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墨子 巻六 節用中(原文・読み下し・現代語訳)「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《節用中》:現代語訳
子墨子が語って言われたことには、『古代の明王や聖人が天下に王となり、諸侯を統治したその根源は、統治する民を愛しみ、欺くことを控え、民を利し、重税を控え、忠(あざむかず)と信(うたがわず)の気持ちを共に保ち、また、民に忠と信の気持ちを示すことを利によって行い、これをおこなうことは終身に渡り飽きることなく、死に際しても統治の行いに飽きなかった。』と。古代の明王や聖人が天下に王となり、諸侯を統治したその根源は、このような事である。
このような訳で古代の聖王は、節用の法を定め行い、そして言うことには、『およそ、天下の諸々の多くの工人、車職人、皮職人、陶工、冶金工、家具職人、大工など、おのおのがその得意とするその職に従事させよう。』と。また、言うことには、『およそ、民が使う用途にその供給が足りれば、それで十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。
古代の聖王は飲食の法を定め行い、そして言うことには、『飲食により空腹を満たし気力を蓄え、手足を強くし、耳目が聡明であるなら、それで十分だ。五つの味わい、良き香りの調和、遠国の珍しく怪しく異なった物を調達しない。』と。どのような理由でそのようなことを知ったのか。古代の堯王は天下を治め、南は交阯を慰撫し、北は幽都を降し、東西は日の出入する所に至るまで、朝貢しない者はなく、その厚き愛しみは隅々までに及んだ。(その堯王は)黍と稷とを特別に区別せず、肉料理は皿を重ねず、土の器に飯を盛り、土の器で汁をすすり、柄杓で酒を壷から酌んだ。神祀りの直会、外交の晩餐、儀式での饗宴、これらを聖王は行わなかったのだ。
古代の聖王は衣服の法を定め行い、そして言うことには、『冬は紺染の紺緅の衣を着て、軽くて暖かく、夏は葛の絺綌の衣を着て、軽くて涼しければ、それで十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。
古代の聖人は猛禽や噛みつく獣が人を襲い、民を害することのために、それに対して民に武器を使って暮らすことを教え、言うことには、『剣を帯び、剣で刺せば獣の体に突き入り、剣で振り撃てば獣の体を断ち、剣で横に払っても剣は折れない、これは剣の利点である。』と。甲冑を衣とするならば軽いことが利点で、甲冑を着て動いても武器は使用できる、これは甲冑の利点なのだ。
車は重い荷を運んで遠くに行け、車に乗れば移動は容易で、車を引けば運搬に便利だ。移動を容易にして人を疲れさせず、車の利により運搬は速やかで、これが車の利なのだ。古代の聖王は、大きな川や広い谷は渡ることが出来なかったので、舟や楫を作って民の利とし、渡ることが出来ればそれで十分だとした。上の者は三公諸侯に至ると言っても、舟や楫を特別な物には変えず、湊の人も舟や楫を飾り立てなかった。川を渡ることが舟の利なのだ。
古代の聖王は節葬の法を定め行い、そして言うことには、『衣は三枚重ね、それで肉体が腐り朽ちるのに十分で、棺の板の厚さは三寸、それで骨が朽ちるのに十分で、墓穴の深さは地下水に届かず、臭気の流れが漏れ出ないのなら、それで十分だ。死者は既に葬ったのならば、生きているものは長い期間、喪に服し、哀悼を示すことはしてはいけない。』と。
古代、人が始めて生まれ、まだ建物が無かった時代、小高い山や丘に穴を掘ってそこに住んだ。聖王はこの状況を考慮して、穴を掘って暮らすことに対して言うことには、『冬には穴居は風や寒さを避けることが出来るが、夏になると、穴居の下は湿り気を持ち、穴居の上は湿気で蒸す、おそらく民の気分を痛めるだろう。』と。それで建物を建設して、民の利とした。そうすると、その建物を作るこの方法とはいったいどうだったのか。子墨子の語って言われたことには、『その家の壁はそれにより風や寒さを防ぎ、屋根はそれにより雪霜雨露を防ぎ、その室内は清潔であれば、その家で祭祀の儀礼は行える。部屋の仕切りは男女を区分けが出来れば十分で、それで家としては十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。
 
