スーパー公衆浴場「のつけの湯」に行くようになった話
北見という町は、存外星が見えるのである。
先日のように仕事中の“お告げ”をもらった私は、いつも通り残業をした後に、北見市随一のスーパー銭湯に向かう。
存在は知っていたものの、なかなか足が向かなかった。
最近は「新しいこと」を少しずつできている気がする。良い傾向だ。
大人1人、470円。標準的な公衆浴場の入浴料だ。
靴箱も脱衣所のロッカーもコイン返却式。こないだコインランドリーで両替した100円玉が役に立つ。
頭と体を洗い、名物と思しき「立ちジェット風呂」に浸かってみる。
元来、風呂は立って入浴するものではない。家庭用の風呂や公衆浴場は座って入浴する深さで作られているからである。
ジェット風呂は1人用のスペースが手すりによって仕切られており、それが4列、向かい合って計8人分ある。
2つあるジェットの幅は絶妙に広く、しっくりこない。でも、体をよじったりして凝った背中に当てると、ほぐれる感覚があり気持ちがよい。
公衆浴場価格でありながら、露天風呂が存在する。
しかも、湯舟が全部で3つある。屋根付きと屋根なし、そして小さい浴槽である。
特に何も考えず、屋根なしの湯舟に浸かる。
露天風呂から夜空を見上げる。雲や灯り、湯船から立ち上る湯気がレイヤーとなり、夜空を覆っていく。
そしてそのレイヤーの向こう、最背面に位置するのが星空である。
街中なので満点の星空ではない。だが、ぽつぽつと見える星々は、確かにここが「星がそれなりに見える地」であるということを実感させる。
何も考えない、ということは難しい。
露天風呂に浸かり夜空を眺めていても、心に移りゆくよしなし事から目を背けることは不可能に近い。
自分の理想ってなんだっけ。
環境には恵まれている。お金に関する心配はあまりない。
しかし、それは自分を削り続けて成り立っている気がしてならない。
横に3つ連なる星が見える。脳裏にゴー☆ジャスがよぎる。やかましいわ
そして、この“スーパー公衆浴場”は、公衆浴場価格でありながら、サウナとミストサウナも完備している。
サウナはあまり得意ではないが、比較的低温なミストサウナは割と好んで入る。
ミストサウナの中で物事を考えることは難しい。身体が常にストレスを受けているから、思考がどうしてもそちらに引っ張られるのである
肌を滑り落ちる水滴のこれは汗なのか、元より皮膚に付いていた水分なのか、はたまたミスト状になった水分が集まり水滴となったのか。これはどうやったら検証できるのだろう。
普通のサウナであれば、体の水気を完全に拭き取ってから入ることで検証ができそうだ。
しかし、ミストサウナは湿度がかなり高いので、別の方法を試すべきではなかろうか
サウナの直後に洗顔をする方が、毛穴が開いているので良いのだろうか。
でももう洗顔しちゃったし
みたいなことをつらつらと考えてしまう。考えがまとまらなくなったところで、外に出る。
もう一度、軽く湯舟に浸かる。
ここ、公衆浴場でありながら天然温泉なので、その恩恵を少しでも享受しようと努力をする。
その湯舟にいた親子
父「夏は英語でサマー、冬は?」
子「サマー!」
面白い子である。
風呂上り、久しぶりにコカコーラのアンバサを飲む。おそらく生涯で3回目の白い液体は、相変わらず不思議な味がする。
爽やかなカルピス、というべきだろうか。人生に全く必要ない飲料なのだが、そのムダが人生に深みを作っていく。
そして、この不思議な味は人生にほんの少しで良い、ということを再確認する。
ムダは「自分の望むもの」だけでよいし、それは自分で選ぶべき。そんなことを思いながら、番台のおっちゃんに挨拶をして、靴を取り出す。
冬はもうどこかに消え去った。春風が運んできたこの前向きな気持ちを胸いっぱいにして、少し重いドアを押す。
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