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墨子 巻四 兼愛中(原文・読み下し・現代語訳)「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《兼愛中》:現代語訳
子墨子が語って言われたことがある、『仁を志す人が事業を行う理由とするものは、必ず天下の利を興し、天下の害を取り除く、このことを理由に事業を行うのだ。』と。それでは、その天下の利とは何であろうか。天下の害とは何であろうか。子墨子が語って言われたことには、『今、この国とこの国とが互いに攻め合い、この家とこの家とが互いに奪い合い、この人とこの人とが互いに傷つけ合い、君主と臣下とが互いに恵と忠とではなく、父と子が互いに慈と孝とではなく、兄と弟は互いに和み調わないようなものが、これが天下の害なのだ。』と。
それではこの害について考えてみると、それはなにごとかを用いるから生じるのであろうか。互いに愛しまないから生じるのだろうか。子墨子が言われたことには、『互いに立場を尊重し互いに愛しまないからだ。』と。今、諸侯は自分の国を愛しむが人の国を愛しまず、このことにより自分の国を挙げて人の国を攻略することを憚らない。今、一家一族の家の主は自分の一家を愛しむが人の一家を愛しまず、このことにより自分の一家のものどもを挙げて人の一家の領地を奪うことを憚らない。今、人は自分の身を愛しむが人の身を愛しまず、このことから人の身ぐるみを剥ぎ取ることを憚らない。このような理由で、諸侯が互いに愛しまなければ、きっと、野戦を戦い、家主が互いに愛しまなければ、きっと、互いに領地を奪い合い、人と人とが互いに愛しまなければ、互いに盗み合い、君主と臣下が互いに愛しまなければ、互いに恵忠ではなく、父と子が互いに愛しまなければ、互いに慈孝が出来なく、兄と弟が互いに愛しまなければ、互いに和調が出来ない。天下の人の皆は互いに愛しまないと、強者は必ず弱者を支配し、富者は必ず貧者を侮辱し、身分が貴い者は必ず身分が賤しい者に驕り、欺者は必ず愚者を欺くだろう。およそ、天下の禍乱、簒奪、怨恨などの、その起こる原因は、互いに愛しまないことにより生じるのだ。それで、仁なる者は互いに愛しまないことを非とするのだ。
この互いに愛しまないことを非とするならば、どのようにしてこの現実を変えたらいいのだろうか。子墨子が語って言われたことには、『互いに立場を尊重し互いに愛しみ、互いに相手を利させる、この決まりを作って、現状を変えたらよい。』と。そうすると、互いに立場を尊重し互いに相手を愛しみ、互いに相手を利させる、この決まりは、どのようにして作ればいいのだろうか。子墨子が言われたことには、『人の国のことを考えるときは自分の国のことを考えるように、人の一家のことを考えるときは自分の一家のことを考えるように、人の身の周りのことを考えるときは自分の身の周りのことを考えるようにすれば良い。』と。このようにすれば、諸侯は互いに愛しみあえば野戦を戦うことは無く、家主が互いに愛しみあえば互いに領地を奪い合うことも無く、人と人が互いに愛しみあえば互いに盗み合うことも無く、君臣が互いに愛しみあえば互いに恵忠となり、父と子が互いに愛しみあえば互いに慈孝となり、兄と弟が互いに愛しみあえば互いに和み調う。天下の人が皆、互いに愛しみあえば、強者は必ず弱者を支配せず、富者は必ず貧者を侮辱せず、身分が貴い者は必ず身分が賤しい者に驕らず、欺者は必ず愚者を欺かないだろう。およそ、天下の禍乱、簒奪、怨恨などが起きることを無くさせるものは、互いを愛しみあうことに生まれ、このことにより、仁なる者はこの互いの行いを誉めるのだ。
