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私の中にある運命を導いた言葉 前編
あと16日で本を出版します!
と、ここで言い切っておこう。もう後戻りできないように。
2024年、ニューヨーク大学よりエッセイが出版された記念に
念願の夢であった本の執筆を、整理するために、こちらに綴ります。
私のニューヨーク生活18周年を記念して
精神的にも、肉体的にも不完全、
自分に自身が持てず、言いたいことがはっきり言えない幼少期を過ごした私が、婚約者、日本一の美容師の栄光、キャリア、全てを捨て、リスクを冒してまで単身渡米し、度重なるチャレンジ、多文化との出会いと奇跡の体験から本当の自分に出会えるまでのジャーニーを綴ったもの。
愛するニューヨークでの孤独と絶望からニューヨークで選ばれる存在になるまでを味わった18年間を
実際に、自身がインスパイアーされたニューヨークの哲学、自己啓発、人生の価値観を再定義するための指針を織り込んだ物語。
1. 序章:自分を知る旅への誘い
”お前は、世界を見る為に生まれてきた”
地球の、この家族に、ただ生まれただけ。
世界に出る役目がある”
そんな声は、いつの頃からか
私の中にあった
素直だった私は、その言葉に忠実に動く
小学校の頃から100万を目標に
お年玉貯金を開始するような子供だった
いつでも、その日が来たら
飛び出せる自分でいようと、密かな
私と、私だけのプロジェクトだった
そのことを知っているのは、
私の永遠の憧れの存在
世の暗闇を、分け隔てなく
世界を明るく優しくしっとり照らしてくれる
いつもそばで相談に乗って
どんな時も私を照らして励ましてくれた
お月様だけ
地球で最初に降り立った場所
800年以上東海道沿いにあり、膳所藩に勤めた侍を先祖に持つ、
27代目旧タバコ屋の娘として私は地球に降り立った。
田舎の近所では、”タバコ屋のお嬢ちゃん”と呼ばれた
三人兄弟の長女。
祖母の母親は、大名などが泊まる江戸時代の宿 石部の本陣出身
遊び人の祖父の父親が40代で亡くなった後、女て一人でとても苦労されたが、本当に良く出来た人だったとか
昨年の祖父のお葬式で家族が集合した時、ずっと謎だったことを突き止めた。みんな遊び人としか言わないけど、どんな人やったん?写真は?
初めて仏間にある、ひい婆ちゃんの写真の裏に隠してあるように重ねて入っていたひい爺ちゃんの写真を発見。琵琶弾きの遊び人と語る母。普段、人を褒めない母が「彼は、本当に美男子だった」とか。
母の口から美男子なんて言葉が出たことが意外すぎてさらに驚く。
が、しかし、その姿は、まさに、絵に描いたような美男子。
しかも私に似ているではないか!!
my note!!(家の歴史については、ここまで。また別の機会に描こう)
未来貯金をする堅実な小学生
習い事は、そろばん、習字、エレクトーン。
エレクトーンは、幼稚園の頃、お昼の眠い時間で身が入らず1年足らずで辞める。
習字は、練習ノートを一冊仕上げると文房具がもらえたので励む。
書道は楽しかった!
今よりも、子供の頃の方が、お金に関してシビアに生きていたのでは、ないだろうか。
近所の叔父さんに、祖父母とディズニーランドへ行くのに
五千円もらった時の行動。
小学4年生の私が、そのお金で、購入したもの
のりぴーの缶ペン(原宿)
マーシーの鉛筆4本セット(原宿)
ミニーちゃんのシャーペン(ディズニーランド)
残高 3000円 貯金
高校の頃、バイトに行くのに親からもらった昼ごはん代千円
おにぎり1つ
どんべいまたは、カップラーメン1つ
残高 700円 貯金
美容院でのバイトは、当時時給600円だったが、
あまりにも頑張って働くので、初めて間も無く頼んでもないのに
650円に上がる。自分にもできる事がある発見や、お客さんと話すのが楽しかった。すぐに看板娘となる
貯金は、お年玉は、母が管理。
現金は、机下貯金ー妹に盗まれていた事が後に発覚。大炎上!!!
