フジテレビ騒動何だ。
一日の多くの時間が中居問題、いや、フジテレビ騒動に食われたと思った昨日18日だった。それにしてもと思うのは、テレ業界の閉鎖性であり、後進的な社会性である。何と言っても気になるの女性、女子アナウンサーへの考え方である。
女子アナウンサーは憧れの花形職業だとか、ある時期まではスチュワーデスがそうだったらしいが、近年の最近の女性の憧れの職業が女子アナウンサーで、その女子アナウンサーを、視聴率のとれるタレントの機嫌取りに、性欲発散のためにだまし打ち的に提供する。何のために、もちろん男性的な欲望発散のためである。くどい紛らわしい言い方でなく直截的に言うと性欲発散のための、更に単純に言うとSEXの相手として、性欲発散のための道具的に提供、いや、上納するという、前時代的な、男女平等の精神も完全に無視し、かっての大奥的な、もっと平たく言えば芸者的に、上納である。
上納とは何だろうと思うが、上納とは何だろうと考えるが、さてさて何だろう。
自由と平等の民主主義精神をリードし社会の鏡的な存在であるはずのマスコミであるはずのテレビである。マスコミとは何だろうと考えると、テレビはニュース時間だけがマスコミで報道機関で社会をリードする自由と平等の精神に満ちた存在だろうけど、それ以外の娯楽性が求められる時間は、自由とか平等とかの民主主義などくそくらえ的な、封建制度の充満する、士族社会的な精神性にリードされると言ってもいいかもしれないと、そこから生まれる娯楽番組お笑い番組に見入っていた自分も考えると、少々苦いものがこみあげてくる。
ジャニーズ問題から松本人志問題、そして、中居正広問題と、テレビ業界の前時代的で閉鎖的な時代錯誤的な闇が浮かび上がり、その闇の言い訳がましい小さな光の揺れに多くの時間を消費している自分の愚かさも反省sするユーチューブ難民である。
ユーチューブでは、引退直前の、人気最高潮での引退を決意した、当時の吉本興業の最高位に君臨していたと言っても過言ではない方の発言を提供する番組があった。その内容からは、このところの一連の事件は難なく想像できる。すべてが必然的な出来事であり、日常的なことであり、それがたまたま、表に出て大きくなっただけのことで、収まれば同じことは繰り返されるだけのことだという思いにもなる。
有名タレントへの女子アナウンサーの提供とは、それで、居直っているかのようなテレビ業界の・・・いやいや、テレビ業界全体を考えるのは間違いだとどこからか声が聞こえるようだ。昭和生まれの人間は完全にテレビで育っているわけだから、テレビへの愛が、愛着があるのは当然で、現在はユーチューブ難民も何とかしてほしい思いである。