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資料編 墨子 巻六 節葬下(原文・読み下し・現代語訳)「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《節葬下》:現代語訳
子墨子の語って言われたことには、『仁なる者が天下のために物事を企てる態度は、何事かを明らかにすることにより孝なる子が親のために物事を企てる態度と異なるところはない。』と。今、孝なる子が親のために何事かを企てるときに、どのようにするだろうか。言うことには、『親が貧困なら、親を富ます物事に加わり、人民が少なければ人民を多くする物事に加わり、大衆が乱れたならば、きっと、これを治める事業に加わる。』と。このことを実行するにあたって、力が足りないことはあるだろう、財が足りないことはあるだろう、智恵が足りないことはあるだろう、その場合は孝なる行いを止めてしまうだろう。だが、力を余し、為すべき謀り事を隠し、利益を残し置き、その状況で親のために孝なる行いをしない者はいない。三つの務め(富ます、多くす、治める)がこのようであるように、孝なる子が親のために物事を企てるにあっては、まず、余力を残すようなことはしないのである。
仁なる者が天下のために物事を企てると言っても、また、このようなことなのである。言うことには、『天下の貧しき者を、きっと、この者を富ます事業に加わり、人民が少なければ多くする事業に加わり、大衆が乱れたら、きっと、これを治める事業に加わる。』と。このことを実行するにあたって、力が足りないことはあるだろう、財が足りないことはあるだろう、智恵が足りないことはあるだろう、その場合は為すべき事業を止めてしまうだろう。だが、力を余し、為すべき謀り事を隠し、残し置いた利益を捨て、その状況で天下のために仁なる行いをしない者はいない。三つの務め(富ます、多くす、治める)がこのようであるように、仁なる者が天下のために物事を企てるにあたっては、まず、余力を残すようなことはしないのである。
今、昔の三代の聖王はすでに没し、天下の正義を失うようになるに及んで、後世の君子の、ある者は、厚葬久喪を行うことが仁であり、正義であり、孝なる子の事業だと考え、ある者は、厚葬久喪を行うことが仁ではなく、正義でもなく、孝なる子の事業ではないと考える。君子の言うには、『二人の先生が互いに説くものは、言論では互いに非と言い、行動でも互いに真反対だ。』と。先生の皆が言うには、『私の説は、上代の堯王・舜王・禹王・湯王・文王・武王が行った方法を引き継ぎ述べているものなのだ。』と。然しながら、言論では互いに非と言い、行動でも互いに真反対で、それで後世の君子は、この二人の先生の言論に疑惑を持つ。もし仮にこの二人の先生の言論に疑惑を持つのなら、それではしばらく試みに、この言論を引用し、その説が述べるところのことがらを国家万民に行わせて、その言論の結果を見てみよう。
厚葬久喪は、どうしてこの三つの利を企てることが出来るのだろうか。私が考えるに、もし、厚葬久喪が仁であり、義であり、孝子の事であるとの言葉に従い、その勧めを用いるならば、厚葬久喪が本当に貧困者を富まし、少ない人口を増やし、社会秩序の危険を安定させ、戦乱を治めさせることが出来るのか。この仁であり、義であり、孝子の事なるものは、人の為に企てることを勧めないわけにはいけないものだ。仁なる者が厚葬久喪の行いを天下に広め、誰が努力して民に厚葬久喪を行うことを誉め、そしてその厚葬久喪の行いを廃止することが無いようにするのだろうか。考えて見るに、その厚葬久喪の行いを説く言葉に従って、その勧めを用いると、厚葬久喪は、実は、貧困者を富まし、少ない人口を増やし、社会秩序の危険を安定させ、戦乱を治めさせることは出来ないのだ。このことは、仁では無く、義でも無く、孝子の事でもない。人の為に何事かを為す者が阻止しなくてはいけないことである。仁なる者は必ず厚葬久喪の行いを天下から取り除き、廃止して、そして、人々に厚葬久喪の行いを非と理解させ、そして自身にも厚葬久喪の行いをしないようにさせなければいけない。さらにこのような訳で、天下の利を興し、天下の害を除き、国家百姓に対し国家が治まるようにさせるには、古代より今までに厚葬久喪を行ったことはない。どのようにしてそれを知ったのか。今、天下の士君子は、それでもなお、厚葬久喪を行うに当たり、厚葬久喪の行い自身は利害関係では無いとの疑念は多い。そのために子墨子が語って言われたことには、『それならば、しばらく試みにこの疑念から比べて考えて見よう。』と。今、厚葬久喪を執り行う者の言葉に従い、この厚葬久喪の祭事を国家に行うとしよう。これが王公大人で喪葬を行う者の場合、執り行う者の言うことには、『棺槨は必ず板を厚くして重くし、棺の埋葬の埋める土の厚さ必ず厚くし、遺体を包む衣衾は必ず多くし、遺体を覆う文繡は必ず多くし、陵墓は必ず巨大にする。』と。匹夫や賤しき人の死者の葬儀では、ほとんど家産を使い尽くし、諸侯の死者の葬儀では、舎屋や府庫を空にし、それにより金玉や珠宝を死者の全身に帯び、それを組紐で結び付け、車馬は墓穴に埋蔵し、また必ず天幕や帳を設置する者は多い。鼎や鼓、机や筵、壺や濫、戈や剣、羽や旄、象牙や犀革など、これらを帯びさせて死者を埋め、満足する。もし、送葬の決まりに従えば、執り行う者の言うことには、『天子の殉死として殺す人数は、多い場合は数百人、少ない場合は数十人。将軍大夫の殉死として殺す人数は、多い場合は数十人、少ない場合は数人とする。』と。
