墨子 巻一 辭過(原文・読み下し・現代語訳)「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠
《辭過》:現代語訳
子墨子が言われたことがある、『古代の民がまだ建物を作ることを知らなかった時代、丘陵に住み着いて居り穴を掘って宿るも住居の下は湿って民の健康を損ねた。そこで聖王は王の位に就いて建物を作った。』と。建物の建設の方法は、伝えて言うには『建物の高さは湿気を防ぐのに足り、建物の壁は風寒を防ぐのに足り、屋上は雪霜雨露を保持するのに足り、王宮の垣根の高さは男女の礼に従って男女を分けるのに足り、この程度であれば十分だ』と。およそ、財を費やし民の力を労しても利益を得られないものは行わなかった。民に賦役を課してその城郭を整備しても民はその賦役に苦労をしても害悪とはならず、一定の税率の決まりで租税を徴収すれば民は出費となっても重税との思いに悩まない。民が苦しむのはこの様では無く、税率を厚くして百姓から税を取り立てることに苦しむのである。このために聖王は王宮を建設して自らの生活の便宜を為したが、王宮を荘厳にして観て楽しむことはしなかった。衣服・帯・履をつくって自らの身体の便宜を為したが、珍奇な器物は作らなかった。このように身に節度を保ち、それを民に教え、そしてそれを天下の民が心得ることで政治を治めるべきであり、財の使いようを心得て財を充足すべきである。
当代の君主の、その王宮を作る様はこれとは異なる。必ず税率を厚くして百姓から重税を取り立て、民の衣服や食料を暴奪し、その税収で王宮の楼閣・望楼の眺めや、青や黄と美しくし彫刻の飾りを作る。当代の君主の王宮を建設する様はこれと同じ様だ。このため左右の臣下の皆はこれを己の建物を作るときのやり方として真似ねる。このようにしてその国の財は凶饑の来襲に備えることや孤児や寡婦の生活を賑わすには足らず、そのため国は貧しいので民を統治することは難しい。君主がまことに天下の治世を求め、そしてその統治の乱れることを憎むなら王宮を建設することに節度を持たなければならない。
古代の民が未だ衣服を作ることを知らなかった時代、動物の皮を着て縄を帯とし、冬にはその皮の服は軽くもなく暖かくも無いし、夏には軽くもなく涼しくもなかった。聖王は皮の服は人の求めるものにそぐわないと思い、それで婦人に教えて絹糸や麻糸を広め、麻布や絹布を織り、それで民の服を作らせた。衣服を作るやり方は、冬にはねり絹の中衣を着、軽く身を暖かくするのに足り、夏には葛布の中衣を着、軽く身を涼しくすれば足りるとし、この程度であれば十分とした。それにしたがい、聖王は衣服を作り、身体に衣服の大きさが合い肌に馴染むと足りるとした。耳や目の周りを飾り愚民に君主の衣服の華美を観せるものではなかった。その当時は堅牢な馬車や良馬も他のものよりも特段に貴ぶことを知らず、技巧の彫刻や優れた文飾を持つことも他のものをもつよりも特段に喜ぶことを知らなかった。それがどうしてかと言うと、その当時の民の生活が古代の民の生活、そのままだったからだ。民の衣食の財が家ごとに干ばつや水害からの凶饑の時の備えに足りたのはどうしてなのだろうか。それは民が自らの生活を行っていく実情を心得ていて、その生活の枠の外のことに感化されなかったからだ。このようであったからその時代の民は倹約をし、そして統治しやすく、その時代の君主は財を使用するのに節度があり財は充足しやすかった。国の倉庫は宝で満ち、変事の備えに足りた。兵卒への武器は充足し、士と民は苦労せず、服従せるべき敵を征伐するに足りた。それで聖王は覇王の事業を天下に行うことが出来た。
