2024 vol2
2024も残りわずかとなった。
別の作品で私の今年の夏までの印象に残った出来事を書いたが、今回は後半にかけての出来事を書こうと思う。
私はロックバンドが好きだ。
これは私が小学生くらいからずっとそうなのだが、ロックと私の出会いについては別の作品で詳しく書いているので省略します。
そして最近までずっと好きな日本のバンドの一つがBrian the SUN というバンドだ。
これは私が40代の頃に、知り合いから教えてもらい、すっかりハマって今でも続いている感じだ。
若干哀愁を帯びたメロディーに深い哲学的な歌詞がのり、それを森良太という類稀なボーカルの美しい声で歌われる そんなバンドがBrianだ。
残念なことにBrianは確か2020年頃に活動休止となり、現在に至っている。
これについては、森くんによれば、メンバーが仲違いしたとか、ネガティブな要因でそうなったのではないと断言している。
そして、Brian活動休止後しばらくして森くんが立ち上げたのがyowll(ヨウル)という3ピースバンドである。
ボーカルギターに森良太 ベースが鈴村英夫 ドラムが葦原崇大の3人で構成されたグランジパンク(本人がそう言ってます)バンドだ。
Brian時代から森良太という人に強く惹かれていた私は、当然yowllもフォローするようになり、ネットでCDを購入したり、Xに上がるライブ情報をチェックしたりしていた。
yowll結成前にも森良太バンド編成という形でバンド形式でライブをしていたのだが、これは森くんが色々と音楽的な実験をする中でトライしていた一つの形というか、あくまで森良太のやりたい音楽を全面に出したものだった。
ベースやドラム、リードギターは当然スキルは高く、ものすごく良い音楽をやっていた。
しかし、森くんは途中からおそらくパーマネントなバンド、一人がその他をリードするのではなく、3人が同じレベルで創造する例えは合ってるかわからないが、クリームみたいなバンドを組みたかったのではないかと思う。
それがyowllだった。
yowll結成後の彼らのライブ回数は凄まじく、年間100本を超えるライブを行っていた。
森良太という人間はBrian時代もなんとなくそういう傾向が見えていたが、音楽に対して全体重を乗せて他の何をも顧みないような人である。
それはyowll結成後に、より顕著に感じられたものであり、ますます彼は自分の生命さえ顧みないのではないかと危惧されるほどの圧倒的な熱量でライブをやり続けていた。
私はそんな森君の姿勢にますます惹かれていき、同時にこのままでは彼はカートコバーンやジミ・ヘンドリックスのようにいつか命を燃やし尽くしてしまうのではないかという恐れを抱いた。
これは今まで心の中で思って来たものだがあえて文章にする事はなかった事だ。
なぜならそんな事は絶対起こってほしくなかったからだ。
今それを書いたのは、今の森君が、そのようなギリギリの状態から脱してすでにさらに上の次元に昇華した事がわかったからだ。
彼曰く、今までは音楽のために全てを捧げて来たが、もはや自分自身が音楽になっているのでそんなことをする必要が無い‼️生きている事がすなわち音楽なのだと。
要約すると上のような内容の事を何かのSNSで言っていたのだ。
もはや彼は仙人❗️
そこまで悟りを開いてしまったのか😳
私は彼に尊敬を通り越して畏れすら抱いた。
そんな悟りの境地に達した森君率いるyowllが10月27日に新宿ロフトでyowllフェスというのを主催して、自分たちがこのバンドは最高と思うバンドだけを集めて一日中音楽に浸るという、夢のようなイベントが開催された。
私はなんだかんだyowllを生で観るのは初めてだったし、cat ate hotdogsという私の好きなバンドも出るしということで、なかなかの決心で新潟から東京へのライブの旅に出かけた。
私がバンドのライブを観るために県外に出かけるというのも久しぶりのことだった。
この歳になると、気軽に県外しかも東京まで新幹線で往復し、ライブ終了時間にはもう終電がないので、泊まりか、夜行バスで帰ってくるしかないという結構過酷な条件の旅に二の足を踏んでしまう。
私はしかもすごくバスが昔から苦手で、(車酔いとかもあって)とてもじゃないけどバスで夜間走って東京新潟間を移動するなんて、想像するだに恐ろしいことだ。
それで結構いいお金を払って東京でホテルに泊まる事にして、出掛けて行った。
私は新宿には、どこかへ行く時の通過点として通った事はあったが、正直新宿の街(歌舞伎町)に行くのは初めてで、めちゃめちゃ緊張していた。
