている「自分という存在について」という部分で共有しあっていたからこそ、互いに惹かれ、共鳴していたのかもしれない。
シャーロット「行き詰まっているの。年とともに楽になる?」
ボブ「いや…、そうだな。楽になるよ」
シャーロット「ほんと? あなたは違うみたい」
ボブ「自分自身や望みがわかってくれば、余計なことに振り回されなくなるよ」
シャーロット「なにをやればいいのかわからない。物書きになろうとしたけど、私の文章は最悪だし。写真を取ろうとしても面白くもない写真ばかり…」
…
シャーロット「私、意地悪なの」
ボブ「そんなの平気さ」
…
シャーロット「結婚も楽になる?」
ボブ「それは難しい。昔は楽しかった。リディアもロケ先についてきたし、毎日笑っていた。今は子供のそばを離れたがらないし、僕を必要としていない。…」
とはいえ、年齢を重ねたボブでさえも結婚が難しいと語るように物事はそう簡単にうまくはいかない。彼自身、シャーロットにそれらしく諭すものの、それが本心でないことは明らかだ。人は、いくつになっても、どんな歩みをしようとも、ずっと悩み続けるもの。そう言っては元も子もないのかもしれないけれど、ボブの口調からはそんな調子が伺える。
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ただ、いくつになっても純粋に悩めるというのは、ある意味でとても尊いことだと思う。今の世の中は情報過多ゆえに、それらしい「答え」のようなものが手に入りやすい時代だから。
本当かどうか分からない、でも、確からしいと思うものに人は飛びつき振り回されて、人生を、自分の心をすり減らしてしまう。これは僕自身に対してもそうだし、共感できる人はとても多いと思う。特に、僕自身は悩みに対して手っ取り早い答えを見つけ、安心してしまうクセがあるから。だからか、それぞれの悩みに対して向き合おうとする2人だけの心の交流に、僕は、ひどく共感もすると同時に、羨ましさも感じました。
いわゆる分かりやすい映画でもないし、何か驚くような展開のある映画でもない。でも、それゆえに僕らの心に沁み入ってしまうような、そんな映画でした。
いろんな国の文化を、楽しめるように
でも、映画の中でボブが、LとRを間違える日本人に対して「間違った発音で楽しみたいのさ」と言っていたのはどうかと思う。ちょっと、日本に対する解像度が低いんじゃないかって。まあ、20年も前の映画だし、そのあたりは深い意味は無いのだろうけれどね。僕は小学校の途中まで東京に住んでいたので、映画に出てくる一つひとつの風景が懐かしく感じました。そういう意味でも、非常に面白い映画でしたね。最近は忙しくてあまり映画をみれていなかったけれど、こういう時間も必要だなと改めて思わされました。