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福井

私の出身は福井県だ。
北陸の1番南に位置する、象の頭のような形をした県である。

その福井県の中でも、北の方にある三国町という町が私の生まれた所だ。
保育所から中学校までは三国町で育った。高校は福井市にあったので、電車で通ったがずっと実家暮らしだった。

大学も福井市にあったから、車で通ったが実家暮らしであった。

つまり私は生まれてから23年間実家で過ごしたのだ。
大学は1年留年したから5年間通った。

福井県という所は、京都や滋賀県に隣接していて、北陸の中でもかなり関西の文化に影響を受けた地域であるが、大きく分けて嶺北と嶺南に分けられ、言葉や慣習もそれぞれ大きく異なっている。

嶺南は敦賀や小浜などの市を含み、言葉もほぼ京都弁に近い。
京都や大阪にも近い為、関西圏から海に泳ぎにきたり、釣りをしにきたりする人が多くみられる。

対して嶺北は石川県や岐阜県と接しており、言葉も、やや関西っぽさもあるものの、もう少しもったりとした独特のイントネーションを持ったものだ。

そうなんですか?=「ほうなんか?」
そうなんですよ=「ほうなんやって」
ものすごくたくさんあるんです=「ひってぎょうさんあるんやって」
早くしなさい=「はよしねま!」

など、感情表現豊かに喋る事が基本である。
小さい頃は、この言葉が当たり前であり、何の違和感も感じなかったが、大学生になり、他県出身の人に、福井弁(特に嶺北の)を面白がられたりするようになると、自分の方言が少し恥ずかしいような気になり、今住んでいる新潟に来てからは、ごく親しい人以外には、福井弁で話さないようになった。


だんだん大人になり、歳を重ねてくると、自分の生まれ育った方言がとても大事なもののように思えて、恥ずかしいという気持ちも無くなってきた。

もちろん、嫁や子供たちの前では強烈な福井弁を使って
しゃべっているので、今では新潟出身の嫁も流暢な福井弁を操るし、新潟育ちの子供達も、まるでネイティブの福井人のように福井弁を使える。

少し前にチアダンという映画やドラマがあったが、モデルになった高校は福井商業高校であり、劇中で使われる言葉ももろ嶺北の方言だ。
懐かしさを感じながら見ていたけれど、他県の人にとっては、福井とはどこにあるのかな?という感じなのではないだろうか。


よく自分は福井出身です。と言うと、「ああ、九州の」とか福島県と勘違いされる。


全国的にはマイナーなのだ。
ただ、福井県民はそれをあまり嫌な事とは感じていないようだ。
むしろ知名度がないことを面白がっている節もある。


私が子供の頃は、遊ぶ場所といえばお寺だった。
比較的広い空間があり、池などもあって、子供には格好の遊び場だ。
昔は当たり前だと思っていたが、実家から半径100メートル以内にお寺が4つもあり、いつもどこかしらのお寺で遊んでいた。お寺の裏の方には大抵池があり、大抵ザリガニやオタマジャクシが沢山いた。

当然私はそいつらを捕まえるのに夢中になっていつもお寺の池に忍び込んでいた。

お寺には大抵、怖いお婆さん(住職のおくさんか?)がいて、私たち小さな子どもを見つけると、竹の棒を持って追いかけてきた。

危険だと言うこともあるのだろうが、私たち、ちびっこにとっては恐ろしい怪物のような存在であり、婆さんが来ると一目散に逃げた。

今でも覚えているが、池でザリガニを採っていて婆さんに見つかり、みんな逃げたのだが、私だけが逃げ遅れ、慌てた私は池にはまってしまい、泥状になっていた為、底なし沼のように腰まで浸かって身動き取れなくなってしまった。

私の記憶では兄が助けてくれたのだが、大人になっても兄が言うには、「お前は自分ではいあがってきたんや」ということらしい。

そんな、絵に描いたような子ども時代を過ごせたのも、近くにやたらとお寺がたくさんある環境のせいかもしれない。

実家の建っている土地も自分の所有ではなく、家から少し離れた、曹洞宗のお寺の所有物であり、毎月2千円くらいではあるが、お寺にお金を払って借りているという形であった。

亡くなった父が言うには、「何回売ってくれって寺に頼んでも、それはできませんのや、の一点張りだった」との事で、私の実家だけでなく、近所の家の土地はかならず、どこかしらの宗派のお寺の所有物であった。

今地元を離れてかんがえると、かなり特殊な状況である。

今新潟に住んでみて思うのは、福井がこれほどお寺が住民に身近に沢山ある環境というのは、実はとても珍しく、今ではかなり貴重な土地柄なのだということだ。

子どもはお寺で遊んでいたが、悪いことをすると寺の人に叱られるというのは、私にとっては当たり前だが、別の土地に行くと、珍しい事なのだと気づいた。

お寺の土地は大抵木や池が沢山配置されていて、自然がいっぱいだから、子供の時、寺の裏で木から落ちたフクロウを保護して、安全な場所に放すという経験も当たり前にある。

つい先日、兄と一緒に久しぶりに地元を散策し、昔こんな事があったね、あんなこともあったね、と話した。街の様子はかなり変わってしまったが、お寺は大抵今も当時と大して変わらない景色でありつづけていた。

福井に育って私はとても幸せだったと思う。
理由があって今は新潟で暮らしているが、いつまでも私の心には、懐かしい、温かい故郷なのだ。

みなさん、福井に行ってみませんか?



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