幼少期 空間の芸術と変身願望
幼少の頃の好きな色は、赤とエメラルドグリーン
塗り絵を常に5冊持ち歩くほど大好きだった。赤が好きで、カバンや、ビーズのネックレスでおしゃれしたり、紙の着せ替え人形や、毎朝、祖母が新聞を読む横で、朝食後、エメラルドストーンの指輪や、真珠のネックレス等、宝石の広告を切り抜いては、祖母にもらったおしゃれなパウダー入れの紫の高級っぽいビロードの箱に、祖母を真似て、宝箱に収集するのが日課だった。
家族の留守の時は、家中の押し入れを探検!
母や、祖母のアクセサリー、服、骨董品を見つけて、眺めては、
「お宝発見!!!」と笑みを浮かべていた子供時代
大人になった今もやってる!?
既製品は、買わない派
りかちゃん人形が大好きだったけど、広告であるような商品は、我が家では、買ってもらえなかったので自然と創造することが日常であった。
りかちゃんハウス
家にあった、浅い長方形の段ボールを二つ組み合わせ、カッターでドアを作り、裁縫が得意な母のミシン部屋から端切れを切り取り、ハンカチをベットにしたり、キッチン道具を使ってお風呂を作ったり
箱の中で、世界観を自由に自分の手で作ることを楽しんだ
魔法のステッキ
大好きなアニメ ミンキーモモの魔法のスティックは、買ってもらえないので、棒を見ると、生地や、小物を組み合わせ作っていた
このミンキーモモだが、ある日突然、子供のいない家に、惑星からやってきてそこの家の子供になるという物語の始まりの設定。魔法のステッキでいろんなプロの大人に変身し、困っている人を助ける。とても憧れた。
魔法のコンパクト
秘密のアッコちゃんに憧れて、テクマクマヤコンを手作り。
それっぽいピンクの丸いコンパクトに、自作しようとするが、上手に出来ず、いまだにいつかスファロスキーを詰めて作ってみたいと思っている。。
りかちゃんの服
着せ替えが大好きで、既にある、生地や、ひも、リボンの色などをマッチさせて形を作り上げること、りかちゃんの服や、私のドレス、着物は、洋裁学校を卒業している母に頼んで、作ってもらって嬉しかった。
ケーキ屋さん
祖母が手入れをする季節の花々が咲き誇る庭で、近所のお友達と、泥のケーキを作った上に、庭に咲いてる花びらを散りばめて葉っぱのお皿に乗せて、赤い実をフルーツに見立てるママごとをするのは日課
秘密基地
父の仕事の都合で、栗東市から長浜市に6歳で引越ししてからは、琵琶湖の辺り、巨大な城下町で、長浜城、美術館、公園、トライアスロンのゴールがある大きな公園のそばで育ち毎日のびのびと走り回った。
大きな公園の中で、入り難い、トゲトゲの植物を潜り抜けると少し広がった場所があり、そこを友人たちととしておやつを食べたり、野良猫を育てたりするのが好きだった
雪深い街で、雪でカマクラを作って、キャラメルコーンを食べたり
期末テストの日には、大雪で休校になるのを懇願した
祖母譲りの不思議な病
当時、抱えていた病があった。
綺麗な色のものしか食べられない病気(祖母と同じ病)
彩を重視していつも母が、お弁当を作ってくれた。
「もうちょっと緑が足りないからブロッコリー入れとこう!」
全体の色のバランスを、食欲がそそるように毎食気遣ってくれた
大人になって発覚した事だが、
いまだに、綺麗な色のものしか購入できないで苦労している
ダウンジャケットで暖かいものが必要だが
どれだけ頑張ってもAmazonからですら、実用的だけの見た目に
心がときめかない物は、クリックが押せない
ビタイチもん
心のときめかない物は、私にはどうやら一生買えないようだ
子供の服に関してもそうだ。
今では、これを踏まえて旦那に任せる。
もちろん、気に入らないものもあるが、
必要なものが買えないのでは、生活が出来ないという諦めを
ようやく持てるようになった
さて、これまで紹介してきた主人公は、
全身にコンプレックスを持つ
いつか蛹から蝶になる事を夢見る
変身願望多めの女の子
癖毛
剛毛
丸顔
ゲジ眉
またずれ
三段腹
ファッションセンス0
容姿がコンプレックスだった
母 銀行員、父 サラリーマンの家庭に育ち
共働きで忙しかった為、6歳で父の仕事の関係で引っ越しをするまでの間