当代の君主は、その衣服を作る様はこれとは異なる。冬には軽くて身は暖かく、夏には軽く身は涼しい、これらはすでに当代の衣服に備わっている。君主は必ず税率を厚くして百姓から重税を取り立て、民の衣食の財を暴奪し、その税収で綾錦の美しく色彩豊かな衣を作り、黄金を鋳て帯金を作り、珠玉を使って佩び玉を作り、女の工人は綾模様の飾り物を作り、男の工人は彫刻の飾り物を作り、それを君主の服装にとする。これらは冬に身を暖かいとの気持ちを増すことがあるわけではない。財を費やし民の労働を労するが、ことごとくこれらは無用のものに帰するのである。これらのことから君王の行う様を眺めると、その衣服を作るのは身体のためではない、それらすべては見栄えを良くするためのもので、このようなことのためにその国の民の感情は淫らで邪となるので統治は困難となり、その国の君主は自らが奢侈であるのでそのような民を諫めることは困難だ。それは奢侈な君主により淫らで邪な民を上手に治め、国が乱れることが無いようにと願っても、それは出来ないことである。君主がまことに天下が治世となることを願い、世が乱れることを憎むのなら、己の衣服を作ることに節制をしないわけにはいかないのだ。
古代の民が未だ飲食の調理をすることを知らなかった時代、食材そのままを食し、土地に分散して住んでいた、それで聖人は料理を作り、男たちに耕作播種や果樹園芸の技術を教え、民に食文化を作らせた。その食文化を作るにおいて、食欲を増し空腹を満たし、体を強くし腹を満たすのに足りればそれで止めた。そのためにその財を使用することに節度があり、その財で自らを養うことに倹約があるので、民は富み、国は治まった。
今はそうではなく、税率を厚くして百姓から重税を取り立て、その税収で牛羊の料理や犬豚の料理の美食、魚介類を蒸したり焼いたりする料理を行い、大国は料理の皿を百器も並べ、小国は十器も並べ、その量は集う人々の目の前に一丈四方の広さであり、一目ですべてを視ることは出来ないほどで、手ですべてを取って食することは出来ないほどで、口ですべてを味わい尽くすことは出来ないほどで、冬は料理が寒さで凍りつき、夏は料理が腐敗してすっぱくなった。人々の君主が飲食の料理を行うことはこのありさまなので、それで左右の臣下は君主の例にならった。このようなありさまなので富貴な人々は奢侈になり、孤児や寡婦の人々は凍え餓え、政治が乱れないことを望んでも、それは実現できない。君主がまことに天下が治世となることを願い、世が乱れることを憎むなら、飲食を調理することに節度を持たなければならない。
古代の民が未だ舟や車を作ることを知らなかった時代、重い荷物は移動させず、運搬では遠い路程は取らなかった。それで民の中から聖王が生まれて舟や車を作り、それにより民の仕事を便利にした。その舟や車を作るには、安全で堅固にして軽くて利便性があり、そのため重い荷物を載せて遠くに運ぶことが出来、それを作るときに財を使用する量は少ないが、利を得ることは多かった。それで民はこれを喜んで使用した。貨物輸送の方法を法令で厳しく指導しなくても行われ、民は苦労することなく、上の者はそれを貨物輸送に使用することに足り、それで民は君主の指導に従った。
当代の君主の舟や車を作る様はこれとは違う。安全で堅固にして軽くて利便性があることは既に備わっているが、君主は必ず税率を厚くして百姓から重税を取り立て、その税収で舟や車を飾り立てる。車を飾り立てるには綾錦で色鮮やかにし、舟を飾り立てるには美しい彫刻をもってし、女子は紡織を行うのを止め、綾錦を作り納入し、そのために民は衣服が不足して冬に身は寒い。男子は耕作や農作業を止め、美しい彫刻を作り納入し、そのために民は餓える。人民の君主が舟や車を作ることはこのようなありさまなので、それで左右の臣下は君主の例にならい、そのためにその国の民は餓えや寒さがそろってやって来ると、それで民は生きるために犯罪を起こすのである。犯罪が多ければそれを防止する刑罰の規則は重くなり、刑罰の程度が重くなれば国の治安は乱れる。君主がまことに天下の治世を願いその国の世が乱れるのを憎むならば、舟や車を作るときには節度がなければならない。
