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ロックと私

私が最初にロックという音楽に出会ったのは、確か小学校5.6年の時に兄が東京の叔父さんからもらったジャーニーとかTOTOなんかのカセットテープを聴いたのが初めてだったと思う。


それまでわたしが聴く音楽といえば、近所の電気屋さんで買ったゴジラのレコードやテレビで流れていた松田聖子とかたのきんトリオなんかのアイドルの歌くらいだった。

初めて聴くロックはハードなギターと力強いドラムとやたらとお腹に響くベースの音が印象的で、その上にカッコいいボーカルが乗っている凄く何か訴えかけるものがあるなという感想だった。


カセットテープで音源だけだったので、実際ジャーニーやTOTOがどんな人たちなのかはさっぱりわからなかったが、なんだかとてつもなくカッコいい人達なんだろうなと想像していた。


後に実際の彼らの写真を見た時に確かにカッコいいけど、どちらかというと職人的な音楽家集団という感じに見えた。

どういうわけかそのテープの音楽に魅入られた私は、それから色々な洋楽のアーティストのレコードをレンタルレコードで借りて来て聴くようになった。

一番最初に自分で買った洋楽のシングルレコードはカジャグーグーの"君はtoo shy"というイギリスのアイドルバンドの曲だった。

曲を聴いたわけでもなかったが、完全にジャケットの写真のメンバーの写真がカッコよかったからと記憶している。
今でも私の家にそのレコードはあって、時々聴いているが、今聴くと逆に新鮮でとても良いなぁと思う。

カジャグーグーは当時、デュランデュランというアイドルグループの弟分という感じでデビューしたのだが、最初はいかにもアイドルという感じのポップな曲で売っていたのだが、途中からボーカルのリマールと他のバンドメンバーの方向性が違って来て、リマールがソロになるという経緯を辿って行った。

リマールは今までのポップ路線を継続し、バンドメンバーはより本格的なロックをやりたかったのだろう。
その後のカジャグーグーのアルバムも持っているが、ボーカルをベースの人(ニック ベッグスとか言ったかなぁ)が担っていて、本格的なロックのとても良い曲をやっているのだが、セールス的にはそんなに振るわなかったようだ。

当時の私は3歳上の兄の影響をとても受けていて、聴く音楽も兄の影響が大きかった。

兄はイギリスの音楽 UK音楽とでもいうかにとても入れ込んでいて、キュアーとかジェネシス、キングクリムゾン、ピンク・フロイドなどのバンドのアルバムを借りて来たり買って来たりしていて、私もそれを聞かせてもらっていた。

それらのバンドの音楽はカジャグーグーのハッピーな感じとは違って重く、沈美的で難解なものが多かったが、独特のリズムが感じられて私の知らない世界を知ることができた。

私は中学校時代はこれらの洋楽にはまっていて、逆に当時流行っていた歌謡曲はほとんど知らないのだった。

そして確か中学3年くらいだったろうか?私は福井市のレコード店でそれこそ全く予備知識なく、ジャケットがカッコよかったから買ったアルバムに打ちのめされた。

それはジミ・ヘンドリックスのAre you experiencedだった。

それはまさに稲妻のような衝撃だった。
ジミ・ヘンドリックスの弾くギターはまさに変幻自在で彼の独特の声とギターは完全に同期していて、まるで喋るようにギターを弾いていたのだ‼️

ミッチミッチェルのテクニカルなドラムとノエルレディングの安定したベースが強力なリズムを作り出し、そこにジミの唯一無二のギターとボーカルが自由自在に走り回る音楽に私は完全に打ちのめされてしまった。

ジャケットを見て、ジミ・ヘンドリックスが黒人であることは分かっていたが、彼が左利きで、ギターを逆さまに持ち、左手でピッキングしていたのを知ったのは、かなり後の事だった。

今でこそジミ・ヘンドリックスがエレクトリックギターの革新的な奏法を作り出し、後のロックギタリストに絶大な影響を与えた事は知っているが、中学3年の私がなぜ何の予備知識も無く彼のファーストアルバムを買ったのかは、もう運命としか思えなかった。