喪葬について厚葬久喪の方法に従う場合はどうすれば良いのであろうか。それを執り行う者が言うには、『哭泣する様は通常の悲しみの時とはことなり、声はしわがれに潰し、喪服である麻衣に涙を垂らし、喪の仮小屋に住み、苫の蓆に寝て土塊を枕にし、ともども無理に食事をしないことを、これを飢と称し、薄着をすることを、これを寒と称し、顔形では目を落ち窪め、顔色はどす黒くし、耳目ははっきり聞こえず見えず、手足はやせ衰えて役に立たない風体にする。』と。また、執り行う者が言うには、『上士が喪に服す時、必ず助けられて立ち上がり、杖を使って歩き、この服喪の姿で過ごす期間は三年間とする。』と。このような規則、このような説明、このような方法で、王公大人に対してこの服喪の方法を行わせたら、きっと、必ず朝早く登朝し、五官六府の行政を指導し、農地開発を行い、倉庫を満たすことは出来ないだろう。農夫にこのことを行わせたら、きっと、必ず朝早く家を出て夜遅く帰り、耕作や果樹園芸を行うことは出来ないだろう。各種の工人にこのことを行わせたら、きっと、舟や車を作り器具や皿を作ることは出来ないだろう。婦人にこれを行わせたら、きっと、早朝に起き宵に寝て、糸を紡ぎ、布を織ることは出来ないだろう。詳細に厚葬の方法を考察すると、たくさんのその土地から生産されてきた財を埋めることを行うものだ。久喪の方法を考察すると、久しく物事にたずさわることを禁じるものだ。財のすでにあるものは、死者に付してこれを埋め、後に生を得る夫婦の和合は、久しく之を禁止し、そのような有様で厚葬久喪に富ませることを求めるのは、これを例えれば、耕作を禁止して、そして収穫を求めるようなものだ。厚葬久喪に富を得る方法を得られることなど無い。
このような訳で厚葬久喪により家を富ますことを願ってもそれは不可能で、また、厚葬久喪により人民を多くしたいと願っても、思うに、それは出来るだろうか。その厚葬久喪の方法を説くところからは、また、不可能なのだ。今、厚葬久喪の方法で政治を行うとすると、君が死ぬと、この喪を行うのに三年、父母が死ぬと、この喪を行うのに三年、妻と長男の死、この五組の皆の死亡の服喪は三年で、その後、伯父・叔父・兄弟・衆子の喪は一年、近縁の親族は五か月、姑・姉・甥・舅の皆は数か月の服喪がある。そして、服喪中に瘦せ細ることへの厳格の決まりがあり、顔形では目を落ち窪ませ、顔色はどす黒くし、耳目ははっきり聞こえず見えず、手足はやせ衰えて役に立たない風体にする。また言うには、『上士が喪に服す時、必ず助けられて立ち上がり、杖を使って歩き、この服喪の姿で過ごす期間は三年間とする。』と。このような規則、このような説明、このような方法でこの服喪の方法を行わせたら、きっと、その国の飢餓は約束され、また、それはこのようなのだ。このために、百姓は冬に寒さをしのげず、夏に暑さをしのげず、疾病にかかって死ぬ者は数えきれない。さらにそれにより男女の交わりの妨げを為すことが多い。このためにこれらにより民を多くすることを願うことは、例えれば、人に剣を持たせて戦わせ、その人に天寿を願わせるようなものだ。厚葬久喪に民を多くする方法を得られることなど無い。
このような訳で厚葬久喪により人民を多くすることを願っても、すでにそれは不可能なのだ。では、厚葬久喪により刑罰や行政を治めようと願うことは、考えてみて、それは可能のだろうか。その厚葬久喪の説くところからは、また、不可能なのだ。今、厚葬久喪によりにより政治を行うのに、国家はきっと貧しくなり、人民はきっと少なくなり、刑罰や行政はきっと乱れるだろう。このような規則、このような説明、このような方法を行い、上の政治を行う者にこの厚葬久喪を行わせれば、きっと統治を聴くことが出来ず、下の生業を行う者にこの厚葬久喪を行わせれば、きっと事業に従事することは出来ない。上の者が統治を聴かなければ、刑罰行政は必ず乱れ、下の者が事業に従事しなければ、衣食の財はきっと足りないだろう。もし、衣食の財が足りなければ人の弟となる者は、その兄に衣食の支給を願い、得られなければ不弟となり、弟はきっとその兄を怨むだろう。人で子の立場となる者は、その親に衣食の支給を願い、得られなければ不孝となり、子はきっとその親を怨むだろう。人で臣の立場となる者は、衣食の支給を君に求めて得られなければ、不忠となり、臣はきっとその上の者の立場を乱すだろう。これにより淫行邪悪な民は、外に出ては、きっと、衣服は無く、家に入っては、きっと、食料は無く、心の内に恥辱を抱き、さらに淫行暴力を行い、それは禁じることが出来なくなる。このために盗賊は多くなり、そして、良き治安は少なくなる。盗賊を多くして、良き治安を少なくする有り様に、この様子にあって治安を求めることは、例えば、人にその場で三回転させて、そしてきちんと立っていろと命じるようなものだ。治安が保たれると説くものなど得られることなど無い。
このような訳で厚葬久喪により刑罰や行政を治めることを願うが、それはすでに不可能なのだ。大国が小国を攻めることを禁止しようと願うことは、考えて見るとそれは可能なのだろうか。その厚葬久喪の説からすれば、また、不可能なのだ。このような訳で、昔の聖王は既に没し、天下は正義を失い、諸侯は力で征服を行う。南に楚、越の王がおり、また、北に斉、晋の君がおり、この皆はその兵卒を訓練し、その兵卒を使い攻伐・併合して、その君王を兼ねて政治を天下に行う。このような訳でおよそ大国が小国を攻めない理由には、小国に物資の蓄積は多く、城郭は整備され、上の者と下の者とが協調しているからだ。これを理由として大国は小国を攻めることを成し遂げようとはしない。その国に物資の蓄積は無く、城郭は整備されず、上の者と下の者とが協調していなければ、これを理由として大国は小国を攻めることを成し遂げる。今、厚葬久喪の行いにより政治を行うことは、国家はきっと貧しく、人民の数はきっと少なく、刑罰と行政はきっと乱れるだろう。このように国家が貧しければ、これにより国に物資を蓄積することは出来ない。このように人民の数が少なければ、これにより城郭や城溝・城池は貧弱となる。このように刑罰と行政とが乱れれば、出撃して戦っても勝てず、城郭に入り守っても堅固ではないだろう。この大国が小国をせめることを禁止することを願うのは、すでに不可能なのだ。上帝や鬼神の福を求めようと願うなら、考えて見るに、それは可能だろうか。その厚葬久喪の説からすれば、また、不可能なのだ。