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BOO!!!!!

実家は浄土真宗だが、教会に併設された幼稚園に通っていた。
毎朝お祈りがあるし、ミサもあったし、先生の中にはシスターもいた。記憶もあやふやだし、随分と前のことだけれど、教会も遊び場で、鼻歌が讃美歌だったことは覚えている。

時間が経つと記憶が薄れていくと言うよりは、断片的になると思うのだが、たまに幼稚園の頃の記憶がふっと思い出されたりする。僕はすずらん組で、教室の裏にトンネルがあった。そのトンネルの真ん中くらいに天井が金網になって光が差し込む場所があって、その場所が好きだったのを覚えている。

友達の8割がいたずらっ子だったから、たまにその金網から、水が降ってきたりする。そうしたら、あっかんべーをされて、鬼ごっこ開戦の合図だった。昨日いたずらをされた子は、明日いたずらをする。いろんな攻防を繰り返して、結局最後はきゃー!!と叫びながら、鬼ごっこになる。幼稚園と家が世界の全てで、その毎日の同じ流れが、水戸黄門のようにルーティーン化した、ストーリーだった。飽きることもなければ、むしろ毎日心から楽しかったのだ。

カトリックの幼稚園なので、イースターでは卵を探すし、劇はキリストの誕生だったりするが、お正月飾りはしていたし、七五三には千歳飴だってもらう。凄くフレキシブルだった。ただ、今思い返すと、ハロウィンはやっていなかったと思う。きっと今ほどにハロウィンというものが浸透していなかったからだとおもうけれど、イースターはやっていたので、不思議だ。

幼少期にそういう経験がないので、トリックオアトリートと廻ったことも、仮装をしたこともない。きっともし、今の時代に子供として生きていたら、隣町までお菓子を求めて向かっていたかもしれない。

あまりハロウィンを経験していない私は、ハロウィンというイベントがどこかむずがゆい。このイベントから避けて生きてきたけれど、お菓子屋だとそうもいかない。色々調べてみると、古代ケルト人の風習で、ケルトの暦で10/31日は一年の終わり。家族のもとへ、先祖の霊が帰ってくるそう。その時悪霊や魔女も一緒にやってくるので、身を守るために、自分たちも化け物や魔女に仮装したのだそうだ。

トリックオアトリートにも死者の魂を沈める意味合いがあるらしい。ということは、子どもたちは積極的なお菓子をもらいにいった方がいい。それが、この世のためなのだ。

美味しいものが多い季節と相まって、ハロウィンは美味しいお菓子がおおい。
ハロウィンに向かって、BOO!(ばぁ!!)と、びっくりさせようと、こっそり隠れたおばけたちを増やしていこうと思う。
何が出るかはお楽しみ。

幼稚園児の頃の僕に、教えてあげたい。
ハロウィンは、楽しくて、美味しいお祭りだ。
いろんな意味もあるけれど、子どもたちはそのくらいでいいと思う。

あの世とこの世と、みんなが、わぁ!となるようにお菓子をたくさん作っておきます。
断片的に思い出される記憶に、ぼんやりとでも、あんなお菓子があったなぁと、いつか思い出してもらえたらうれしい。

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