しかしそうではあるが、今、天下の士君子が言うには。『なるほど、そのように互いに立場を尊重し互いに愛しむようなことは、いいことだ。そうではあるが、それは天下の難物で行うに迂遠なことだ。』と。子墨子が語って言われたことには、『天下の士君子は、ことさら、「兼」を行う、その利を知っただけで、「兼」を行わない、その害を議論しないだけなのだ。』と。今、ある城を攻め、野に戦い、自身の身を殺して世に名を揚げるようなことは、これは天下の百姓の皆が難事(出来ない)とするものであるが、しかしながら君子がこれを説けば、士の衆はきっとこの百姓たちが難事とする戦いを行う。まして、互いに立場を尊重し互いに愛しみ、互いに相手を利させる、この決まりを行わせることは、このような難事とは異なるのである。人を愛しむ者は、人は必ずその愛しみにより、その者を愛しみ、人を利する者は、人は必ずその利することにより、その者を利し、人を憎む者は、人は必ずその憎しみにより、その者を憎み、人を害する者は、人は必ずその害することにより、その者を害する。これには何か難しいことがあるのだろうか。殊更、上の者はこれを統治の手段として行わず、士分の者はこれを方法として行わないからである。
昔、晋文公は士の粗末な服装を好み、そのために文公の臣下は、皆、牝羊の皮衣を着、皮紐で剣を帯び、ねり絹の冠をかぶり、その姿で王宮に入って国君に拝謁し、宮に出て朝廷で政務を執った。この行いの理由は何だろうか。国君はこれを誉めたので、そのために臣下はこれを行ったのだ。昔、楚の靈王は士の痩身を好んだので、それで靈王の臣下は、皆、一日一食を節度とし、脇腹で息をしながら剣を帯び、垣に寄り掛かって立ち上がり、一年も過ぎると朝廷の官吏の顔に病み衰えた黒い色があった。この行いの理由は何だろうか。国君はこれを誉めたので、そのために臣下はこれを行ったのだ。昔、越王句踐は士の武勇を好み、その臣下を教育訓練し、掛け声を合わせて舟を焼き、火矢を放ち、その兵士に試して言うには、『越国の宝は、すべて、ここに居る。』と。越王は自身でその兵士たちを鼓舞して進軍させた。兵士たちは進軍の鼓の音を聞いて、隊伍の列を破り、行軍の順を乱して、火中に踏み込み死亡する者が左軍右軍に百人余りがいた。越王は鐘を打ち鳴らして行軍を退却させた。このような行いの理由を子墨子が語って言われたことには、『そのような小食や粗末な衣装、己が身を殺して名を揚げるようなことは、これは天下の百姓の、皆が難事とするものだ。』と。もし、仮に国君がそれを誉めれば、衆はきっとこれを行う。まして、互いに立場を尊重し互いに愛しみ、互いに相手を利させる、この決まりを行わせることは、このような難事とは異なるのである。人を愛しむ者は、人もまたその愛しみにより、その者を愛しみ、人を利する者は、人もまたその利することにより、その者を利し、人を憎む者は、人もまたその憎しみにより、その者を憎み、人を害する者は、人もまたその害することにより、その者を害する。これには何か難しいことがあるのだろうか。殊更、上の者はこれを統治として行わず、士分の者はこれを行わないからである。
しかしそうではあるが、今、天下の士君子が言うには、『なるほど、「兼」、互いに立場を尊重するようなことは、いいことだ。そうではあるが、実行するのは難しいもので、例えば、太山を引っ提げて黄河や濟水を越えるようなものだ。』と。子墨子の言われたことには、『これはその例えには当たらない。』と。その例えは、太山を引っ提げて黄河や濟水を越えるということは、それは究極の力持ちと言うべきものであって、古代から今までに未だそのようなことを行った者はいないのだ。ところが、「兼」、互いに立場を尊重し互いに愛しみ、互いに相手を利させる決まりを行わせることは、それとは違い、古代の聖王はこれを行ったのだ。どのようなことでそのことを知ったのか。古代の禹王は天下を治め、西は西河に漁竇の水路を作り、それにより渠孫皇の水路の水を交え、北は原泒に堤防を築き、后の邸に川水を注ぎ、呼池の竇で、黄河の川筋を分かち、底柱山を作り、山を鑿ち、龍門を作り、それにより燕、代、胡、貉と西河の民を利した。東は陸地の水を流し、孟諸の澤に堤防を築き、流れを変えて九澮とし、それにより東方の大地の水を制御して、その結果として冀州の民を利し、南は江、漢、淮、汝の河川を治め、東流させて、五湖の一帯に注ぎ、それにより荊、楚、干、越と南夷の民を利した。これは禹王の「兼」、互いに立場を尊重することを行うと云うことを言い、私は、今、「兼」、互いに立場を尊重することを行うのだ。
