無理難題の愛を知る - 見捨てられダメ社員を一流に育てる、敏腕経営者「虎」のリクエスト術 -
2015年、「うだつの上がらない、ダメ社員」当時の夫をそう評価したのは直上の上司でした。
物静かで、口ベタ。いつもニコニコ笑っているが、どこか何を考えているか分からない。不器用で真っ直ぐで、こうと決めたらその方法しか見えなくなる、愚直という言葉がピッタリな人。それが妻の私からみた当時の夫のイメージでした。
そつなく目標は達成するものの、目新しさも派手さもなく、響いているのかそうでないのか分かりづらく、これといった実績も上げない。そんなダメ社員だった夫は、その後、たった数年で企業の経営者たちと渡り合い、人材開発のプロフェッショナルとして、経営を支える人材に成るまでに成長を果たします。
今回は、その夫の成長を人知れず支え続け、変化するキッカケをくださった、敏腕経営者「虎」からの愛に溢れたリクエストのお話をいたします。
一見、無理難題とも思えるそのリクエストは、乗り越える度に夫だけでなく私たち夫婦を成長させてくれているように感じています。
愛に溢れたリクエストを投げかけ続けてくれた、敏腕経営者の「人を成長させる無理難題」のエピソードを、妻の視点から振り返ってまいります。
0. プロローグ
(1) 明太子キャンペーン始動
2022年4月、私たち家族は福岡県糸島市に移住しました。
1,000kmを超える大移動を前に、出立の数ヶ月前から引越しのご挨拶と銘打って、様々な方々に連絡をとりました。
会えなくなる距離を惜しんでくださる方。激励の言葉をくださる方。また引越し先への再会の旅のプランを立ててくださる方。
現実でもオンラインでも、私たちのために時間を割いて、また会おうと約束してくれる大切な面々を前に、9年前に関東にやってきた新婚当時の私には、ほとんど知人のいなかったことを思い出し、ご縁のありがたさに込み上げるものを感じました。
(きっと、歌謡曲で聞いた寂寞(せきばく)の思いってこれのことね。)
などと考えつつ、なんとも言えないセンチメンタルな時間を、噛み締めていました。
引っ越しが済んでしばらくした頃、これまでの生活と新たな暮らしのギャップに四苦八苦しておりましたら、「虎」と呼ばれる敏腕経営者からご連絡をいただきました。その内容はとてもユニークで、夫と私の寂しさを吹き飛ばしてくれるようでした。
なんともぶっきらぼうで、唐突なそのメッセージに、私たちは大笑いし、歓喜しました。いつも変わらず夫を応援し続けてくださる、虎。彼のリクエストはいつでも粋で、乗り越える度、成長や前進を感じることができます。今回はどんな風にお応えしようかと、考えるだけでワクワクするのです。
私「そういえばわたしたち引越しで忙しくて、まだ明太子食べていなかったね!」
夫「とにかく美味い明太子を探し出そう!こうなったら食べ比べだ!!」
探究心に火がついた夫と私は、「ほんとうに美味い明太子探しキャンペーン」と銘打ち、明太子の食べ比べをスタートしました。
キャンペーンの行方は後ほどお話しすることにして、まずは夫と私が、なぜこれほどまでに虎のリクエストに応えたがるのか。
そこには、夫の成長を支えた一瞬「無理難題」とも思える幾つもの虎のリクエストがありました。
その無理難題にわたしたちがどれほど勇気づけられてきたか。
とても良い機会ですので、これからそのほんの一部をご紹介してまいります。
1. 虎と「うだつの上がらない男」
