私の家には2名ほど常連のお化けがいた。 祖母は小さい私をからかうのが好きで、何かとこの話で驚かせていた。 1人目は、長崎では有名な「あもじょ」。 「あもじょん、ずっ…
昔から3文字の名前に憧れている。 下の名前の話だ。 僕の名前は4文字だ。 苗字が、とてもよくあるものなので、下の名前をもじったあだ名で呼ばれることがおおかったのだけ…
長崎市内、アーケードを越えて、仲通りを進むと、可愛らしいお茶屋がある。 お茶が好きで好きでしょうがない春ちゃんの城だ。 何組かお客さんが来ると、肩を寄せ合う形と…
絵の具みたいなお菓子だな。 初めて見た時、そう思った。 ショーケースにはカラフルなパートドフリュイが並んでいて、表面のグラニュー糖が光に反射してキラキラと輝いて…
バナナブレッド、バナナケーキ、バナナパウンド。 いろんな呼び方がされるということは、いろんな国で作られていて、好きな人が多いのだと思う。 アメリカにはナショナルバ…
僕の祖父は真面目だった。 その上に手先も器用で、丁寧。 仕事を引退しても、勉強し続けていたし、いろんなものを自分で修理したり、機械も好きだった。厳しく言われた記憶…
しっかりもので、みんなの中心のこうたろうさん。 物静かで穏やかだけど、やさしさにあふれていたひろしさん。 いっつもいっしょにいてあそんでいた、親友ぽんちゃん。 専…
このまち、東彼杵に来て3年になった。 恥ずかしながら、3年前まで、ほぼ来たことがない町だった。 コロナが社会におおきな影響を与えていたころ、故郷長崎のお茶の名産地…
私はおばあちゃん子だった。 おうちでも末っ子だったけど、親戚を合わせても僕が一番下。 祖母は特に僕を可愛がっていて、小さい頃は何をするにも一緒だった。 おやつを…
だいすきでしょうがない街、長崎。 嫌いで嫌いでしょうがない街、長崎。 この街で生まれ育って、何不自由なく、育ててもらい、 家族にも、友人にも、先生にも恵まれた。情…
masafu.
2024年9月27日 15:27
私の家には2名ほど常連のお化けがいた。祖母は小さい私をからかうのが好きで、何かとこの話で驚かせていた。1人目は、長崎では有名な「あもじょ」。「あもじょん、ずっぞ〜。(お化けが出るぞ。)」と日々、ビビらされていたわけだが。あもじょがどんなお化けなのかも知らない。あもじょがお化けだと教えられた記憶もない。結局今も昔も得体はしれないし、よく来ているのかも知れない。でも、少なくとも怖くはなく
2024年9月4日 16:44
昔から3文字の名前に憧れている。下の名前の話だ。僕の名前は4文字だ。苗字が、とてもよくあるものなので、下の名前をもじったあだ名で呼ばれることがおおかったのだけれど、下の名前を完全体で呼ばれることに強い憧れがあった。その点、3文字の名前は、憧れの的だ。僕は響き的にも、呼ばれ方的にも、3文字がちょうどよいと思い込んでいる。完全体で呼びやすい。つばめ、かもめ、こだま。3文字でおさまりが
2024年7月19日 15:28
長崎市内、アーケードを越えて、仲通りを進むと、可愛らしいお茶屋がある。お茶が好きで好きでしょうがない春ちゃんの城だ。何組かお客さんが来ると、肩を寄せ合う形となるお店には、全国のお茶好きから、近所の可愛らしい小さなお客様まで多様な人がやってくる。ひとりひとりのお客さんに、一煎一煎お茶を淹れながら、自身で選んだ全国各地のお茶を案内している。ふんわりと、やわらかい言葉と空気で案内している。
2024年5月19日 12:35
絵の具みたいなお菓子だな。初めて見た時、そう思った。ショーケースにはカラフルなパートドフリュイが並んでいて、表面のグラニュー糖が光に反射してキラキラと輝いていた。実際に学校の実習で作った時は、可愛らしい見た目に反する糖度と、しっかりとした酸味に驚いたけど、この糖度と酸味こそがこのお菓子の肝なのだ。もともとフルーツを保存するために作られたというこのお菓子は、砂糖と酸、そしてペクチンの力
2024年4月27日 14:35
バナナブレッド、バナナケーキ、バナナパウンド。いろんな呼び方がされるということは、いろんな国で作られていて、好きな人が多いのだと思う。アメリカにはナショナルバナナブレッドデーというものがあるらしい。僕は火の入ったバナナが好きで、二十歳くらいのころから、たまにバナナパウンドを作っては、少しずつ食べていた。僕にとっては、とても日常的なおやつで、商品として出したことは、このまちに来るまでなかった
2024年4月5日 14:34
僕の祖父は真面目だった。その上に手先も器用で、丁寧。仕事を引退しても、勉強し続けていたし、いろんなものを自分で修理したり、機械も好きだった。厳しく言われた記憶も少なくて、穏やかだった。ある日、兄と僕と祖父とで話をしているとき、祖父が、「お饅頭ってフランス語でなんていうかわかるか?」もちろん僕たちは知るわけもないので、ポカンとしていると、「オストゥアンデル」と祖父が教えてくれ
2024年3月29日 13:08
しっかりもので、みんなの中心のこうたろうさん。物静かで穏やかだけど、やさしさにあふれていたひろしさん。いっつもいっしょにいてあそんでいた、親友ぽんちゃん。専門学生のころ、大阪に住んでいた。もう10年くらい前のことで、大阪時代のことは、この3人に感謝が尽きない。パティシエになると決めて大阪に行き、毎日が忙しかった。もちろん学校も授業や実習でびっしりで、アルバイトも週5~6入っていた。
2024年3月27日 19:48
このまち、東彼杵に来て3年になった。恥ずかしながら、3年前まで、ほぼ来たことがない町だった。コロナが社会におおきな影響を与えていたころ、故郷長崎のお茶の名産地として観光で訪れたことがあって、その時の投稿した自分のInstagramにはこんなことがかいてあった。「ここらへんに住めたらな、とか思ったり。ここら辺でお店できたらな、とかおもったり。」この投稿の一か月後にはこの町に引っ越して、
2024年3月19日 17:11
私はおばあちゃん子だった。おうちでも末っ子だったけど、親戚を合わせても僕が一番下。祖母は特に僕を可愛がっていて、小さい頃は何をするにも一緒だった。おやつを食べるとき、口癖のように言っていた言葉がある。「お兄ちゃんとおもやい食べなさい。」4つ離れた兄と、よく食べ物をおもやいで食べていた。もやいというのは、長崎の方言で、「共有する。」とか、「一緒に使う。」とかいう意味であって、食
2023年12月26日 01:25
だいすきでしょうがない街、長崎。嫌いで嫌いでしょうがない街、長崎。この街で生まれ育って、何不自由なく、育ててもらい、家族にも、友人にも、先生にも恵まれた。情緒にあふれ、個性的。すごくいい街だと思う。出会った人も、いいひとばかり。私の世界には、私を知る人しかいない。みんなが僕を知っていて、僕もみんなを知っている。このまちが世界の全てだった。すごく田舎でもあり、すごく都会でもある。