昔、文王は西方の国土を治めるにあたって、太陽のように月のように、王の御威光を西方の四方に及ぼし、それで大国は小国を侮辱せず、衆庶の民は独居老人を侮辱せず、暴徒は農民の黍、稷、犬、豚などの穀物家畜を奪わなかった。天は文王の慈悲の行いを心にかけて応対し、これにより年老いて子がいない者も無事に寿命を終えることが出来、孤独で兄弟のいない者も生業を行う人々と混じり合うことが出来、幼くして父母を失った者も人の助けを得て成長することが出来た。これは文王の事績である。それで、私は「兼」、互いに立場を尊重することを行うのだ。昔の武王は、泰山の洞窟で祭事を行い、伝えて言うには、『泰山、有道の曾孫、周王はここに祭事を行い、殷を討伐する大事を既に獲た。仁の人によって商・夏の蛮夷・醜貉の民が我を敬うことを為すことへ意を重ねることを願う。たとえ、親戚であるとしても、仁なる人には及ばない。もし、万国に天の罪が有るのならば、その罪は私一人にある。』と。これは武王の「兼」、互いに立場を尊重することを行うと云うことを言い、私は、今、その「兼」、互いに立場を尊重することを行う。
このような訳で子墨子が語って言われたことには、『今、天下の君子、まことに天下が富むことを願い、そして天下が貧しくなることを憎み、天下が治まることを願い、そして天下が乱れることを憎むのならば、互いに立場を尊重して互いが愛しみ、互いにそれぞれを利するべきである。これは聖王の法であって、天下の統治の道であり、実行しない訳にはいかないのだ。』と。
 
注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。
墨子の根本思想に「無条件の公平」と云うものはありません。天が定めた天子を頂点とするピラミッド型の階級社会構造が前提です。また、このピラミッド型の階級社会構造が前提の為に、上位下達の統治体制が基準とします。ただし、階級社会構造は職務実力成果主義の思想を提案します。このような思想を前提とする判断から、「兼」の解釈には「幷也。相從也。」を採用し、「互いに立場を尊重する」の意味としています。公平や無差別平等とは意味合いを異にします。

《兼愛中》:原文
子墨子言曰、仁人之所以為事者、必興天下之利、除去天下之害、以此為事者也。然則天下之利何也。天下之害何也。子墨子言曰、今若國之與國之相攻、家之與家之相簒、人之與人之相賊、君臣不惠忠、父子不慈孝、兄弟不和調、此則天下之害也。
然則察此害亦何用生哉。以不相愛生邪。子墨子言、以不相愛生。今諸侯獨知愛其國、不愛人之國、是以不憚挙其國以攻人之國。今家主獨知愛其家、而不愛人之家、是以不憚挙其家以簒人之家。今人獨知愛其身、不愛人之身、是以不憚挙其身以賊人之身。是故諸侯不相愛則必野戦。家主不相愛則必相簒、人與人不相愛則必相賊、君臣不相愛則不惠忠、父子不相愛則不慈孝、兄弟不相愛則不和調。天下之人皆不相愛、強必執弱、富必侮貧、貴必敖賤、詐必欺愚。凡天下禍簒怨恨、其所以起者、以不相愛生也、是以仁者非之。
既以非之、何以易之。子墨子言曰、以兼相愛交相利之法易之。然則兼相愛交相利之法将柰何哉。子墨子言、視人之國若視其國、視人之家若視其家、視人之身若視其身。是故諸侯相愛則不野戦、家主相愛則不相簒、人與人相愛則不相賊、君臣相愛則惠忠、父子相愛則慈孝、兄弟相愛則和調。天下之人皆相愛、強不執弱、衆不劫寡、富不侮貧、貴不敖賤、詐不欺愚。凡天下禍簒怨恨可使毋起者、以相愛生也、是以仁者誉之。