何の理屈もなくその音楽が最高のものだと直感で分かった。
彼の才能がとてつもないものだというのは何の疑いもなかったのだ。

私は夢中になってジミ・ヘンドリックスの音楽を聴きまくった。
彼が27歳で私が生まれる一年前に亡くなった事も後追いで知った。

その短い人生の中でも時代によって彼の音楽は進化していて、エレクトリックレディランドではその後のロックを予言するような様々な実験的な事をやっているのがわかった。

私の中で彼はまるで宇宙から来た別世界の人という印象だった。今聴いても全く古さを感じない魔法のような音楽を彼は作ってくれたのだ。

あまりにも凄すぎて彼の音楽を真似する気にすらならなかったが、私は中3の時にお年玉で近所にあった町の楽器屋さんでYAMAHAのフォークギターを買った。
全くの独学で最初はチューニングの仕方もわからなかったが、なんとか教則本を読みながら、コードというものがある事を初めて知り、何度か挫折しそうになりながらこの歳までギターを続けている。

全くの独学であるため、多分私のギターの弾き方は正当なものでないだろうし、楽譜も読めない。

だが、ギターで作られる音楽が好きだという気持ちは中年になった今でも全く衰えず変わっていない。
フォークギターを買ってから私は今度、T-rexに夢中になり、マークボランの甲高い声と不思議なリズムのギターに魅了された。

なぜだか分からないが、彼のファッションや音楽スタイルが気に入り、本屋でマークボランの伝記のような物を買って読むほど入れ込んでいた。
本名はマーク フェルド 父親はトラックの運転手だった 小さい頃からスターに憧れていた彼はオーディションを受け、最初はスティーブ ペルグリン トゥックとコンビを組みフォークギターで哀愁漂う曲を作っていたが、なかなか日の目を見なかった。心機一転エレキギターを持ち、T-rexのギターボーカルとしてヒットを飛ばし、日本名 電気の武者 (Electric warrior)で人気を決定付けた。

彼のギターは決してテクニカルなものではなく、凄いプレイヤーというわけではないのだが、独特の声に合わせて差し込まれるブギー調のギターは非凡なセンスを感じさせ、何よりも強烈なルックスとスター性が唯一無二であったと思う。

彼はデビッド ボウイにも影響を与えており、グラムロックの父とも言われていたようだ。さらに、ダムドなどの後のパンクミュージックにも多大な影響を与えたと伝記には書いてあった。

マークもジミ・ヘンドリックスと同じく、まだ若くして亡くなっている。

当時彼が付き合っていた女性の運転するミニクーパーの助手席に乗っていた彼は、くるまが木にぶつかるという事故で亡くなったとのことだ。

中学生の私はマークボランのレコードに合わせてフォークギターででたらめなコードを鳴らすのが好きだった。

高校生になり、2ヶ月たった頃に私の母が亡くなった。

突然の事で私は混乱して、人生の理不尽さを思い知った。

しばらく私は鬱状態のようになり、何のために学校に行っているのかわからなくなった。

それまで聴いていた音楽も1年位は全く聴かなくなった。

そんな毎日を送っていたある日、高校からの帰り道で本屋でたまたま立ち読みしたボーダーという漫画に私は衝撃を受け、その中で登場するボブマーリーに非常に惹かれた。

それまで全くレゲエというものを知らず、何となく南の国の陽気な音楽という程度の認識だったのだが、ボブマーリーの事を調べると、レゲエという音楽がただの陽気な音楽ではなく、自由を掴むための闘いの音楽なのだと知った。

ジャマイカで生まれたロバート ネスタ マーリーはイギリス軍のノーマン ネスタ マーリーとジャマイカ人女性の間に生まれた。

ジャマイカのスラム街で育ったロバートは、やがて街の仲間達のリーダー的存在となっていく。

当時まだレゲエという音楽は確立しておらず、スカとかロックステディと呼ばれていた音楽を元に、ベースの効いた独特のリズムのルーツレゲエと呼ばれるものに発展していく渦中であった。

ロバート=ボブの強力な個性のもと集まったバレット兄弟のドラムとベース、ジュニア マーヴィンのリードギター そして後に彼の妻となるリタ マーリーのコーラスで編成されたボブマーリー アンド ザ ウェイラーズ はデビューアルバム キャッチ ア ファイアで強烈なレゲエを世界に知らしめたのだ。

彼の歌う歌には、アフリカから奴隷として連れてこられ、ジャマイカで強制的に働かされた人々の苦しみと、社会に対する怒りが満ちていた。

彼の魂の唄は多くの人の心に響き、特にヨーロッパで高く評価された。

世界中にレゲエのリズムが波及し、多くの白人アーティストにも影響を与えたのだ。
それはロックの世界にも影響し、ポリスの曲にも、ウォーキング イン ザ ムーンのようなレゲエの曲がある。