およそ、天地の間をめぐり、四海の内を包む、天上大地の情欲、陰陽の和合、それらが存在しないわけはない。至聖といえども、これらの情欲を改めることは出来ない。どうして、それを知ることが出来たのか。それは聖人の伝えることが有って、『天地とは上下であり、四時とは陰陽であり、人情とは男女であり、禽獣とは牡牝雄雌なのだ。まことに天上大地の情欲は、先の時代の聖王にその情欲はあれども、改めることは出来なかった。』と。上代の時代の至聖であっても必ず情欲を己が心に差し挟むが、それで自らの行いをそこねることはなく、そのため民は至聖の行いを怨むことはなかった。宮中にその生涯で身分を拘束された美女の宮女はおらず、それで天下に寡夫はいない。宮殿の内に拘女はおらず、宮殿の外に寡夫はいない、それで天下の民は多いのだ。
当代の君主の情欲を己が心に差し挟むその姿からは、大国ではその生涯で身分を拘束された美女の宮女は千人を越え、小国では百人を越え、このために天下の男の多くは独身者で妻が無く、女の多くは宮殿の内に拘束されて夫を持てず、男女は子を生す時節を失い、それで民は少ない。君主はまことに民が多くなることを願うならば、その国の独り者を憎み、まことに情欲を己が心に差し挟むことに節度をもたなければならない。
およそ、この、建築・衣服・食事・乗物・性欲の五つのことは、聖人は倹約と節度を為すところのもので、小人は快楽に溺れるところのものである。倹約と節度を保てば国は盛んになり、快楽に溺れると国は亡ぶ。この五つのことには節度を持たなければならない。夫婦が節度を保てば天地は和らぎ、風雨に節度があれば五穀は熟し、衣服に節度があれば肌は和らぐ。
注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。
《辭過》:原文
子墨子曰、古之民、未知為宮室時、就陵阜而居、穴而處、下潤濕傷民、故聖王作為宮室。為宮室之法、曰、室高足以辟潤濕、邊足以圉風寒、上足以待雪霜雨露、宮牆之高、足以別男女之禮、謹此則止。費凡財労力、不加利者、不為也。役、脩其城郭、則民労而不傷、以其常正、收其租税、則民費而不病。民所苦者非此也、苦於厚作斂於百姓。是故聖王作為宮室、便於生、不以為観楽也。作為衣服帯履、便於身、不以為辟怪也、故節於身、誨於民、是以天下之民可得而治、財用可得而足。
當今之主、其為宮室則與此異矣。必厚作斂於百姓、暴奪民衣食之財、以為宮室、臺榭曲直之望、青黄刻鏤之飾。為宮室若此、故左右皆法象之、是以其財不足以待凶饑、振孤寡、故國貧而民難治也。君實欲天下之治、而悪其乱也、當為宮室不可不節。
古之民、未知為衣服時、衣皮帯茭、冬則不軽而溫、夏則不軽而凊。聖王以為不中人之情、故作誨婦人治絲麻、梱布絹、以為民衣。為衣服之法、冬則練帛之中、足以為軽且煖、夏則絺綌之中、足以為軽且凊、謹此則止。故聖人之為衣服、適身體和肌膚而足矣。非栄耳目而観愚民也。當是之時、堅車良馬不知貴也、刻鏤文采、不知喜也。何則。其所道之然。故民衣食之財、家足以待旱水凶饑者、何也。得其所以自養之情、而不感於外也。是以其民倹而易治、其君用財節而易贍也。府庫實満、足以待不然。兵革不頓、士民不労、足以征不服。故霸王之業、可行於天下矣。
當今之主、其為衣服則與此異矣、冬則軽煗、夏則軽凊、皆已具矣。必厚作斂於百姓、暴奪民衣食之財、以為錦繡文采靡曼之衣、鑄金以為鉤、珠玉以為珮、女工作文采、男工作刻鏤、以為身服、此非云益煗之情也。單財労力、畢歸之於無用也、以此観之、其為衣服非為身體、皆為観好、是以其民淫僻而難治、其君奢侈而難諫也。夫以奢侈之君、御妤淫僻之民、欲國無乱、不可得也。君實欲天下之治而悪其乱、當為衣服不可不節。
古之民未知為飲食時、素食而分處、故聖人作誨男耕稼樹藝、以為民食。其為食也、足以增気充虛、彊體適腹而巳矣。故其用財節、其自養倹、民富國治。