(1) 回想、日曜の夜中を切り裂く虎の雄叫び
私が虎を知ったのは2014年、まだ朝夕は肌寒い初夏のある日曜日の夜中でした。
時計の針もちょうど真上にさしかかる頃、赤ん坊だった長女の寝顔を眺めつつ、わたしたちもそろそろ眠ろうかと「おやすみ」と言葉を交わし、電気を消した直後、夫の携帯の着信音が静かになった部屋に響きました。
「こんな時間に、だれ?」
いぶかる私の言葉をよそに、画面を見た夫が言葉通り弾けるように飛び起き、布団の上に正座をし、話し始める間も無く。
「※◯×△※※◎!!!!!!」
となりいる私にも、どうやら電話の相手が怒っていることがわかるほどの怒声が、夫の電話から鳴り響きました。
あまりの音量に、鼓膜を守ろうとしたのか、無意識に耳から出来るだけ携帯を遠ざけ、話を聞く夫。その顔はみるみる内に青ざめていきました。何かを確認しなければと思ったのか、夫は弾けるように書斎にある仕事鞄めがけてドタドタと走り去っていきました。
(間違いなくトラブってるよね。
しかも、これはかなりやばいのかもしれない。)
そんなことを考えながら、落ち着くために娘の髪を撫でたのを今でも覚えています。
当時、夫は不動産関連の仕事をしており、関わるお客様はとても気合の入った方ばかり。
『中でも経営者層の面々は、どなたも社会の荒波どころか、嵐の海を超えて来たような方ばかりで、一介のサラリーマンでは歯が立たない。』と、妻の私は恐ろしい噂を聞いていました。
噂だけで妄想が膨らんだわたしの脳裏をよぎるのは、ドラム缶にコンクリート詰だとか、内臓がどうとか。まさかそんな世界はあるまいと思う反面、青褪めた彼の顔を思い浮かべると手が震えました。
部屋に帰ってきたまだ青い顔をしている夫に、出来るだけ平静を装って、何事かと問う私に、夫はこう答えます。
「怒ってた。よくわからないけど、ミスがあったみたいで。俺、明日朝一で行ってくる。」
この明日に当たる日は、全社で重要な会合があるとかで、数日前から朝早く家を出なければならないと聞いておりました。その全社の重要な何かよりも、重要な怒声。
「生きて帰ってきてね。」
翌朝、夫を送り出す私の言葉は、冗談混じりのはずなのに、どうしても顔はひきつっておりました。
このなんとも衝撃的な出会いをきっかけに、わたしの虎と夫の仕事への関心はみるみる高まっていきました。
(2) 無事帰還す
その日、夜遅く仕事から帰った夫は、まだ少し青褪めた顔をして、眠る娘の頭を撫でていました。ひとまず生きて帰ったことに安堵し、1日中みょうに力んでいた肩からガクッと力が抜けました。
私「今日は、どうだった?」
夫「うん。どうやら俺のミスで連絡がきたんじゃなかった。
規定の確認漏れを指摘してくれて、これからうちの会社全体で、確認にあたることになったよ。
今日はアポイント取ってなかったからさ。会ってもらえるまで店舗近くの店で6時間待ってたんだよ。虎は不在だったんだけど、対応してくれた管理職の方が、『恐かったでしょ?』って、コーヒーを出してくれたよ。」
私には詳しいことはよく分かりませんでしたが、なんにせよ夫はどうやら大丈夫そうだということだけを理解し、それはよかったとふたりで夕食を取りました。一息ついて、冷静になってボーッと昨日を振り返ると、なんだか急に笑いが込み上げてきて、話題は昨夜の雄叫びの話になります。
私「それにしても、声、おっきかったね。」
夫「めちゃくちゃ大っきかったよ!