今、厚葬久喪の行いから政治を行えば、国家はきっと貧しく、人民の数はきっと少なく、刑罰と行政はきっと乱れるだろう。このように国家が貧しければ、神饌の粢盛や酒醴は清らかに準備できないだろう。このように人民の数が少なければ、上帝や鬼神を祀ることに仕える者は少ないだろう。このように刑罰と行政が乱れたならば、祭礼は適切な時節に行えないだろう。今、上帝や鬼神に仕えること、このように政治を行うことを禁止すれば、上帝や鬼神は、最初、上より上帝や鬼神を祀らないことをなだめようとして、言うには、『我を祀る人が居ることと、祀る人がいないこととで、どちらが良いことか。』と。言うには、『我を祀る人が居ることと、祀る人がいないこととを、選ぶことはしない。そして、我、上帝や鬼神であっても上帝や鬼神を祀らないことの積み重なった罪に禍と罰とを降し、そして祀らぬ者を見捨てる。』と。つまり、どうしてまた、厚葬久喪により刑罰や行政を治めることが出来るであろうか。このため、古代の聖王は葬埋の決まりを作り、言うには、『棺は板の厚さ三寸、それで体が朽ちるのに足り、体を包む衣装は三着、墓穴は悪臭を覆うのに足りることを定める。』と。これにより、墓穴に葬るに当たっては、下は地下水に及ぶことは無く、上は悪臭を地上まで通じることは無く、墓を覆う塚は耕作地の畝のようであれば、それで十分とした。死亡したら、すぐに葬り、残され生きている者は久しく哭くことはせず、そして速やかに生業に従事し、その人の得意とする生業を行い、これにより互いに利するのだ。これが聖王の葬埋の決まりなのだ。
今、厚葬久喪を執り行う者が語って言うことには、『厚葬久喪は、それにより、貧しきを富まし、寡少の人口を多くし、危機を安定させ戦乱を治めることは出来ないとは言うけれども、それでもこれは聖王の方法なのだ。』と。子墨子の言われたことには、『そうではない。昔、堯王は北の八狄を教化し、事業の中に死し、蛩山の山陰に葬られた。遺体を包む衣装な三着、榖木で作った棺、葛の紐を使ってこの棺を封緘して、既に棺を墓穴に降ろして哭をし、墓穴を土で満たして塚は作らない。すでに埋葬したので、牛馬は墓を覆う塚の場所を歩いた。舜王は西に七戎を教化し、事業の中に死し、南己の市に葬られた。遺体を包む衣装は三着、榖木で作った棺、葛の紐を使ってこの棺を封緘し、すでに埋葬したので、市の人はこの塚の場所を使った。禹王は東に九夷を教化し、事業の中に死し、會稽の山に葬られた。遺体を包む衣装は三着、桐棺の板の厚さは三寸、葛の紐を使って棺を封緘し、棺を封緘する紐を絞っても結び合わせないが、それでも墓穴の場所を通っても埋葬の不都合で陥没させず、墓穴を掘る土地の深きは、下は地下水までは掘らず、上は悪臭が地上まで通ることはない深さとする。既に埋葬したら、掘った余剰の土を墓穴の上に集め、墓塚は耕作地の畝のようであれば、それで十分だとした。』と。
今、王公大人の葬埋を行うことは、古代の聖王の様とは異なる。必ず、大棺に中棺を納め、革製の棺は三重に施し、璧玉は必ず具え、戈と剣、鼎と鼓、壺と濫、文繡の錦と白き練帛、大鞅の馬具と萬領、輿馬と女楽の楽器は、皆、具わる。言うことには、『必ず、陵墓の内の坑道は交差させ、墓塚は常なる山稜の様とせよ。』と。これでは民の生業を止め、民の財を使い尽くすことを行い、そのようなことは数えきれない。その無用なことを行うとは、このようなことである。このために、子墨子が言われたことには、先に私が語ったことに言うのに、『考えてみると、その厚葬久喪を勧める言葉を基準として、その厚葬久喪を行わせて、その厚葬久喪の結果を調べてみると、本当にそれにより貧しきを富ませ、寡少な人口を多くし、危機を安定させ戦乱を治めることが出来るのだろうか。つまり、仁のことであり、正義のことであり、孝子のことである。厚葬久喪は人のために何事かを企てる者には、進めてはいけないことである。考えてみると、また、その厚葬久喪を勧める言葉を基準として、その厚葬久喪を行わせれば、このような、人の厚葬久喪は、本当にそれにより貧しきを富ませ、寡少な人口を多くし、危機を安定させ戦乱を治めることが出来るのだろうか。きっと、仁ではないだろう、正義では無いだろう、孝子のことではないだろう。人のために何事かを企てる者には、厚葬久喪は阻まないわけにはいかないのだ。』と。この故により、国家を富ますことを願って、酷く貧しさを得、人民の人口を多くしようとして、酷く寡少な人口を得、刑罰と行政で治めようとして、酷く混乱を得る。大国が小国を攻めることを禁止することを願って、それはすでに不可能で、上帝や鬼神の福を求めようと願って、逆に禍を得るだろう。上の者が行う葬送の儀礼を堯王・舜王・禹王・湯王・文王・武王の取る方法に比べると、まことに昔の聖王の方法に逆らい、下の者が行う葬送の儀礼を桀王・紂王・幽王・厲王が為した事に比べると、合致するようなものだ。もし、このことから今の葬送の儀礼を見れば、つまり厚葬久喪は聖王が取る方法ではないのだ。』と。
今、厚葬久喪の儀礼を執る者が語って言うことには、『厚葬久喪が聖王の方法で無いのなら、どのような理屈が有って、中国の君子が、この厚葬久喪を執り行ってそれを止めることもせず、対して厚葬久喪では無い方法を選ばないのか。』と。子墨子が言われたことには、『このいわゆる、その風習を便宜として、その風俗を正義としたものだけだ。』と。昔、越の東に輆沐と云う国があり、その国の長男として生まれると、これを解体して食う。この風習は弟に良いことだと言う。その祖父が死ねば、その祖母を背負って野に捨てる。言うことには、『夫に先立たれた妻とは共に住んではいけない』と。この風習で上の者は政治を行い、下の者は風俗とする。これを行って止めることは無く、このやり方を取り、他のやり方を選ばない。どうもこの風習は仁と正義の道なのだろう。このいわゆる、その風習を便宜として、その風俗を正義とするものなのだろう。楚の南に炎人と云う国があり、その親戚が死ねばその肉体を腐らせて肉を捨てる。その後にその骨を埋め、それで孝なる子となることが出来る。