今則不然、厚作斂於百姓、以為美食芻豢、蒸炙魚鱉、大國累百器、小國累十器、前方丈、目不能遍視、手不能遍操、口不能遍味、冬則凍冰、夏則餲饐、人君為飲食如此、故左右象之。是以富貴者奢侈、孤寡者凍餒、雖欲無乱、不可得也。君實欲天下治而悪其乱、當為食飲、不可不節。
古之民未知為舟車時、重任不移、遠道不至、故聖王作為舟車、以便民之事。其為舟車也、完固軽利、可以任重致遠、其為用財少、而為利多、是以民楽而利之。故法令不急而行、民不労而上足用、故民歸之。
當今之主、其為舟車與此異矣。完固軽利皆已具、必厚作斂於百姓、以飾舟車。飾車以文采、飾舟以刻鏤、女子廃其紡織而脩文采、故民寒。男子離其耕稼而脩刻鏤、故民饑。人君為舟車若此、故左右象之、是以其民饑寒並至、故為姦袤。姦邪多則刑罰深、刑罰深則國乱。君實欲天下之治而悪其乱、當為舟車、不可不節。
凡回於天地之間、包於四海之内、天壤之情、陰陽之和、莫不有也、雖至聖不能更也。何以知其然。聖人有傳、天地也、則曰上下、四時也、則曰陰陽、人情也、則曰男女、禽獣也、則曰牡牝雄雌也。真天壤之情、雖有先王不能更也。雖上世至聖、必蓄私、不以傷行、故民無怨。宮無拘女、故天下無寡夫。内無拘女、外無寡夫、故天下之民衆。
當今之君、其蓄私也、大國拘女累千、小國累百、是以天下之男多寡無妻、女多拘無夫、男女失時、故民少。君實欲民之衆而悪其寡、當蓄私不可不節。凡此五者、聖人之所倹節也、小人之所淫佚也。倹節則昌、淫佚則亡、此五者不可不節。夫婦節而天地和、風雨節而五穀孰、衣服節而肌膚和。
字典を使用するときに注意すべき文字
宮室、古時房屋的通称 家屋、部屋、の意あり。
頓、壞也、緩也。 こぼす、ゆるむ、の意あり。
厚、木簡で作った人別台帳や資産台帳 転じて、課税台帳、の意あり。
《辭過》:読み下し
子墨子の曰く、古(いにしへ)の民、未だ宮室を為ることを知らざりし時、陵阜(りょうふ)に就(つ)きて而して居り、穴して而して處り、下は潤濕(じゅんしふ)にして民を傷(そこな)ふ、故に聖王は作(な)りて宮室を為(つく)れり。宮室を為(つく)る法、曰く、室の高さは以って潤濕(じゅんしふ)を辟(さ)くるに足り、邊は以って風寒を圉(ふせ)ぐに足り、上は以って雪霜雨露を待つに足り、宮牆(きゅうしょう)の高さは、以って男女の禮を別つに足る、謹(わづか)に此れなれば則ち止む。凡そ財を費(ついや)し力を労して、利を加へざる者は、為(な)さざるなり。役にて、其の城郭を脩(おさ)めば、則ち民は労すれど而(しかる)に傷(や)まず、其の常正(じょうせい)を以って、其の租税を収めば、則ち民は費(ついや)せども而に病(や)まず。民の苦しむ所のものは此に非ざるなり、厚に於いて百姓を作斂(さくれん)するに苦しむ。是の故に聖王は宮室を作為して、生を便(べん)にし、以って観楽(かんらく)を為(な)さざるなり。衣服(いふく)帯履(たいり)を作為(さくい)し、身を便(べん)にし、以って辟怪(へきかい)を為さざるなり。故に身を節して、民を誨(おし)ふ、是を以って天下の民は得て而(すで)に治む可し、財用は得て而(すで)に足る可し。
當今(とうこん)の主、其の宮室を為るは則ち此れと異る。必ず厚に於いて百姓を作斂(さくれん)し、民の衣食の財を暴奪し、以って宮室の、臺榭(だいしゃ)曲直(きょくちょく)の望(ぼう)、青黄(せいこう)刻鏤(こくろう)の飾(しょく)を為(つく)る。宮室を為(つく)ること此の若(ごと)し。故に左右の皆は之に法象(ほうしょう)す。是を以って其の財は以って凶饑(きょうき)を待ち、孤寡(ここう)を振(にぎ)はずに足らず、故に國は貧くして而(すで)に民は治め難し。君の實(まこと)に天下の治を欲し、而(しかる)に其の乱を悪まば、當(まさ)に宮室を為ることは節(せつ)せざる可からず。