然而今天下之士君子曰、然、乃若兼則善矣、雖然、天下之難物于故也。子墨子言曰、天下之士君子、特不識其利、辯其故也。今若夫攻城野戦、殺身為名、此天下百姓之所皆難也、苟君説之、則士衆能為之。況於兼相愛、交相利、則與此異。夫愛人者、人必従而愛之、利人者、人必従而利之、悪人者、人必従而悪之、害人者、人必従而害之。此何難之有。特上弗以為政、士不以為行故也。
昔者晋文公好士之悪衣、故文公之臣皆牂羊之裘、韋以帯剣、練帛之冠、入以見於君、出以踐於朝。是其故何也。君説之、故臣為之也。昔者楚靈王好士細要、故靈王之臣皆以一飯為節、肱息然後帯、扶牆然後起。比期年、朝有黧黒之色。是其故何也。君説之、故臣能之也。昔越王句踐好士之勇、教馴其臣、和合之焚舟失火、試其士曰、越國之寶盡在此。越王親自鼓其士而進之。士聞鼓音、破碎乱行、蹈火而死者左右百人有餘。越王撃金而退之。
是故子墨子言曰、乃若夫少食、悪衣、殺身而為名、此天下百姓之所皆難也。若苟君説之、則衆能為之。況兼相愛、交相利、與此異矣。夫愛人者、人亦従而愛之、利人者、人亦従而利之、悪人者、人亦従而悪之、害人者、人亦従而害之。此何難之有焉、特上不以為政而士不以為行故也。
然而今天下之士君子曰、然、乃若兼則善矣。雖然、不可行之物也。譬若挈太山越河濟也。子墨子言、是非其譬也。夫挈太山而越河濟、可謂畢劫有力矣、自古及今未有能行之者也。況乎兼相愛、交相利、則與此異。古者聖王行之。何以知其然。古者禹治天下、西為西河漁竇、以泄渠孫皇之水、北為防原泒、注后之邸、呼池之竇、洒為底柱、鑿為龍門、以利燕、代、胡、貉與西河之民。東方漏之陸防孟諸之澤、灑為九澮、以楗東土之水、以利冀州之民。南為江、漢、淮、汝、東流之、注五湖之處、以利荊、楚、干、越與南夷之民。此言禹之事。吾今行兼矣。
昔者文王之治西土、若日若月、乍光于四方于西土。不為大國侮小國、不為衆庶侮鰥寡、不為暴勢奪穡人黍、稷、狗、彘。天屑臨文王慈、是以老而無子者、有所得終其壽、連獨無兄弟者、有所雑於生人之閒、少失其父母者、有所放依而長。此文王之事、則吾今行兼矣。昔者武王将事泰山隧、傳曰、泰山、有道曾孫周王有事、大事既獲、仁人尚作、以祗商夏、蠻夷醜貉。雖有周親、不若仁人、萬方有罪、維予一人。此言文王之事、吾今行兼矣。
是故子墨子言曰、今天下之君子、忠實欲天下之富、而悪其貧、欲天下之治、而悪其乱、當兼相愛、交相利。此聖王之法、天下之治道也。不可不務為也。

字典を使用するときに注意すべき文字
兼、相従也。 互いに尊重する、の意あり。
和、相應也、順也。 こおうする、かけごえにしたがう、の意あり。
竇、又水道也。 すいろ、うんが、の意あり。
以、爲也、又因也。 なす、ゆらい、の意あり。
泄、去也、又雜也。 まじわる、の意あり。
方、放也。 はなつ、の意あり。
防、隄也。 つつみ、堤防を築く、の意あり。
楗、限門也。 せき、すいもん、の意あり。
爲,治也。 おさめる、の意あり。
辯、治也。又詳審也。 わきまえる、あきらかにする、の意あり。
屑、淸也,顧也 いさぎよし、かへりみる、の意あり。
乍、止也。 やむ、およぶ、の意あり。
祗、敬也。又示也。 うやまう、しめす、の意あり。

《兼愛中》:読み下し
子墨子の言いて曰く、仁人の事を為す所以(ゆえん)のものは、必ず天下の利を興し、天下の害を除去す。此を以って事を為すものなり。然らば則ち天下の利は何ぞや。天下の害は何ぞや。子墨子の
言いて曰く、今、之の國と之の國は相攻め、之の家と之の家は相(あい)簒(うば)ひ、之の人と之の人は相(あひ)賊(そこな)ひ、君臣は惠忠(けいちゅう)ならず、父子は慈孝ならず、兄弟は和調せざるが若き、此れ則ち天下の害なり。