注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。

《節用中》:原文
子墨子言曰、古者明王聖人、所以王天下、正諸侯者、彼其愛民謹忠、利民謹厚、忠信相連、又示之以利、是以終身不饜、歿世而不巻。古者明王聖人、其所以王天下正諸侯者、此也。
是故古者聖王、制為節用之法曰、凡天下群百工、輪車、韗鞄、陶、冶、梓匠、使各従事其所能、曰、凡足以奉給民用、則止。諸加費不加于民利者、聖王弗為。
古者聖王制為飲食之法曰、足以充虛継気、強股肱、耳目聰明、則止。不極五味之調、芬香之和、不致遠國珍怪異物。何以知其然。古者堯治天下、南撫交阯北降幽都、東西至日所出入、莫不賓服。逮至其厚愛、黍稷不二、羹胾不重、飯於土塯、啜於土形、斗以酌。俛仰周旋威儀之禮、聖王弗為。
古者聖王制為衣服之法曰、冬服紺緅之衣、軽且暖、夏服絺綌之衣、軽且凊、則止。諸加費不加於民利者、聖王弗為。古者聖人為猛禽狡獣、暴人害民、於是教民以兵行、日帯剣、為刺則入、撃則断、旁撃而不折、此剣之利也。甲為衣則軽且利、動則兵且従、此甲之利也。
車為服重致遠、乗之則安、引之則利、安以不傷人、利以速至、此車之利也。古者聖王為大川廣谷之不可濟、於是利為舟楫、足以将之則止。雖上者三公諸侯至、舟楫不易、津人不飾、此舟之利也。
古者聖王制為節葬之法曰、衣三領、足以朽肉、棺三寸、足以朽骸、堀穴深不通於泉、流不発洩則止。死者既葬、生者毋久喪用哀。
古者人之始生、未有宮室之時、因陵丘堀穴而處焉。聖王慮之、以為堀穴曰、冬可以辟風寒、逮夏、下潤溼、上熏烝、恐傷民之気、于是作為宮室而利。然則為宮室之法将柰何哉。子墨子言曰、其旁可以圉風寒、上可以圉雪霜雨露、其中蠲潔、可以祭祀、宮牆足以為男女之別則止、諸加費不加民利者、聖王弗為。
 
字典を使用するときに注意すべき文字
忠、而不欺也。 あざむかず、の意あり。
信、不疑也。 うたがわず、の意あり。
厚 木簡の戸籍と資産台帳の束、転じて、課税、の意あり。
且、此也。又將也。 まさに、の意あり。
旁、大也。廣也。 おおいなり、の意あり。
宮室、古時房屋的通称 家屋、部屋、の意あり。
 