古の民、未だ衣服を為(つく)ることを知らざりし時、皮を衣て茭(なは)を帯ぶ、冬は則ち軽からず而(しかる)に溫(あたた)かならず、夏は則ち軽からず而(しかる)に凊(すず)しからず。聖王は以って人の情(じょう)の中(あた)らずと為す、故に婦人に誨(おし)へ絲麻(しま)を治め、布絹(ふけん)を梱(お)り、以って民の衣を為らしむ。衣服を為(つく)る法は、冬は則ち練帛(れんぱく)の中、以って軽くして且つ煖から為むるに足る、夏は則ち絺綌(ちげき)の中、以って軽くして且つ凊(すず)しから為むるに足る、謹(わづか)に此なれば則ち止む。故に聖人は衣服を為(つく)り、身體に適(かな)ひ肌膚(きふ)の和げば而(すなは)ち足る。耳目を栄(かざ)り而(しかる)に愚民に観(み)せるに非ざるなり。當(まさ)に是の時、堅車(けんしゃ)良馬(りょうば)も、貴(とうと)ぶことを知らず、刻鏤(こくろう)文采(ぶんさい)も、喜ぶことを知らず。何となれば則ち、其の道(ならひ)とする所は之れ然(そのまま)なり。故に民の衣食の財は、家ごとに以って旱水(かんすい)凶饑(きょうき)を待つに足れるは、何ぞや。其の自ら養ふ所以(ゆえん)の情(ありさま)を得て、而して外に感ぜざればなり。是を以って其の民は倹(けん)にして而して治め易く、其の君は財を用ふること節(せつ)にして而して贍(たり)り易(やす)し。府庫(ふこ)は實(まこと)に満し、以って不然(ふぜん)を待つに足る。兵革(へいかく)は頓(ゆる)まず、士民は労せず、以って服(ふくす)を征するに足る。故に霸王(はおう)の業(ぎょう)、天下に行ふ可し。
當今(とうこん)の主、其の衣服を為(つく)るは則ち此と異なり、冬は則ち軽煗(けいだん)、夏は則ち軽凊(けいせい)、皆は已(すで)に具(そなは)る。必ず厚に於いて百姓を作斂(さくれん)し、民の衣食の財を暴奪(ぼうだつ)し、以って錦繡(きんしゅう)文采(ぶんさい)靡曼(びまん)の衣を為(つく)り、金を鑄(い)て以って鉤(こう)を為(つく)り、珠玉(しゅぎょく)を以って珮(はい)を為(つく)り、女工は文采(ぶんさい)を作り、男工は刻鏤(こくろう)を作り、以って身服と為す、此れ煗(だん)の情(じょう)の益すこと云(あ)るに非ざるなり。財を単(つく)し力を労し、畢(ことごと)く之を無用に歸するなり。此を以って之を観れば、其の衣服を為るは身體の為に非ず、皆の観好(かんこう)の為にして、是を以って其の民は淫僻(いんへき)にして而して治め難く、其の君は奢侈(しゃし)にして而(すで)に諫(いさ)め難(かた)しなり。夫れ奢侈(しゃし)の君を以って、淫僻(いんへき)の民を御妤(ごにょ)とし、國の乱るること無きを欲すとも、得(う)可(べ)からざるなり。君の實(まこと)に天下の治を欲し而(しかる)に其の乱を悪み、當に衣服を為(な)することは節(せつ)せざる可からず。
古の民の未だ飲食を為ることを知らざりし時、素食(そしょく)して而して分處(ぶんしょ)せり、故に聖人は作ちて男に耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)を誨(おし)へ、以って民の食を為(つく)らしむ。其の食を為(つく)るや、以って気を增(ま)し虚を充(みた)し、體を彊(つよ)くし腹を適(みた)すに足り而して已(や)む。故に其の財を用ふること節に、其の自ら養ふこと倹に、民は富み國は治まる。
今は則ち然らず、厚に於いて百姓を作斂(さくれん)し、以って美食(びしょく)芻豢(すうこう)、蒸炙(じょうしゃ)魚鱉(ぎょべつ)を為(つく)り、大國は百器を累(かさ)ね、小國は十器を累(かさ)ね、前は方丈(ほうじょう)にして、目は遍(あまね)く視ること能はず、手は遍(あまね)く操(と)ること能はず、口は遍(あまね)く味(あじ)ふこと能はず、冬は則ち凍冰(とうひょう)し、夏は則ち餲饐(あいい)し、人君は飲食を為(つく)ること此の如し、故に左右は之に象(かたど)る。是を以って富貴なる者は奢侈(しゃし)に、孤寡(こかん)なる者は凍餒(とうたい)し、乱るること無からむと欲すと雖(いへど)も、得(う)可(べ)からざるなり。君の實(まこと)に天下の治を欲し而して其の乱るるを悪(にく)み、當に食飲を為(つく)ることは、節(せつ)せざる可からず。