然らば則ち此の害を察するに、亦た何を用ひて生ずるや。相愛せざるを以って生ずるや。子墨子の言く、相愛せざるを以って生ず。今、諸侯は獨り其の國を愛しむを知り、人の國を愛しまず。是を以って其の國を挙げて以って人の國を攻むることを憚らず。今、家主は獨り其の家を愛しむを知り、而に人の家を愛しまず。是を以って其の家を挙げて以って人の家を簒(うば)ふことを憚らず。今、人は獨り其の身を愛しむを知り、人の身を愛しまず。是を以って其の身を挙げて以って人の身を賊(そこな)ふことを憚らず。是の故に諸侯が相愛せざれば、則ち必ず野に戦ふ。家主が相愛せざれば、則ち必ず相(あひ)簒(うば)ひ、人と人と相愛せざれば、則ち必ず相(あひ)賊(そこな)ひ、君臣が相愛せざれば、則ち惠忠(けいちゅう)せず、父子が相愛せざれば、則ち慈孝せず、兄弟が相愛せざれば、則ち和調せず。天下の人の皆の相愛せざれば、強は必ず弱を執(と)り、富は必ず貧を侮(あなど)り、貴は必ず賤に敖(おご)り、詐は必ず愚を欺(あざむ)かむ。凡そ天下の禍簒(かさん)怨恨(えんこん)、其の起こる所以のものは、相愛せざるを以って生ずるなり。是を以って仁者は之を非とす。
既以(すで)に之を非とすも、何を以って之を易(か)へむ。子墨子の言いて曰く、兼をして相愛し交(こもご)も相利するの法(のり)を以って之を易(か)へむ。然らば則ち兼(けん)をして相愛し交(こもご)も相利するの法(のり)は将に柰何(いかん)せむとするか。子墨子の言く、人の國を視ること其の國を視るが若(ごと)くし、人の家を視ること其の家を視るが若(ごと)くし、人の身を視ること其の身を視るが若くす。是の故に諸侯が相愛せば、則ち野に戦はず、家主が相愛せば、則ち相(あい)簒(うば)はず、人と人が相愛せば、則ち相(あい)賊(そこな)はず、君臣が相愛せば、則ち惠忠(けいちゅう)し、父子が相愛せば、則ち慈孝し、兄弟が相愛せば、則ち和調す。天下の人の皆が相愛せば、強は弱を執(と)らず、衆は寡を劫(おびや)らず、富は貧を侮(あなど)らず、貴は賤に敖(おご)らず、詐は愚を欺(あざむ)かず。凡そ天下の禍簒(かさん)怨恨(えんこん)の起ること毋(な)から使(し)む可(べ)きものは、相愛するを以って生ず。是を以って仁者は之を誉む。
然り而して、今、天下の士君子の曰く、然り、乃ち兼の若きは則ち善し。然りと雖も、天下の難物(なんぶつ)于故(うこ)なり。子墨子の言いて曰く、天下の士君子、特(こと)に其の利を識らずして、其を辯(わきまえ)ぜる故なり。今、夫(か)の城を攻め野に戦ひ、身を殺し名を為すが若きは、此れ天下の百姓の皆(みな)難(かた)しとする所なり。苟しくも君が之を説べば、則ち士衆は能く之を為す。況むや兼をして相愛し、交(こもご)も相利するに於いて、則ち此れは異る。夫れ人を愛しむ者は、人は必ず従ひて而して之を愛しみ、人を利する者は、人は必ず従ひて而して之を利し、人を悪(にく)む者は、人は必ず従ひて而して之を悪(にく)み、人を害する者は、人は必ず従ひて而して之を害す。此れ何の難きことか、之れ有らむ。特(こと)に上は以って政(まつりごと)を為さず、士は以って行(こう)を為さざるが故なり。
昔(いにしへ)の晋文公は士の悪衣(あくい)を好み、故に文公の臣の皆は牂羊(そうよう)の裘(きゅう)、韋(い)を以って剣を帯び、練帛(れんはく)の冠、入りて以って君に見(まみ)え、出でて以って朝に踐(ふ)む。是の其の故は何ぞや。君は之を説(よろこ)び、故に臣は之を為すなり。昔は楚の靈王は士の細要(さいよう)を好み、故に靈王の臣の皆は一飯を以って節(せつ)を為し、肱息(こうそく)して然る後に帯(おび)し、扶牆(ふしょう)して然る後に起(た)つ。期(き)年(ねん)に比(およ)びて、朝に黧黒(れいこく)の色有り。是の其の故は何ぞや。君は之を説(よろこ)び、故に臣は能く之をなすなり。昔の越王句踐は士の勇を好み、其の臣を教馴(きょうくん)し、和(かけごえ)に之を合せ舟を焚(や)き火を失(はな)ち、其の士を試みて曰く、越國の寶(たから)盡(ことごと)く此に在り。