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取り扱い注意!の物語。|2025,Week05.
「ハイダーとジンメル」という動画を知っていますか?
1944年に、心理学者のフリッツ・ハイダーとマリアンヌ・ジンメルが作成したアニメーション映画で、約90秒の短い作品です。作品自体はYoutueでも公開されていて割と簡単に観ることができるので、一度このエッセイを読むのを止めて、実際に観てほしいと思います(およそ80年も前の作品なので、当然ながら画質は悪いものの)。
実際に観て、どのような感想を持ったでしょうか。
作品自体は非常にシンプルで、全体も古典的な三部構成になっていてわかりやすい。まさに典型的なラブストーリーといったところでしょうか。
小さな丸と三角が仲良く歩いているところに(第一部)、突如として現れた大きな三角が小さな丸を囲いの中に追い込んでしまう(第二部)。まさに絶体絶命…といった状況に見えるものの、小さな三角と丸が機転を利かせて囲いから飛び出し、なんとか画面の外へ逃げていく。残された大きな三角は体当たりで囲いを壊し、いかにも悔しそうに見えるところで作品は終わる…(第三部)。
わずか90秒という短い作品ではあるものの、図形たちの動きがコミカルでもあるし愛らしさもあるしで、最後は丸と三角が仲良く逃げていく様子もあって、非常に後味も良いですが、実はこの作品は、ある心理実験のために制作されたものだった。
ハイダーとジンメルはこの作品を作り終えると114名の被験者に見せ、感想を素直に語ってもらった。するとどのような結果が生じたか。なんと97%もの人が、先ほどの僕と同じように「物語性」を感じとったという。しかも、その人たちが感じ取った物語にも強い規則が見出され、図形の動きは人間というより昆虫に近いような動きをしているにもかかわらず、ほとんど全員が図形を「人間」として捉え、しかも丸を女性、三角を男性に見立てたのだ。
さらに、ほとんど大多数が小さいほうを善人、大きいほうを悪人としても解釈していた。映像自体は単純な図形の動きでしかないにもかかわらず、ほぼ全員が同じような物語を読み取っている。
しかし、その一方でその物語には、驚くほど解釈の余地も広がっていた。あるものは恋愛関係ではなく友人関係だというものとか、実は大きいほうが小さいほうに恋人を奪われていて、その復讐をしただけだとか。もっといえば、ファンタジーの世界の一幕として大きい三角を魔女として解釈するものもいたといいます。驚くべき、想像力と言える。
観るものに、無意識的に物語<ナラティブ>を見出す
このことから何が言えるだろうか。それは、人は自分が見たものを思い思いに解釈し、そこに「物語」を見出すのだということ。僕自身も、この作品を1つのラブストーリーとして解釈してしまったように。過去、この作品のような体験を僕はしたわけでもされたわけでもない(と思っている)が、僕は単なる図形に人格を見出し、1つの一連の作品として解釈をした。しかも、あるものを善、あるものを悪のようにわかりやすい構図で、無意識に。
二一世紀の戦争は、どの軍隊が勝つかよりも、どの物語が勝つかのほうが重要だと述べたのは、ハーバード大学で国際政治学の教鞭を執るジョセフ・ナイ教授である。私たちは、ポストモダニズムとケーブルテレビ局のドラマシリーズに取り憑かれた時代に活きている。議論以上にナラティブが強い影響力を持ち、無味乾燥でただ合理的なものよりも、感情に訴えるもののほうが重視される。(P.34-35)
物事が分かりにくかったり、理解が及ばなかったりといった際、僕らは「構造」を持ち出して整理し、そこに「物語」を見出す。ハイダーとジンメルの作品にも「善悪二元論」を当てはめ、片方を善、片方を悪として解釈し、一連のラブストーリーを成立させたように。
本来、映像自体は何の意味もなく、ただ図形が動き回っているだけ。人間的なモチーフだって特に何も見いだせない。
しかし、人はそこに物語を見出す。今回は単なる90秒の動画、心理実験ではあるが、もしこれが現実の世界だったら? ありもしない物語をそこに見出すことで解釈の違いが生じ、「分断」へとつながっていくことも容易に想像できるのではないか。
お互いに同じものを観たとしても、違う物語が成り立つとしたら、もし、見えているものがもはや同じでないとしたら? どんな結末が想像できるだろうか。
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かくいう僕も仕事上、こうした物語を扱うものの一人と言える。
ある目的のために、どのようなコミュニケーションを取るのがふさわしいかという問いに日夜、取り組んでいるのだから。それだからこそ、ハイダーとジンメルの心理実験に触れると背筋がピンと伸びる思いがする。その物語<ナラティブ>は、ほんとうなのか。いいことを書こうとしていないか、と。日々、気持ちを新たにしてやっていきたいと思わされますね。
取り扱い注意!
今回は、物語が持つ懸念のようなものを取り上げさせていただいたが、逆を言えばそれほどまでに物語が僕らの頭に入り込みやすいため、他者と共有する歓びを感じ取れるということでもあると思います。他者が作った物語に感動し、奮い立たせられ、会ったこともない身近にいる人々や遠い国の人々に、想いを寄せることもできるのだ。
だからこそ、僕らは注意して物語を扱わないといけないと思うし、そうであるべきだとも思う。そんな思いで、先週を振り返ってみました。