秦の西に儀渠と云う国があり、その親戚が死ねば、柴や薪を集めて死体を焼き、死体を燻し上げて、これを登遐と云う。その後に孝なる子となることが出来る。この風習で上の者は政治を行い、下の者は風俗とする。これを行って止めることは無く、このやり方を取り、他のやり方を選ばない。どうもこの風習は仁と正義の道なのだろう。このいわゆる、その風習を便宜として、その風俗を正義とするものなのだろう。若し、このような三か国のものから厚葬久喪を見れば、きっと、その三か国の葬儀の儀礼は薄いだろう。もし、中国の君子から厚葬久喪を見れば、きっと、その厚葬久喪の儀礼は厚いだろう。中国の君子のようであれば、きっと、儀礼は大いに厚く、三か国のもののようであれば、きっと、儀礼は大いに薄いのなら、それなら葬儀埋葬の決まり事はあるのだろうか。ここで、衣食は人の生きるための利である。しかしながら、衣食に決まりごとはある。葬儀埋葬は人の死ぬための利である。それならどうして葬儀埋葬に決まりごとが無いはずはない。子墨子が葬儀埋葬の決まり事を定め行って言うことには、『棺の板の厚さは三寸、それで骨が朽ちれば十分だ。衣類は三枚、それで遺体を腐らせば十分で、地を掘る深さは下に水たまりが無く、臭気を上に漏らすことが無く、塚はそこが埋葬地だと分かれば足り、それで十分だ。埋葬の行きに哭き、帰りに哭き、帰って来て死んだ者の衣食の財を分配し、祭祀を執り行い、それにより孝を親に行う。』と。それで言うには、『子墨子の方法は、死した者と生くる者の利を失わないとは、このことなのだ。』と。
このようなことで子墨子が語って言われたことには、『今、天下の士君子は、強く願うに当たり、仁と正義を行い上士となることを願い、上には聖王の道に適うことを願い、下には国家百姓の利に適うことを願う。このために、節喪の政治を行うようなものは、これを理解しない訳にはいかないのだ。』と。
 
注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。

《節葬下》:原文
子墨子言曰、仁者之為天下度也、辟之無以異乎孝子之為親度也。今孝子之為親度也、将柰何哉。曰、親貧則従事乎富之、人民寡則従事乎衆之、衆乱則従事乎治之。當其於此也、亦有力不足、財不贍、智不智、然後己矣。無敢舍餘力、隱謀遺利、而不為親為之者矣。若三務者、孝子之為親度也、既若此矣。
雖仁者之為天下度、亦猶此也。曰、天下貧則従事乎富之、人民寡則従事乎衆之、衆而乱則従事乎治之。當其於此、亦有力不足、財不贍、智不智、然後已矣。無敢舍餘力、隱謀遺利、而不為天下為之者矣。若三務者、此仁者之為天下度也、既若此矣。
今逮至昔者三代聖王既沒、天下失義、後世之君子、或以厚葬久喪以為仁也、義也、孝子之事也、或以厚葬久喪以為非仁義、非孝子之事也。曰二子者、言則相非、行即相反、皆曰、吾上祖述堯舜禹湯文武之道者也。而言即相非、行即相反、於此乎後世之君子、皆疑惑乎二子者言也。若苟疑惑乎之二子者言、然則姑嘗傳而為政乎國家萬民而観之。計厚葬久喪、奚當此三利者。我意若使法其言、用其謀、厚葬久喪實可以富貧衆寡、定危治乱乎、此仁也、義也、孝子之事也、為人謀者不可不勧也。仁者将興之天下、誰賈而使民誉之、終勿廃也。意亦使法其言、用其謀、厚葬久喪實不可以富貧衆寡、定危理乱乎、此非仁非義、非孝子之事也、為人謀者不可不沮也。仁者将求除之天下、相廃而使人非之、終身勿為。
且故興天下之利、除天下之害、令國家百姓之不治也、自古及今、未嘗之有也。何以知其然也。今天下之士君子、将猶多皆疑惑厚葬久喪之為中是非利害也。故子墨子言曰、然則姑嘗稽之。今雖毋法執厚葬久喪者言、以為事乎國家。此存乎王公大人有喪者、曰棺槨必重、葬埋必厚、衣衾必多、文繡必繁、丘隴必巨、存乎匹夫賤人死者、殆竭家室、乎諸侯死者、虛車府、然後金玉珠璣比乎身、綸組節約、車馬蔵乎壙、又必多為屋幕。鼎鼓几梴壺濫、戈剣羽旄歯革、挾而埋之、満意。若送従、曰天子殺殉、衆者數百、寡者數十。将軍大夫殺殉、衆者數十、寡者數人。處喪之法将柰何哉。曰哭泣不秩聲翁、縗絰垂涕、處倚廬、寢苫枕塊、又相率強不食而為飢、薄衣而為寒、使面目陷陬、顏色黧黒耳目不聰明、手足不勁強、不可用也。又曰上士之操喪也、必扶而能起、杖而能行、以此共三年。若法若言、行若道使王公大人行此、則必不能蚤朝、五官六府、辟草木、實倉廩。使農夫行此。則必不能蚤出夜入、耕稼樹藝。使百工行此、則必不能修舟車為器皿矣。使婦人行此、則必不能夙興夜寐、紡績織紝。細計厚葬。為多埋賦之財者也。計久喪、為久禁従事者也。財以成者、扶而埋之、後得生者、而久禁之、以此求富、此譬猶禁耕而求穫也、富之説無可得焉。
是故求以富家而既已不可矣、欲以衆人民、意者可邪。其説又不可矣。今唯無以厚葬久喪者為政、君死、喪之三年、父母死、喪之三年、妻與後子死者、五皆喪之三年、然後伯父叔父兄弟孽子其、族人五月、姑姊甥舅皆有月數。則毀瘠必有制矣、使面目陷陬、顏色黧黒、耳目不聰明、手足不勁強、不可用也。又曰上士操喪也、必扶而能起、杖而能行、以此共三年。若法若言、行若道、苟其飢約、又若此矣、是故百姓冬不仞寒、夏不仞暑、作疾病死者、不可勝計也。此其為敗男女之交多矣。以此求衆、譬猶使人負剣、而求其壽也。衆之説無可得焉。
是故求以衆人民、而既以不可矣、欲以治刑政、意者可乎。其説又不可矣。今唯無以厚葬久喪者為政、國家必貧、人民必寡、刑政必乱。若法若言、行若道、使為上者行此、則不能聴治、使為下者行此、則不能従事。上不聴治、刑政必乱、下不従事、衣食之財必不足。若苟不足、為人弟者、求其兄而不得不弟弟必将怨其兄矣、為人子者、求其親而不得、不孝子必是怨其親矣、為人臣者、求之君而不得、不忠臣必且乱其上矣。是以僻淫邪行之民、出則無衣也、入則無食也、内續奚吾、並為淫暴、而不可勝禁也。是故盜賊衆而治者寡。夫衆盜賊而寡治者、以此求治、譬猶使人三還而毋負己也、治之説無可得焉。