古の民は未だ舟車(しうじゃ)を為(つく)ることを知らざりし時、重任(じゅうにん)は移さず、遠道(えんどう)は至らず。故に聖王は作(おこ)りて舟車を為(つく)り、以って民の事を便(べん)にす。其の舟車を為るや、完固(かんこ)軽利(けいり)にして、以って重きに任じ遠きに致す可く、其の財を用ふるを為(な)すこと少くして、而に利を為(な)すこと多し、是を以って民は楽(たのし)みて而して之を利す。故に法令(ほうれい)は急(きゅう)にせずして而に行はれ、民は労せずして而して上(かみ)は用(もち)ふるに足る、故に民(たみ)は之に歸(き)す。
當今(とうこん)の主、其の舟車を為るは此と異り。完固(かんこ)軽利(けいり)は皆(みな)已(すで)に具(そな)はるも、必ず厚に於いて百姓を作斂(さくれん)して、以って舟車を飾(かざ)る。車を飾(かざ)るを文采(ぶんさい)を以って、舟を飾るに刻鏤(こくろう)を以って、女子は其の紡織(ぼうしょく)を廃(はい)して而して文采(ぶんさい)を脩(おさ)め、故に民は寒(さむ)し。男子は其の耕稼(こうか)を離れ而して刻鏤(こくろう)を脩(おさ)め、故に民は饑(う)う。人君の舟車を為ること此の若(ごと)く、故に左右の之を象(かたど)り、是を以って其の民は饑寒(きかん)並ぶに至り、故に姦袤(かんじゃ)を為す。姦邪(かんじゃ)の多ければ則ち刑罰は深く、刑罰の深ければ則ち國は乱るる。君は實(まこと)に天下の治を欲し而して其の乱るるを悪(にく)み、當(まさ)に舟車を為るは、節(せつ)せざる可からず。
凡そ天地の間を回り、四海の内を包み、天壤(てんじょう)の情(じょう)、陰陽(いんよう)の和、有らざること莫(な)し、至聖と雖(いへど)も、更(あらた)むること能はざるなり。何を以って其の然るを知るや。聖人に傳(つた)ふること有りて、天地、則ち曰く上下。四時、則ち曰く陰陽(いんよう)。人情(にんじょう)、則ち曰く男女。禽獣(きんじゅう)、則ち曰く牡牝(ぼひん)雄雌(ゆうし)なり。真(まこと)に天壤(てんじょう)の情(じょう)、先王は有りと雖(いへど)も更(あらた)むること能はざるなり。上世の至聖と雖(いへど)も、必ず私(わたくし)を蓄(やしな)ひ、以って行を傷(やぶ)らず、故に民に怨むこと無し。宮に拘女(こうじょ)は無く、故に天下に寡夫(かふ)は無し。内に拘女(こうじょ)は無く、外に寡夫(かふ)は無し、故に天下の民は衆(おお)し。
當今(とうこん)の君、其の私(わたくし)を蓄(やしな)ふや、大國の拘女(こうじょ)は千を累(かさ)ね、小國は百を累(かさ)ね、是を以って天下の男は多く寡(か)にして妻(ふ)は無く、女の多くは拘(こう)せられて夫(ふ)は無し、男女の時を失ひ、故に民は少し。君の實(まこと)に民の衆(おお)しを欲せば而して其の寡(か)を悪(にく)み、當(まこと)に私(わたくし)を蓄(やしな)ふこと節(せつ)せざる可からずとす。
凡そ此の五は、聖人の倹節(けんせつ)する所なり、小人の淫佚(いんいつ)する所なり。倹節(けんせつ)すれば則ち昌(さかん)に、淫佚(いんいつ)すれば則ち亡(ほろ)び、此の五は節(せつ)せざる可からず。夫婦(ふうふ)は節して而ち天地は和(やはら)ぎ、風雨(ふうう)は節して而ち五穀は孰(じゅく)し、衣服は節して而ち肌膚(きふ)は和(やはら)ぐ。
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