 《節用中》:読み下し
子墨子の言いて曰く、古(いにしへ)の明王聖人の、天下に王となり、諸侯を正(ただ)す所以(ゆえん)のものは、彼(か)の其の民を愛しみ忠に謹(つつし)み、民を利し厚に謹(つつし)み、忠信(ちゅうしん)を相連れ、又た之に示すに利を以ってし、是を以って終身饜(あ)からず、世を歿(お)へて而(ま)た巻(う)まず。古の明王聖人の、其の天下に王となり諸侯を正(ただ)す所以(ゆえん)は、此なり。
是の故に古(いにしへ)の聖王は、節用の法(のり)を制為(せいい)して曰く、凡そ天下の群百工(ぐんひゃくこう)、輪車(りんしゃ)韗鞄(きほう)、陶(とう)冶(や)梓匠(ししょう)、各(おのおの)をして其の能くする所に従事せ使(し)めむ。曰く、凡そ以って民用を奉給するに足れば、則ち止(とどま)む。諸(もろもろ)の費(ついへ)を加へ民利を加へざるを、聖王は為さず。
古の聖王は飲食の法(のり)を制為(せいい)して曰く、以って虚に充(み)ち気を継ぎ、股肱(ここう)を強くして、耳目の聰明なるに足らば、則ち止(とどめ)む。五味(ごみ)の調、芬香(ふんこう)の和を極めず、遠國の珍怪(ちんかい)異物(いぶつ)を致さずと。何を以って其の然るを知るや。古(いにしへ)の堯は天下を治め、南は交阯を撫(ぶ)し北は幽都を降(くだ)し、東西は日の出入する所に至るまで、賓服(ひんふく)せざるは莫く、其の厚愛は至り逮(およ)ぶ。黍稷(ししょく)は二せず、羹胾(こうし)は重ねず、土塯(どりゅう)に飯(はん)し、土形(どけい)に啜(すす)り、斗(と)を以って酌(く)む。俛仰(ふぎょう)周旋(しゅうせん)威儀(いぎ)の禮、聖王は為さず。
古の聖王は衣服の法(のり)を制為(せいい)して曰く、冬は紺緅(こんしゅ)の衣を服し、軽且つ暖、夏は絺綌(ちげき)の衣を服し、軽且つ凊、則ち止(とどめ)む。諸(もろもろ)の費(ついへ)を加へ民利を加へざるを、聖王は為さず。古の聖人は猛禽(もうきん)狡獣(こうじゅう)の、人を暴(ぼう)し民を害するが為に、是に於いて民に兵(つわもの)を以(もち)いて行くことを教え、日く剣を帯び、刺すを為せば則ち入ち、撃てば則ち断ち、旁撃(ぼうげき)して而(しかる)に折れず、此れ剣の利なり。甲を衣と為せば則ち軽は且(すで)に利にして、動けば則ち兵(つわもの)は且(まさ)に従ふ、此れ甲の利なり。
車は重きを服し遠きに致すが為に、之に乗るは則ち安(やす)く、之を引けは則ち利す。安くして以って人を傷(いた)めず、利を以って至るは速し、此れ車の利なり。古の聖王は大川廣谷の濟(わた)る可からざるが為に、是に於いて舟楫(しゅうふ)を為(つく)るを利とし、以って之を将(おこな)ふに足れば則ち止(とどめ)む。上(うえ)は三公諸侯に至ると雖へども、舟楫(しゅうふ)を易(か)へず、津(みなと)の人(ひと)は飾らず、此れ舟の利なり。
古の聖王は節葬の法(のり)を制為(せいい)して曰く、衣三領、以って肉の朽(くち)るに足り、棺三寸、以って骸の朽(くち)るに足り、堀穴の深さは泉に通ぜす、流は発洩(はつろ)せずば則ち止(とどめ)む。死者は既に葬むれば、生者は久喪して哀(あい)を用いること毋(なか)れ。古(いにしへ)、人が始めて生まれ、未だ宮室は有らざる時、陵丘に穴を掘り因(よ)りて而(すなは)ち焉(これ)に處(す)む。聖王は之を慮(おもんばか)り、以って穴を掘るを為すに曰く、冬は以って風寒を辟(さく)く可くも、夏に逮(およ)び、下は潤溼(じゅんふ)し、上は熏烝(くんじょう)す、恐く民の気を傷(いた)めむ。是に于(おい)て宮室を作為(さくい)して而(すなは)ち利とす。然らば則ち宮室を為(つく)る之の法(のり)は将に柰何(いかん)とせむや。子墨子の言いて曰く、其の旁(おおい)なるは以って風寒を圉(ふせ)ぐ可く、上には以って雪霜雨露を圉(ふせ)ぐ可く、其の中は蠲潔(けんけつ)にて、以(ゆえ)に祭祀(さいし)す可し。宮牆(きゅうしょう)は以って男女の別を為すに足りれば、則ち止(とどま)る。諸(もろもろ)の費(ついへ)を加へ民利を加えずば、聖王は為さず。
 

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