是故求以治刑政、而既已不可矣、欲以禁止大國之攻小國也、意者可邪。其説又不可矣。是故昔者聖王既沒、天下失義、諸侯力征。南有楚、越之王、而北有齊、晋之君、此皆砥礪其卒伍、以攻伐并兼為政於天下。是故凡大國之所以不攻小國者、積委多、城郭修、上下調和、是故大國不耆攻之、無積委、城郭不修、上下不調和、是故大國耆攻之。今唯無以厚葬久喪者為政、國家必貧、人民必寡、刑政必乱。若苟貧、是無以為積委也、若苟寡、是城郭溝渠者寡也、若苟乱、是出戦不克、入守不固。
此求禁止大國之攻小國也、而既已不可矣。欲以干上帝鬼神之福、意者可邪。其説又不可矣。今唯無以厚葬久喪者為政、國家必貧、人民必寡、刑政必乱。若苟貧、是粢盛酒醴不淨潔也。若苟寡、是事上帝鬼神者寡也。若苟乱、是祭祀不時度也。今又禁止事上帝鬼神、為政若此、上帝鬼神、始得従上撫之曰、我有是人也、與無是人也、孰愈。曰、我有是人也、與無是人也、無擇也。則惟上帝鬼神降之罪厲之禍罰而棄之、則豈不亦乃其所哉。
故古聖王制為葬埋之法、曰、棺三寸、足以朽體、衣衾三領、足以覆悪。以及其葬也、下毋及泉、上毋通臭、壟若参耕之畝、則止矣。死則既以葬矣、生者必無久哭、而疾而従事、人為其所能、以交相利也。此聖王之法也。
今執厚葬久喪者之言曰、厚葬久喪雖使不可以富貧衆寡、定危治乱、然此聖王之道也。子墨子曰、不然。昔者堯北教乎八狄、道死、葬蛩山之陰、衣衾三領、榖木之棺、葛以緘之、既窆而後哭、満陥無封。已葬、而牛馬乗之。舜西教乎七戎、道死、葬南己之市、衣衾三領、榖木之棺、葛以緘之、已葬、而市人乗之。禹東教乎九夷、道死、葬會稽之山、衣衾三領、桐棺三寸、葛以緘之、絞之不合、通之不陥、土地之深、下毋及泉、上毋通臭。既葬、收餘壤其上、壟若参耕之畝、則止矣。若以此若三聖王者観之、則厚葬久喪果非聖王之道。故三王者、皆貴為天子、富有天下、豈憂財用之不足哉。以為如此葬埋之法。
今王公大人之為葬埋、則異於此。必大棺中棺、革闠三操、璧玉即具、戈剣鼎鼓壺濫、文繡素練、大鞅萬領、輿馬女楽皆具、曰必捶涂差通、壟雖凡山陵。此為輟民之事、靡民之財、不可勝計也、其為毋用若此矣。是故子墨子曰、郷者、吾本言曰、意亦使法其言、用其謀、計厚葬久喪、請可以富貧衆寡、定危治乱乎、則仁也、義也、孝子之事也、為人謀者、不可不勧也、意亦使法其言、用其謀、若人厚葬久喪、實不可以富貧衆寡、定危治乱乎、則非仁也、非義也、非孝子之事也、為人謀者、不可不沮也。是故求以富國家、甚得貧焉、欲以衆人民、甚得寡焉、欲以治刑政、甚得乱焉、求以禁止大國之攻小國也、而既已不可矣。欲以干上帝鬼神之福、又得禍焉。上稽之堯舜禹湯文武之道而政逆之、下稽之桀紂幽厲之事、猶合節也。若以此観、則厚葬久喪其非聖王之道也。
今執厚葬久喪者言曰、厚葬久喪、果非聖王之道、夫胡説中國之君子、為而不已、操而不擇哉。子墨子曰、此所謂便其習而義其俗者也。昔者越之東有輆沐之國者、其長子生、則解而食之。謂之宜弟、其大父死、負其大毋而棄之、曰鬼妻不可與居處。此上以為政、下以為俗、為而不已、操而不擇、則此豈實仁義之道哉。此所謂便其習而義其俗者也。楚之南有炎人國者、其親戚死朽其肉而棄之、然後埋其骨、乃成為孝子。秦之西有儀渠之國者、其親戚死、聚柴薪而焚之、燻上、謂之登遐、然後成為孝子。此上以為政、下以為俗、為而不已、操而不擇、則此豈實仁義之道哉。此所謂便其習而義其俗者也。若以此若三國者観之、則亦猶薄矣。若以中國之君子観之、則亦猶厚矣。如彼則大厚、如此則大薄、然則葬埋之有節矣。故衣食者、人之生利也、然且猶尚有節、葬埋者、人之死利也、夫何獨無節於此乎。子墨子制為葬埋之法曰、棺三寸、足以朽骨、衣三領、足以朽肉、掘地之深、下無菹漏、気無発洩於上、壟足以期其所、則止矣。哭往哭来、反従事乎衣食之財、佴乎祭祀、以致孝於親。故曰子墨子之法、不失死生之利者、此也。
故子墨子言曰、今天下之士君子、中請将欲為仁義、求為上士、上欲中聖王之道、下欲中國家百姓之利、故當若節喪之為政、而不可不察此者也。

字典を使用するときに注意すべき文字
辟、法也。又明也。 あきらかにする、の意あり。
姑、息、休也。 しばらく、ときに、の意あり。
苟、且也。又但也。 ただ、まことに、の意あり。
車,舍也。 いえ、の意あり。
干、求也 もとめる、の意あり。
便、順也、宜也。又習也。 したがう、ならひ、の意あり。

《節葬下》:読み下し
子墨子の言いて曰く、仁者の天下の為に度(はか)るや、之を辟(あき)らかにするを以って孝子が親の為に度(はか)るに異なるは無し。今、孝子の親の為に度(はか)るや、将に柰何(いかむ)せむとするや。曰く、親が貧(ひん)なれば則ち之を富ます事に従(したが)い、人民が寡(すくな)ければ則ち之を衆(おお)くする事に従い、衆(しゅう)が乱れれば則ち之を治める事に従う。當(まさ)に其の此に於いてするに、亦た力は足らずは有り、財は贍(た)らず、智(ち)は智(し)らず、然る後に己(や)む。敢(あへ)て餘力(よりょく)、隱謀(いんぼう)、遺利(いり)を舍(お)き、而して親の為に之を為さざる者は無し。三務(さんむ)の若(かくのごと)きは、孝子が親の為に度(はか)るに、既に此の若(ごと)き。
仁者が天下の為に度(はか)ると雖(いへど)も、亦た猶此のごとし。曰く、天下の貧しきは則ち之を富ますことに従い、人民の寡(すくな)きは則ち之を衆(おお)くする事に従い、衆(しゅう)の而して乱るるは則ち之を治める事に従う。當(まさ)に其の此に於いて、亦た力は足らず有り、財は贍(た)らず、智は智らず、然る後に已(や)む。敢(あえ)て餘力、隱謀、遺利を舍(す)て、而して天下の為に之を為さざる者は無し。三務の若(かくのごと)きもの、此の仁者が天下の為に度(はか)るに、既に此の若(ごと)し。
今、昔の三代の聖王は既に沒し、天下の義を失うに至るに逮(およ)び、後世の君子の、或(ある)いは以って厚葬久喪を以って仁なり、義なり、孝子の事なりと為し、或(ある)いは以って厚葬久喪を以って仁義に非ず、孝子の事に非ずと為すなり。曰く、二子のものの、言(げん)は則ち相(あい)非(ひ)とし、行(こう)は即ち相(あい)反(はん)す。皆曰く、吾は上堯舜禹湯文武の道を祖述(そじゅつ)する者なり。而して言(げん)は即ち相(あい)非(ひ)とし、行は即ち相(あい)反(はん)とし、此に於いて後世の君子の、皆二子の言(げん)に疑惑(ぎわく)す。若(も)し苟(いやしく)も之の二子の言に疑惑せば、然らば則ち姑(しばら)く嘗(こころ)みに傳(ひ)いて而して政(まつりごと)を國家萬民に為さしめ而して之を観む。