途中でオヤジ狩りに会ったらどうしよう😢
狭い路地に連れ込まれて鉄パイプとかで殴られたらどうしよう😨
などとビクビクしながら新宿駅を出て新宿ロフトへ向かって歩いた。
歌舞伎町の通りは、想像していたのと違い、ほぼ外国人という状態だった。現状、新宿は外国から来た観光客の観光地といっても良い感じで、みんなスマホで新宿の街並みを撮影したり、TOHOシネマズのゴジラをバックに記念撮影したりしていた。
私はまるで日本にいながら海外旅行をしている錯覚に陥った。
歌舞伎町の広い通りを抜けてTOHOシネマズの脇を過ぎたところに新宿ロフトがあった。
割と年季が入ったビルの地下だった。
時間まで私はドキドキしながら待ち、自分の番号が呼ばれて中に入った。
薄暗いステージが出迎え、思ったよりもなんだか懐かしいような古き良きライブハウスという趣だった。
ライブは171という神戸出身のバンドから始まった。171はそれこそ初めて観たのだが、事前にYouTubeでチェックしていて、最近人気上昇中の勢いのあるバンドだという情報は知っていた。
実際の彼らはものすごい熱量あふれるロックバンドという印象で、ギター、ドラム、ベースの3人がそれぞれ個性を放ちながらバンドとして一体感を感じさせた。
特にギターボーカルはスキルが尋常でないギターを弾きながら感情全開のボーカルをシャウトするという離れ技を演じていて、度肝を抜かれた。
私はこのバンドを観た段階で、これは今回新宿まで観にきた甲斐があったと思った。
171の後にも、色々個性的なバンドが次々続き、私はワクワクしながら聴いていた。
驚いたのは、森君やyowllのメンバーが観客として全てのバンドをノリノリで観ていた事だ。
私のすぐ隣で森君は上機嫌で身体を揺らしながら自分が呼んだバンドの音楽に浸っているようだった。
私はそれを観て、主催とはいえ、こんな事をできる人はそういないなと感心した。
どれだけyowllのメンバーがこのフェスを大事に考えているかが理解できた。
私はテンションが上がり、しばらく絶っていた酒を続けて4杯くらい飲んでしまい、フェスの後半ものすごい眠気と吐き気に襲われてしまい、せっかくのライブをトイレの中で苦しみながら聴くという最悪の醜態を演じてしまった。
なんとか気合いでcat ate hotdogsと最後のyowllはフロアで聴いたが、とても健康的とは言えない状態になってしまった事が今でも悔やまれる。
そんな最悪の状態であってもyowllのライブは最高のものであり、いろんなバンドの中でもやはり、別格の音楽を演奏していた。
フェス開始時にはまばらだった観客も、yowllの演奏時にはほぼほぼ満員となっており、「凄くいいね」という観客の声も聞こえて来た。
私は
次ライブハウスに来たら、絶対にもう酒飲むのはやめようと誓った。
yowllフェスは私に忘れられない思い出となって残った。
その2ヶ月後、12月にも新宿ロフトで今度はいとしの令和というレイラというバンドが主催するフェスがあり、私は再びまた参加した。
今度は前回の失敗を反省して、飲み物はジンジャーエールのみで済ませた。
レイラは新潟でcat ate hotdogsと一緒に観たバンドであり、女性ボーカルと男性ギターの2人がメインで、ベース、ドラムはサポートメンバーという構成のバンドだ。
ボーカルの声は普通でない迫力と心に迫る魅力があり、ギターの音は激しくそして繊細だ。
ここでも私は今まで知らなかった多くのバンドを初めて観て、それぞれの良さを知り、ロックバンドって素晴らしい😊と思った。
今回最もテンションが上がったのは、cat ate hotdogsをリハーサルから観て、ギターボーカルのひこくんがわずか30センチくらいの距離でギターをかき鳴らしてリハーサルしていたのに遭遇できた事だ。
元々彼のギターは凄いと思っていたが、ものすごい高速カッティングをしている時も
左右の手は非常に柔らかく軽く優しく動かしているだけだった。ように見えた。
そしてラストはレイラの魂のこもった演奏だった。
私はレイラの事を多くは知らなかったが、彼ら(彼女ら)がどれほど音楽のために身を捧げているか、みんなから愛されているか知り、一気にファンになった。
私の2024年の後半はこのようにライブにどっぷりハマっていたのだが、最近の10年くらいの中で最も充実した3ヶ月だったと言える。
私のこれからの人生も音楽に浸って過ごしたいと願っている。
ここまで本当に長々と駄文に付き合いくださり、ありがとうございました。
続きはまた来年