越王は親しく自ら其の士を鼓して而して之を進めむ。士は鼓音を聞きて、碎(すい)を破り行を乱し、火を蹈(ふ)み而して死する者は左右百人有餘。越王は金を撃ち而して之を退(しりぞ)ける。是の故に子墨子の言いて曰く、乃ち夫(そ)の少食、悪衣、身を殺し而して名を為すが若きは、此れ天下の百姓の皆(みな)難(かた)しとする所なり。若(も)し苟(いや)しくも君が之を説(よろこ)べば、則ち衆は能く之を為す。況むや兼をして相愛し、交(こもご)も相利するは、此と異なる。夫(そ)れ人を愛しめば、人も亦た従ひて而して之を愛しみ、人を利する者は、人も亦た従ひて而して之を利し、人を悪(にく)む者は、人も亦た従ひて而して之を悪(にく)み、人を害する者は、人も亦た従ひて而して之を害す。此れ何の難(かた)きことか、之れ有らむ。特(こと)に上は以って政(まつりごと)を為さず而して士は以って行(こう)を為さざるが故なり。
然り而して、今、天下の士君子の曰く、然り。乃ち兼(けん)の若きは則ち善し。然りと雖も、行ふ可からざるの物なり。譬へば太山を挈(ひつさ)げて河濟を越ゆるが若し。子墨子の言く、是は其の譬(たとえ)に非ざるなり。夫れ太山を挈げて而(すで)に河濟を越へ、畢劫(ひっきょう)にして力有りと謂ふ可し。古自り今に及ぶまで未だ能く之を行ふ者有らざるなり。況むや兼をし相愛し、交(こもご)も相利すは、則ち此(し)と異なり、古の聖王は之を行ふ。何を以って其の然りを知る。古の禹は天下を治め、西は西河に漁竇(ぎょとく)を為(つく)り、以(よ)りて渠(きょ)孫皇(そんこう)の水を泄(まじ)へ、北は原泒(げんこ)に防(ぼう)を為し、后(しょう)の邸(き)に注(そそ)ぎ、呼池(こち)の竇(とく)、洒(わか)ちて底柱(ていちゅう)を為(つく)り、鑿(うが)ちて龍門(りゅうもん)を為(つく)り、以って燕、代、胡、貉と西河の民を利す。東は陸(りく)の漏(もる)を方(はな)ち孟諸(もうしょ)の澤(たく)に防(きず)き、灑(そそ)ぎて九澮(くかい)と為し、以って東土の水を楗(せき)し、以って冀州の民を利す。南は江、漢、淮、汝を為(おさ)め、東流は之を、五湖の處(ほとり)に注(そそ)ぎ、以って荊、楚、干、越と南夷の民を利す。此れ禹の事を言ふ。吾は、今、兼(けん)を行ふ。
昔は文王の西土を治むるや、日の若く月の若く、光を四方の西土に乍(およ)び、大國は為(ため)に小國を侮らず、衆庶は為に鰥寡を侮らず、暴勢は為に穡人の黍、稷、狗、彘を奪はず。天は文王の慈を屑(かへり)みて臨(のぞ)む。是を以って老(おひ)て而(しかる)に子の無き者は、其の壽(じゅ)を終わるを得る所は有り、連獨(れんどく)にして兄弟の無き者は、生人の閒に雑(まじは)る所は有り、少(おさな)くして其の父母を失ふ者は、放依(ほうい)して而(しかる)に長ずる所は有り。此れ文王の事なり。則ち吾は、今、兼(けん)を行ふ。昔の武王は将に泰山の隧(すい)に事(したが)ひ、傳へて曰く、泰山、有道の曾孫、周王に事は有り、大事は既に獲たり。仁人の以って商夏の、蠻夷(ばんい)醜貉(しゅうはく)の祗(うやま)ふことを作(な)すを尚(たつ)とぶ。周親(しゅうしん)有りと雖(いへど)も、仁人に若かず。萬方に罪有らば、維(こ)れ予(よ)一人にあり。此れ武王の事を言ふ。吾は、今、兼を行う。
是の故に子墨子の言いて曰く、今、天下の君子、忠實(まこと)に天下の富むを欲し、而して其の貧しきを悪(にく)み、天下の治を欲し、而(しかる)に其の乱るるを悪まば、當に兼(けん)をし相(あい)愛(あい)し、交(こもご)も相(あい)利(り)すべし。此れ聖王の法(のり)、天下の治道なり。務(つと)め為(な)さざる可からず。

 

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