矛盾と人々
人は矛盾の中で生きている。
矛盾とは、同じ人が言う言葉に、食い違い、辻褄が合わない事だろう。
私は、日常の中でこの矛盾を感じてモヤモヤすることがよくある。
例えば、コロナによって日常生活が制限されている状況で開催されるイベントなど、「来場をおまちしています。」と宣伝しているものの、行くと、物々しい雰囲気で検温、発熱の有無、健康状態のチェック、携帯にアプリの登録の要求などなど、まるで、こんな時によく来たね!ほんとに大丈夫?と無言の圧力の様なものを感じさせられたり、それはまだ仕方がないとして、音楽ライブで舞台上では大きな音、歌で会場を盛り上げるのだが、観客には、声を出してはいけません。隣との間隔を空けて静かに見てください。
これって、何が楽しいの?家で動画見てた方がまだ良いんでは?と思ってしまう。
これはまだ良い方で、私が大きな矛盾を感じるのは、人種差別をなくせ!LGBTの権利を認めろ!と言う主張があるが、差別をなくせと言っている人たちは、そう言っていない多数の人達の事を、言葉を変えれば差別しているのではないか?
と感じてしまう。
何が言いたいかというと、自分達と違う考えの人達を認めないと言う点で、それはもう差別なのではないかということである。
もちろん、私は人種差別には反対だし、LGBTの人たちに特別嫌悪感を持っていない。
だが、極端に自分達の主張を強く叫ぶ人達をみると、それはもう逆に自分達以外の人々を差別しているのではないかと思ってしまうのだ。
主張しなければ認められないという意見があると思うが、それでは、声を上げられない人々の考えは無視しても良いのかな?と考えてしまうのだ。
自分達の権利を主張するのは、悪いことではないと思うが、相手のことを思いやらない主張は、やがて、争いや戦争にも繋がっていく気がして、とても嫌になる。
自分自身、あまり権利を主張したり、意地をはるタイプではないので、逆に主張の強い人に対峙すると、勝手にどうぞと思うのだが、その人が声高に叫ぶ主張の中に、身勝手さを感じてしまい、これは矛盾だなと思うのだ。
世の中にはありとあらゆる矛盾が存在し、その中で私は生きているが、ある程度の矛盾は仕方がないのだろう。
よくかんがえると、矛盾とは、人間が存在するからこそ発生するものであり、人間のいない自然界には存在しないものである。
木や岩や川や海は自然界の法則に沿って何ら矛盾することなくそこにある。
全ての事に辻褄があっており、何の疑問もなくバランスがとれている。
矛盾とは、人間が生み出した、エゴの具現化であり、相反する欲望によって無数に発生する微生物のようだ。
常々、私は人間さえこの地球上に存在しなければ、今ある、ありとあらゆる問題は解決するという決定的な考えにとらわれてしまうのだが、それでは、身も蓋もないので、せめてじぶんの人生の中に大きな矛盾を生み出さない様に生きていきたいと思うのだ。
そういう姿勢にこそ人間の美しさが現れると思っている。