光を書く
光について、ChatGPTと話をしていた。
最初は光の可視光や分散について、そこから話題が自然と広がり、ニュートンの『光学』やゲーテの『色彩論』にまで及んだ。順番でいえば、まずニュートンが光の本質を探り、それに応答するようにゲーテが光と色についての考察を行ったのだろう。
光を学ぶ中で、僕の興味は今ちょうど展示されているモネにも向かっていった。モネは光をどう描こうとしたのだろうか。ある意味、彼が光を「主体的に」捉えようとしたのかもしれないが、それが本当に主体的と言えるのかは分からない。光を、あるものとしてそのまま描き出すことの中に、彼の意図があったのかもしれない。
光について考えると、主光源である太陽や天気にまで思考が広がっていく。僕の目に映る光はどのように認識され、錐体細胞などの生理的な仕組みを通じてどのように意味を持つのか。あとは、ゲーテが光を「主体的な変化をするもの」と見なしていたのだろうか、など。
光への興味は以前からあった気がする。
例えば、タルコフスキーの映画や、写真撮影への関心がそのきっかけだったのだろう。
特にタルコフスキーの映画では、物語の構成ではなく、その「見せ方」が他の何よりも僕の興味を引く。
最近見た『ローラーとバイオリン』を例にすると、少年がバイオリンを習い、ローラーを動かす男性と仲良くなり、映画を見に行く約束をする――ただそれだけの話だ。しかし、その中でキャラクターにどのように光を当て、どう魅せていくかが、作品に奥行きを生み出している。
絵画でも映画でも写真でも、光の描き方がテーマとなるのなら、それは文学にも当てはまる。文字においては、色彩の代わりに「赤」という言葉が直接表現されるのではなく、もっと抽象的で奥行きのある表し方が必要になる。赤を「赤」と伝えるのではなく、光の捉え方を言葉で描く必要がある。
ただ「光」を主題にすると範囲が広すぎるため、「僕にとっての光とは何か?」という主観的な視点で考えることが、今の僕にとって必要だ。
僕が見てきた光を丁寧に分解し、分析していく作業をしてみたい。
まだどこから手をつけるべきかは分からないけれど、この考えや体験をnoteで少しずつ更新し、まとまったものにしていけたらと思っている。
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