私はボブマーリーの音楽に夢中になり、CDやレコードでアルバムを全て買って聴いた。

母の死で灰色だった私の心は、再び鮮やかな色を取り戻した。

ボブの音楽は強いメッセージと優しさに満ちていた。こんなに強い人がいたんだと感動した。

ボブマーリーは1981年に、つまり私が10歳の時に亡くなっている。
私はどういうわけか、もうすでに亡くなってしまった人の音楽に強く惹かれるみたいだ。
意識してそうしているわけではないのだが、好きになる音楽のアーティストは既に亡くなっている事がほとんどだ。

高校時代はほぼレゲエ一色だった私だが、大学生になると、機械科だったこともあり、バイクや車に興味が移っていき、余り熱心に音楽を聴く事もなくなっていた。

私が再びロックを聴きだすのは、社会人になり、ホームセンターの物流倉庫で働いていた時だ。

私より5〜6歳若い同僚からレイジアゲンストザマシーンを教えてもらったのだ。
当時私は全く彼らの事を知らず、同僚から貸してもらったCDを聴いて、大袈裟でなく度肝を抜かれた。
今まで全く聴いたことのないような音をギターのトム モレロは出していた。
ギターとは思えないような金属的な音や、パトカーのサイレンのような音、無音程のように変化する怪しげな音。それらをギターと5〜6種類のエフェクターのみで出していると知った時の衝撃は凄かった。
それらの特殊な効果音だけでなく、低く刻まれるベースと強力なドラム、そしてボーカルのザック デラロッチャの政治的なメッセージの入った攻撃的なラップ。

全てがわたしのそれまで知っていたロックとは異なり、聴いたことのない音楽だった。
私はそれに夢中になり、レイジアゲンストザマシーンのアルバムを全て借りたり購入したりした。

それと同時にトムモレロのようなプレイをしてみたくなり、兄に貸していたフェンダージャパンのアンプをまた手元に戻し、安いエレキギターを購入した。

フランジャーやワウペダル、ディレイも購入して、何とかしてトムモレロのような音を出してみようと試みたが、何となくの拍子抜けした音しか出せなかった。

本格的に彼のようにピックアップセレクターで音をオンオフできるように改造したり、全く同じエフェクターを使えば多分似たような音はだせると思うが、彼の凄さの本質は常人には思いつきもしない方法で弦を弾き、エフェクターを駆使して作る独創的な音と演奏であり、それをそっくり真似することの無意味さに気付いた私はそれ以上彼に近付こうとするのをやめた。


レイジの音楽に夢中になっている間に私は色々事情があって新潟に妻と共に引っ越すことになった。

その後仕事を色々変えて、ブルーズにのめり込むのだが、そのことについてはべつの文章で詳しく述べているので割愛する。

何度か転職を繰り返し、初めて介護職に就いた職場で、同僚のお姉さんがたまたま私の好きだったokamoto'sのファンだったという事で親しくなり、その人から色々日本のバンドを紹介してもらった。

go!go!vanillas、Brian the sun、the oral cigarettes、kanaboon等 当時メジャーデビューしたばかりの若いバンドを教えてもらい、実際ライブに行ってみて今の(14〜5年前)日本のバンドの素晴らしさを実感した。

若い頃の私は、日本のバンドは嫌いではないけど、好きなのはアメリカやイギリスのバンドという意識があったのだが、久しぶりに日本のバンドを聴いてみると、外国のバンドに対する変なコンプレックスも感じず、洋楽の影響を受けながらも独自の音楽を確立しているのがカッコいいなと素直に思った。

皆私より20歳近く若いのだが、私は単純に彼らのファンになった。

日本語で歌われる歌詞もわかりやすく、私が若い頃の日本のバンドに比べても言葉選びが秀逸で面白いと感じた。

その中でもわたしが今現在まで好きなのは、okamoto's、Brian the sun、go!go!vanillasである。Brian the sunについては2020年に活動休止になっており、現在はボーカルの森良太君が地元の大阪でソロ活動とバンド活動(Yowll)を並行して行なっている。

私も歳をとり、次第にライブに行く機会も減ってきているが、この3つのバンド(Brian the sunは当面無理だろうが)が新潟に来ると知れば絶対行きたいと思っている。

もちろんこのようなバンドのファンに私のようなオッサンは凄く少ないと思うのだが、それでも私は彼らを観に行きたいし、応援したいと思っている。

小学生から始まった私のロック人生はまだ当分つづきそうである。


ここまで長々と読んでいただいた奇特な方には感謝に絶えません。



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