厚葬久喪は、奚(なむ)ぞ當(まさ)に此の三利なるを計(はか)る。我(おのれ)の意(おも)うに若(も)し其の言に法(の)っとり、其の謀(はかりごと)を用いば、厚葬久喪が實(まこと)に以って貧(ひん)を富(と)まし、寡(か)を衆(おお)くし、危(き)を定め、乱を治め可(べ)から使(し)めむか。此の仁なり、義なり、孝子の事なり、人の為に謀(はか)るものは勧めざる可からずなり。仁者の将に之を天下に興(おこ)し、誰か賈(つと)めて而して民をして之を誉め、終(つい)に廃すること勿(な)から使(し)めむ。意(おも)うに亦た其の言に法(の)っとらして、其の謀(はかりごと)を用い、厚葬久喪の實(まこと)に以って貧(ひん)を富ませ、寡(か)を衆(おお)くし、危を定め、乱を理(おさ)む可からざら使(し)めむ。此は仁に非ず、義に非ず、孝子の事に非ずなり。人の為に謀る者の沮(はば)まざる可(べ)からず。仁者は将に之を天下に除き、相(あい)廃(はい)して而して人をして之を非とし、終(つい)に身に為すこと勿(な)から使(し)めむことを求めむ。且(さら)に故に天下の利を興し、天下の害を除き、國家百姓をして之の治まらざら令(し)むるは、古(いにしへ)自り今に及び、未だ嘗(か)って之の有らざるなり。何(なん)ぞ以って其の然(しか)るを知るや。今、天下の士君子の、将に猶(なお)皆の厚葬久喪の之を為すに中(あた)り、是の利害に非ずの疑惑は多し。故に子墨子の言いて曰く、然らば則ち姑(しばら)く嘗(こころ)みに之を稽(はか)らむ。今、雖毋(ただ)厚葬久喪を執る者の言に法(の)っとり、以って事を國家に為す。此れ王公大人の喪(そう)に有る者に在りては、曰く、棺槨(かんかく)は必ず重く、葬埋(そうまい)は必ず厚く、衣衾(いきん)は必ず多く、文繡(ぶんしゅう)は必ず繁(おお)く、丘隴(きゅうろう)は必ず巨(きょ)にす。匹夫(ひっぷ)賤人(せんじん)の死する者に在りては、殆(ほとん)ど家室を竭(つく)し、諸侯の死する者は、車府(しゃふ)を虚(むなし)くし、然る後に金玉(きんぎょく)珠璣(しゅき)は身に比(あまね)くし、綸組(りんそ)節約(せつやく)し、車馬は壙(こう)に蔵(ぞう)し、又た必ず屋幕(あくばく)を為すは多し。鼎鼓(ていき)几梴(きれん)壺濫(こかん)、戈剣(じゅうけん)羽旄(うぼう)歯革(しかく)、挾(お)びて而して之を埋め、満意(まんい)す。若(も)し送(そう)に従(したが)はば、曰く、天子の殉(じゅん)として殺すは、衆(おお)くは數百、寡(すくな)くは數十。将軍大夫の殉(じゅん)として殺すは、衆(おお)くは數十、寡(すくな)くは數人。
喪(そう)の此の法(のり)に處(よ)るところは将に柰何(いかん)せむや。曰く、哭泣(こくきゅう)すること秩(つね)ならず聲は翁(ろう)し、縗絰(さいてつ)に涕(なみだ)は垂れ、倚廬(いろ)に處(お)り、苫(とま)に寢(ゐ)ね塊(かい)に枕(まくら)し、又た相(あい)率(ひき)いて強(し)いて食はず而して飢と為し、薄衣し而して寒と為し、面目をして陷陬(かんさい)し、顔色をして黧黒(りこく)し、耳目をして聰明ならずし、手足をして勁強(けいきょう)ならずして、用ふる可からざら使(し)めむ。又た曰く、上士の喪を操(と)るや、必ず扶(たす)けられて而して能く起(た)ち、杖(じょう)して而して能く行き、此れを以って共(きょう)すること三年。若(かくのごと)き法(のり)、若(かくのごとき)き言、若(かくのごと)き道を行い、王公大人をして此を行(おこな)は使(し)めば、則ち必ず蚤(はや)く朝(ちょう)し、五官六府し、草木を辟(ひら)き、倉廩(そうりん)を實(みた)すは能(あた)はざらむ。農夫をして此れを行は使(し)めむば、則ち必ず蚤(はや)く出(ゐ)で夜に入り、耕稼(こうか)樹藝(じゅげい)するは能(あた)はずなり。百工をして此れを行(おこな)は使(し)めれば、則ち必ず舟車を修(おさ)め器皿(きべい)を為(つく)ることは能はずなり。婦人をして此れを行は使(し)むれば、則ち必ず夙(つと)に興(お)き夜(よい)に寐(ゐ)ね、紡績(ぼうせき)織紝(しょくじん)することは能はずなり。細(さい)に厚葬を計るに、多く賦(ふ)の財を埋めると為すものなり。久喪(きゅうそう)を計るに、久しく事に従う禁を為すものなり。財の以(すで)に成るものは、扶(ふ)して而して之を埋め、後に生を得るものは、而して久しく之を禁じ、以って此の富(と)まむことを求(もと)むるは、此を譬へば猶(なお)耕(こう)を禁じて而して穫(かく)を求めるなり。富の説は得(う)可(べ)きこと無し。
是の故に以って家を富むことを求めるも而して既已(すで)に不可なり、以って人民を衆(おお)くすと欲すに、意(おも)うに可なるか。其の説くところ又た不可なり。今、唯無(ただ)厚葬久喪のものを以って政(まつりごと)を為すに、君の死すれば、之の喪(そう)するに三年、父母の死すれば、之の喪するに三年、妻と後子の死し、五の皆の之の喪するに三年、然る後、伯父(はくふ)叔父(しゅくふ)兄弟(けいてい)孽子(げつし)は其(き)、族人は五月(ごつき)、姑姊(こし)甥舅(せいきう)の皆は月の數(かず)有り。則ち毀瘠(きせき)必ず制は有り、面目をして陷陬(かんさい)し、顔色をして黧黒(りこく)し、耳目をして聰明ならず、手足をして勁強(けいきょう)ならずして、用い可からざら使(し)めむ。又た曰く、上士の喪(そう)を操(と)るに、必ず扶(たす)けて而して能(よ)く起ち、杖(じょう)して而して能(よ)く行き、以って此を共すること三年。若(かくのごと)き法(のり)、若(かくのごと)き言(げん)、若(かくのごと)き道を行(おこな)はば、苟(まこと)に其の飢(き)は約(やく)され、又た此れは若(かくのごと)きなり。是の故に百姓は冬に寒を仞(しの)げず、夏に暑を仞(しの)げず、疾病を作(な)して死する者、勝(あ)げて計る可からずなり。此の其の男女の交(まじわり)を敗(やぶ)ることを為すこと多し。以って此れを衆に求めることは、譬へば猶(なお)人をして剣(たたかい)を負(お)はせ、而して其の壽(じゅ)を求め使(し)めるがごとし。衆(しゅう)の説は得(う)可(べ)きこと無きなり。