シャーマンの祖父と、日舞名取で社交的、おしゃれな祖母に育てられる
小学校 コーラス部 ー夢は、ケーキ屋さん・歌手
中学校 バレー部 ー 夢は、綺麗&おしゃれさんになりたい
高校 軟式テニス部 ー 夢は、メイクさん・モデル
中学のクラスで一番ブスだと言われる、嫌われっ子がいた
温厚な私は、割と誰とでも友達になれ、ヤンキーから大人しいグループまで。たまたまこの嫌われっ子の彼女と帰宅のさい、彼女のお姉さんから一言
’あんたは、大きくなったら綺麗になるタイプやな”
〜ブスは、大きくなると綺麗になるといういわれがあった〜
「そうなんかな〜」と
感情的に慣れない、大人しい私だったが、この時
密かに私の内側では、悔しくて堪らなかった
私は、よっぽど醜いのかと落ち込んだと同時に、
漠然と、絶対に綺麗になってやろうと自分に誓った
あだ名
小学校 つぶれあんぱん(ヤンチャな男の子)おさと
中学校 グレ(グレムリン)
成績 中学校までは、何をやっても中ノ下。
体育、美術、国語、英語は、良かった
通信簿をもらった日は、正座で
下がった成績に関して、なぜこうなったのか1時間父からお説教。。。
父は、セールスの売上が全国一位、陸上選手で功績を残したのに
私ときたら。。。
いつもこの時期、家に帰るのが辛かった。
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写真家 小林美作
先見の名があるのやら。。。
自分の人生に 分数や、x線など必要ないと当時から認知しており
数学の時間が無駄にしか思えず、高校は、数学が高校2年生で終わる商業高校を受験。代わりに、秘書検定、電卓検定、商業簿記3級、工業簿記3級、ワープロ検定を受講できたのはやり甲斐を感じた
2歳半下の妹と、8つ下の弟の面倒で忙しい母とは、小さな頃から関係は薄く、あまり両親から褒められた記憶もない。
唯一褒められたのが小さな頃
「いっぱい食べたね〜」お腹をパンパンにして、喜んで見せていた記憶がある。それと、色彩感覚は、優れていたと、大人になってから言われた。
祖母譲りの色彩感覚?美術の時間に描く絵はほぼ入選、近所の美術館に兄弟で飾られた時は、喜んでくれた記憶があるような。
たまたまNHKコンクールまで出演するような名門校で、スポットライトの快感を学んだ大好きだったコーラス部は、体型のコンプレックスと、言いたいことが言えない大人しい性格を打破する為、中学からバレー部に励んだ。お陰で運動能力が開花し、高校の頃には、学年マラソン大会一位、程よい筋肉質の体になった。
高校期末テスト前の部活が休みの日は、もっぱらデパートで化粧品を探すフリをして、店員さんに、化粧をしてもらうのが日課だった。
チークの入れ方を知った時は、まるで魔法のような発見だった!
インターハイが終わると美容院でバイトしたことから、自分の髪との付き合い方を教えてもらえた。スタイルの希望は、はっきり言えないが、悩みをしっかり聞いてもらえた事がとても嬉しかった。
ブルーブラックに染めてもらって、これまでの自分とは違う
かっこいい自分を作ってもらい、初めてライブに行く勇気をもらった。
そこでは、ロック好きが集まり、なんだか、自分もかっこいいソサエティーに入れたようで、少し自分が好きになれた
大嫌いだったゲジ眉は、同じテニス部でお姉ちゃんのいる可愛くて憧れの同級生が家に呼んで、整えてくれた。彼女は、私と真逆で、先輩からのお気に入り。私は、ルール破りで、円陣を組間れる中に呼び出され、叱られるタイプ。側近の先輩方からは、可愛がってもらったが、なぜか、頭角を気づくボス猿的な先輩からは、目障りだったようだ。
眉毛は顔の聖域
その時の顔の変化、感動と言ったら、今でも私の人生が変わり輝き始めた瞬間だった。女優の世界でも、眉毛が役そのもののイメージを変えるくらい大切な物。人生を司ると言っても過言でもない眉。
その日は、友人宅で、メイクとファッションごっこで変身を楽しんだ。
その後、物事が少し、前向きに考えられるようになり
おしゃれな高校生ライフがスタート
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