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21時、コインランドリー。

仕事をしながら「布団カバーとシーツを洗濯したい」と、ふと思った。
こういうのは神のお告げのようなものだと思っている。
いつも通り残業をしたあと、アウトレットで買った安っぽい中華製洗濯機に布団カバーとシーツを入れる。

でも、布団カバーの予備がたぶんない。
あと、大物を2枚も干すスペースは、1K3万5千円の部屋にはない。

コインランドリーまでは徒歩10分もないくらいだ。
夕飯後の腹ごなしにもちょうどよい。


過疎地域になりつつある地方都市は、コインランドリーが深夜まで開いていても、利用者はほとんどいない。

ラジオと乾燥機の音、あとこの文章を書くための打鍵音だけが響くこの空間は、さながら終末都市である。
あと、ガス湯沸かし器みたいな音。ジーゴゴゴボウッ


自分って今まで、我慢してきたんだなぁ、と気の抜けたような実感をしている。
仏みたいになっていたのは、自分の意見を通そうすると起きる影響を避けたかったから。

簡単に言えば、面倒くさいことからなるべく逃げるために、我を押し殺していたんだなぁ、みたいな感じ。
でもそれって、周囲に強制されたわけではない。自分が自分として生き残るために、自分自身をそのように適応させてきたってだけのこと。


ジムビームハイボールが美味しい。
そういえば、自分が初めてお酒で失敗したのって、とある居酒屋で飲んだジムハイだったっけ。

失敗した直後から、ジムビームのみならずウイスキーハイボール系が全く飲めなくなった。当時はトラウマとかだと思っていたけど、今思えばハイボール=自分に合わない酒、みたいに考えていただけかもしれない。
検証を面倒くさがって、取り合えず失敗の原因から遠ざかろうとした。
ハイボールってこんなに美味しいのにね。

自分の「好き」を否定されることがこんなにしんどいとは思わなかった。
食べ物の好き嫌いが激しい友人と話した時、自分が好きな食べ物を悉く否定されることがあった。

私は好き嫌いがそこまでない。あることにはあるが、それは「体が受け付けないレベル」なので、もはや「嫌い」という次元ではない。
なので、たいていの食べ物は食べられるし、例えばブラックコーヒーとかビールとかも好きだ。

彼は「わかりやすい味」が好きだった。炭水化物の味と塩味、そして糖分で生きているような人だ。

食べ物の好みが違っても問題はないけど、それを否定されることについては気分が全くよくない。その言動を自覚なくできる人とは、平和的に語り合える気がしない。最初は自分が我慢するんだけど、我慢の限界を迎えると、普通に怒ってしまう。仏でもなんでもない。二本足で歩く日本人である。

我慢の限界が浅くなった気がする。
そんなことは前にも書いたような気がする。
我慢しすぎても、人生損だよなぁと思う。
思っているだけだ。行動に移せやしない。

ふと、ブザー音が鳴る。打鍵音とラジオの音のみになる。
ハイボールもあと一口。さ、帰ろうか。

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