是の故に以って人民を衆(おお)くすることを求めるも、而して既以(すで)に不可なり。以って刑政を治めむと欲するは、意(おも)ふに可なるや。其の説くところ又た不可なり。今、唯無(ただ)厚葬久喪のものを以って政(まつりごと)を為すに、國家は必ず貧しく、人民は必ず寡(すくな)く、刑政は必ず乱れむ。若(かくのごと)き法(のり)、若(かくのごと)き言、若(かくのごと)き道を行い、上を為す者をして此れを行は使(し)めば、則ち治を聴くことは能(あた)はず、下を為すものをして此れを行は使(し)むれば、則ち事に従うことは能(あた)はず。上の治を聴かずば、刑政は必ず乱れ、下の事に従はずば、衣食の財は必ず足らず。若(も)し苟(いや)しくも足ざれば、人の弟と為(な)る者は、其の兄に求め而して得ずば、不弟となり、弟は必ず将に其の兄を怨(うら)まむ。人の子と為(な)る者は、其の親に求め而して得ずば、不孝となり、子は必ず是に其の親を怨(うら)まむ。人の臣と為る者は、之を君に求め而して得ずば、不忠となり、臣は必ず且(まさ)に其の上を乱さむ。是の以って僻淫(へきいん)邪行(じゃこう)の民、出でて則ち衣(い)無く、入りて則ち食(しょく)無し、内に奚吾(けいご)を續(う)み、並びに淫暴を為し、而して勝(あえ)て禁ず可からず。是の故に盜賊の衆(おお)くして而して治(おさま)るは寡(すくな)し。夫れ盜賊の衆(おお)くして而して治(おさま)るの寡(すくな)くすは、此れを以って治を求めむは、譬へば猶(なお)人をして三還(さんかん)せしめて而して己(おのれ)に負(そむ)くこと毋(な)から使(し)むるがごときなり。治の説くところ得(う)可(べ)きこと無しなり。是の故に以って刑政を治めむことを求めるも、而して既已(すで)に不可なり。以って大國が小國を攻むるを禁止せむと欲っするは、意(おも)ふに可なるか。其の説くところ又た不可なり。
是の故に昔の聖王は既に沒し、天下は義を失い、諸侯は力征(りきせい)す。南に楚、越の王有り、而して北に齊、晋の君有り、此の皆は其の卒伍(そつご)を砥礪(しれい)し、以って攻伐(こうばつ)并兼(へいけん)し政(まつりごと)を天下に為す。是の故に凡そ大國が小國を攻めざる所以(ゆえん)は、積委(しゐ)は多く、城郭は修(おさ)まり、上下は調和す。是の故に大國は之を攻むるを耆(たし)まず。積委(しゐ)は無く、城郭は修(おさ)まらず、上下は調和せずば、是の故に大國は之を攻めるを耆(たし)む。今、唯無(ただ)厚葬久喪のものを以って政(まつりごと)を為すは、國家は必ず貧しく、人民は必ず寡(すくな)く、刑政は必ず乱れむ。若(かくのごと)く苟(まこと)に貧しければ、是を以って積委(しゐ)を為すは無し。若(かくのごと)く苟(まこと)に寡(すくな)ければ、是れ城郭(じょうかく)溝渠(こうきょ)は寡(とぼ)し。若(かくのごと)く苟(まこと)に乱れれば、是の出でて戦(たたか)はば克(か)たず、入りて守れば固(かた)からず。此の大國が小國を攻めむを禁止するを求むるは、而して既已(すで)に不可なり。以って上帝鬼神の福(さいわい)を干(もと)めむと欲すば、意(おも)ふに可なるか。其の説くところ又た不可なり。今、唯無(ただ)厚葬久喪のものを以って政(まつりごと)を為せば、國家は必ず貧しく、人民は必ず寡(すくな)く、刑政は必ず乱れむ。若(かくのごと)く苟(まこと)に貧しければ、是の粢盛(しせい)酒醴(しゅれい)は淨潔(じょうけつ)ならず。若(かくのごと)く苟(まこと)に寡(すくな)ければ、是の上帝鬼神に事(つかえ)る者は寡(すくな)し。若(かくのごと)く苟(まこと)に乱れれば、是の祭祀は時に度(わた)らず。今、又た上帝鬼神に事(つかふ)ること、此の若(ごとく)く政(まつりごと)を為すことを禁止すれば、上帝鬼神の、始め上(かみ)従(よ)り之を撫(ぶ)せむを得むとして、曰く、我が是の人有りと、是の人無しと、孰(いず)れか愈(まさ)れる。曰く、我が是の人有りと、是の人無しと、擇(えら)ぶこと無し。則ち上帝鬼神と惟(いへど)ども之に罪厲(ざいれき)の禍罰(かばつ)を降し、而して之を棄(す)てむ。則ち豈に亦た乃(すなは)ち其の所(ところ)ならずや。故に古の聖王は葬埋(そうまい)の法(のり)を為(つく)りて、曰く、棺は三寸、以って體(たい)を朽(きゅう)するに足り、衣衾(いきん)は三領、悪(を)を覆うに足るを制(さだ)めむ。以って其の葬(ほうむ)るに及びては、下は泉に及ぶこと毋(な)く、上は臭(しゅう)を通ずること毋(な)く、壟(ろう)は参耕(さんこう)の畝(ほ)の若(ごと)くなれば、則ち止む。死すれば則ち既以(すで)に葬(ほうむ)り、生くる者は必ず久哭(きゅうこく)すること無く、而して疾(と)く而(すで)に事に従い、人の其の能(よ)くする所を為し、以って交(こもご)も相(あい)利(り)するなり。此れ聖王の法(のり)なり。
