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「自分を認める」の沸点を下げてみる

友人の活躍を見ると、「すごい」という気持ちと「自分はできてない」と2つの気持ちがぶつかる。

人間は僕に限らず、負の情報を誇大化してしまうので、1%くらいの情報で残りの感情を潰してしまったりする。

そんな時、比較項目の細分化は極めて有効だ。

例えば、昔同じようなことをしてた友人が月1000万円稼いでいるとする。

人気もある。

有名にもなった。

少し動けばお金も動く。

正直羨ましいばかりだ。

でも僕には出来なかったものだし、彼が正しい方向に正しい努力をし、時代を見極めたからこそ成せた、努力の結晶を眺めているわけだ。

一方で、僕も自分の積み上げてみたもの、作り上げたものに不満はない。

未熟さは感じるが、精一杯闘い続けて、得たNGOであり、CBBの作り出す世界だ。

もちろんこれは友人には無いもの。

彼が欲してるかはもちろん別だが。

と、そう。そういうことなのだ。

僕らは無意識のうちに自分が欲してたものを手に入れている。

隣の芝生は青く見える。

ないものねだり。

そんな昔から知ってるものにモノの本質が詰まっている。

たぶん僕は嫉妬している。

彼の成功に嫉妬している。

それはつまり、僕がその要素のどれかを欲してるからだ。

それか名声なのか、知名度なのか、お金なのか、それはまだ分からない。

正直お金な気もする。

NGOをやってきたからこそ、お金が人や教育、家庭教育を大きく左右することを目の当たりにしてきた。

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