今、厚葬久喪を執(と)る者の言いて曰く、厚葬久喪は以って貧(ひん)を富まし寡(か)を衆(おお)くし、危を定め乱を治む可からざら使(し)むと雖(いへど)も、然れども此れ聖王の道なり。子墨子の曰く、然らず。昔の堯は北の八狄(はちてき)を教え、道に死し、蛩山(きょうざん)の陰(かげ)に葬る。衣衾は三領、榖木(こくぼく)の棺、葛を以って之を緘(かん)し、既に窆(へん)して而して後に哭(こく)し、陥(かん)を満たして封は無し。已(すで)に葬(ほうむ)りて、而して牛馬は之に乗る。舜は西に七戎(しちじゅう)を教え、道に死し、南己の市に葬る。衣衾三領、榖木(こくぼく)の棺、葛を以って之を緘(かん)し、已(すで)に葬りて、而して市の人は之に乗る。禹は東に九夷(くい)を教え、道に死し、會稽の山に葬る。衣衾三領、桐棺(きりかん)は三寸、葛を以って之を緘(かん)し、之を絞れども合わず、之を通るも陥(かん)せず、土地の深きは、下は泉に及ぶは毋(な)く、上は臭(しゅう)の通るは毋(な)し。既に葬れば、餘壤(よじょう)を其の上に収(おさ)め、壟(ろう)は参耕(さんこう)の畝(ほ)の若(ごと)くなれば、則ち止む。若(も)し此の若(ごと)く三聖王のものを以って之を観れば、則ち厚葬久喪は果して聖王の道に非ず。故に三王は、皆貴(とうと)きこと天子と為(な)り、富は天下に有る、豈に財用の足らざるを憂(うれ)へむや。以って此の如く葬埋の法(のり)を為す。
今、王公大人の葬埋を為すは、則ち此れに異る。必ず大棺(たいかん)中棺(ちゅうかん)、革闠(かくき)三操(さんそう)、璧玉(へきぎゃく)は即に具(そな)はり、戈剣(じゅうけん)鼎鼓(ていき)壺濫(こかん)、文繡(ぶんしゅう)素練(それん)、大鞅(たいおう)萬領(ばんりょう)、輿馬(よば)女楽(にゅがく)は皆具(そな)わる。曰く、必ず捶涂(すいと)差通(さつう)し、壟(ろう)は雖(ただ)凡(ぼん)たる山陵とならむ。此れ民の事を輟(とど)め、民の財を靡(つく)すことを為し、勝(あ)へて計る可からざるなり。其の用(よう)毋(な)きを為すこと此の若(ごと)きなり。是に故に子墨子の曰く、郷(さき)に、吾が本言(ほんげん)に曰く、意(おも)ふに亦た其の言の法(のり)をして、其の謀(はかりごと)を用い使(し)むれば、厚葬久喪を計るに、請(まこと)に以って貧を富まし、寡(か)を衆(おお)くし、危を定め乱を治む可きか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀(はか)る者は、勧めざる可からず。意(おも)ふに亦た其の言の法をして、其の謀(はかりごと)を用い使(し)むれば、若(かくのごと)く人の厚葬久喪、實(まこと)に以って貧を富ませ、寡(か)を衆(おお)くし、危を定め乱を治む可からざるか、則ち仁に非ず、義に非ず、孝子の事に非ず。人の為に謀(はか)る者は、沮(はば)まざる可からず。是の故に以って國家の富まさむことを求めて、甚(はなは)だ貧を得、以って人民を衆(おお)くせむことを求めて、甚(はなは)だ寡を得、以って刑政を治めむことを求めて、甚(はなは)だ乱を得る、以って大國が小國を攻めるを禁止するを求めて、而して既已(すで)に可ならず、以って上帝鬼神の福を干(もと)めむと欲し、又た禍(わざわい)を得む。上の之を堯舜禹湯文武の道に稽(かむが)へて而して政(まこと)に之に逆(さから)ひ、下の之の桀紂幽厲の事に稽(かむが)へて、猶(なお)節は合するがごとき。若(も)し以って此れを観れば、則ち厚葬久喪は其れ聖王の道に非ずなり。
今、厚葬久喪を執る者の言いて曰く、厚葬久喪は、果して聖王の道に非ざれば、夫れ胡(なに)の説ありて中國の君子の、為して而して已(や)まず、操(と)りて而して擇(えら)ばざるや。子墨子の曰く、此の所謂(いわゆる)其の習(ならい)を便(よろし)として而して其の俗を義とするものなり。昔の越の東に輆沐(かいもく)の國なるもの有り、其の長子に生るれば、則ち解(かい)して而して之を食(く)う。之は弟に宜(よろ)しと謂う。其の大父(たいふ)の死すれば、其の大母(たいほ)を負(お)いて而して之を棄(す)つ。曰く鬼妻は與に居處(きょしょ)す可からず。此れ上は以って政(まつりごと)を為し、下は以って俗(ぞく)を為す。為(な)して而(しか)るに已(や)まず、操(と)りて而(ま)た擇(えら)ばず。則ち此れ豈に實(まこと)に仁義の道ならむや。此の所謂(いわゆる)其の習(ならい)を便(よろし)として而して其の俗(ぞく)を義とするものなり。楚の南に炎人の國なるもの有り、其の親戚の死すれば其の肉を朽(きゅう)して而(すで)に之を棄(す)つ。然る後に其の骨を埋め、乃ち孝子と為(な)ることは成る。秦の西に儀渠の國なるもの有り、其の親戚の死すれば、柴薪(さいしん)を聚(あつ)め而して之を焚(や)き、燻上(くんじょう)せしめて、之を登遐(とうか)と謂ふ。然る後に孝子と為ることは成る。此の上は以って政(まつりごと)を為し、下は以って俗(ぞく)を為す。為(な)して而(しか)るに已(や)まず、操(と)りて而(しか)るに擇(えら)ばず、則ち此の豈に實(まこと)に仁義の道ならむや。此の所謂(いわゆる)其の習(ならい)を便(よろし)として而して其の俗を義とするものなり。若し此の若(ごと)くの三國のものを以って之を観れば、則ち亦た猶(なお)薄し。若し中國の君子を以って之を観れば、則ち亦た猶(なお)厚し。彼(か)の如くなれば則ち大いに厚し、此の如くなれば則ち大いに薄し、然らば則ち葬埋の節は有るならむ。故に衣食は、人の生利なり。然れども且(ひとま)ず猶尚(なお)節は有り。葬埋は、人の死利なり。夫れ何ぞ獨り此れに節は無(なか)らむや。子墨子の葬埋の法(のり)を制為(せいゐ)して曰く、棺は三寸、以って骨を朽(きゅう)するに足り、衣三領、以って肉の朽(きゅう)するに足り、地を掘る之の深さは、下は菹漏(しょろう)無く、気の上に発洩(はつえい)すること無く、壟(ろう)は以って其の所を期するに足れば、則ち止む。往を哭(こく)し来を哭(こく)し、反(かへ)りて衣食の財に従事し、祭祀を佴(じ)し、以って孝を親に致す。故に曰く、子墨子の法(のり)は、死生(しせい)の利を失はずとは、此(これ)なり。
故に子墨子の言いて曰く、今、天下の士君子の、請(せい)に中(あた)たり将に仁義を為し上士に為らむことを求め、上は聖王の道に中(あた)らむと欲し、下は國家百姓の利に中(あた)らむと欲す。故に當(まさ)に節喪の政(まつりごと)を為すが若(ごと)きは、而して此を察せざる可からざるものなり。

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