俺ずっとアメフトやってきてさ、恐い人たくさん知ってるつもりだったけど、ここまで本気でビビったの初めてかもしれないよ。」
私「そりゃビビるよ!電話であれだけ大っきかったんだから、現場の人はさぞビックリしただろうね。」
夫「あの時、オフィスの窓空いてたらしくてさ。下のフロアのスタッフさんたち、凍りついてたって、今日対応してくれた方が言ってたよ。」
私「いやぁ、今まで仕事大変だなーとは思ってたけど、今回はその大変がどれほどなのか、まじまじと観させてもらった気がするよ。」
そんな話をしながら、夜遅くになっても夫の仕事の面白話は尽きることなく、深夜まで談笑は続きました。
その姿勢をかわれたのかは定かではありませんが、この一件から徐々に虎との関係は深まっていきました。
2. 虎とお姉ちゃん
(1) お姉ちゃんから学ぶ、相手を思いやる最強営業術
さて、かの一件が一息ついた頃、虎は夫を接待に招いてくださいました。以前から虎を知る上司や先輩に、その接待の流れを確認すると、食事から始まり、高級キャバクラ店へという流れが定番とのことでした。。
接待の当日、家におりました私は少しやさぐれておりました。
一通りの家事を終え娘を寝かしつけ、手が空きますと、私の脳裏に湧いてくるのは、どんな文句や嫌味を浴びせてやろうかという、タンカーから大海へ漏れ出す重油のような粘ついた思いが私の心と頭に広がっていきます。
大きなリビングダイニングの半分だけ電気を残し、眠る娘を横目に、その日スーパーで買った普段は飲まない少しお高い缶ビールを飲み、どんな嫌味を言ってやろうかと、ほくそ笑みながら、ちみりちみりと時間をつぶしておりました。
しかし、帰ってきた夫は、酔っている様子はなく、浮かれているわけでもなく、なぜか感慨深げな顔で薄暗いリビングに入ってくるのです。想定していたのは、あのネクタイを頭に巻いて、「ごめんごめーん」となどと浮かれた笑みを浮かべる姿。
私(思ってたんと違う)
しかし、これしきのことで、この数時間頭を占領してきた、嫌味の数々をなかったことにはしまいと、妙に鼻息荒く私はけしかけます。
私「おかえり。で?可愛いお姉ちゃんはいた?」
まずはジャブを一発!と言わんばかりに、最初のフリのチクっと意地悪レベルの嫌味をお見舞いしました。しかし、その言葉を待っていましたと言わんばかりに、夫はなぜかイキイキと、キャバクラの接客やサービス、マネジメントに至るまで、熱く事細かに語り始めるのです。
夫「本物っていうのは凄い!
今日対応していた方は、虎が何をいうでもなく、必要なものが必要な時に出ているんだよ。
薬を飲む時には水を頼まなくてもそこにある。タバコを吸う時には火がそこにあって、最後の一本を吸えば替えのタバコが用意されてるんだ。
虎はもちろん、その方が誰かに指示をしている様子もない。チームプレイなんだよ。ほんとうに素晴らしい。組織って面白い!」
ネットリとした居心地の悪い嫉妬の念に身を染めた了見の狭い私を、夫は嘲笑うどころか、気にも留めず、清く純真な心だけでキャバクラのサービスや運営、そして虎が何故そこに招いてくれたのかについて熱く語るのです。
(完全敗北、というか、、、そもそも土俵にも立てていない。なんなんだこの状況は。。。
いや、どうやらそもそもお姉ちゃんにチヤホヤされて喜んでいる感じでもない。ということは、いっそねちこく了見の狭い私は始めからいなかったことにして、この話題を楽しむ理解ある妻を演じることこそ、妻の品格かもしれない。)
私はたった一人で作り上げた、嫉妬という名の仄暗い土俵から撤退することに決め、このギトギトとした念にとらわれた半日を、しれっとなかったことにしました。
手のひらを返し聞くことにした、キャバクラの組織と運営という目新しい話題は、確かに聞くほどに興味深く、お酒による気分の良さも相待って、夫婦の「接待振返りミーティング」は夜遅くまで続きました。
この「接待振返りミーティング」は、この日を境に、接待や会食に出かけた後などに度々開かれるようになり、現在も続くわたしたちの隠れた習慣になりました。
(2) リクエストは突然に
虎「六本木、錦糸町でいい店を見繕ってくれ」
虎との二度目の接待は、夫がリクエストに応えることが、ある日唐突に決まりました。
その時の夫の焦りようは尋常ではありませんでした。
夫「俺、いい店なんて行ったことがないし知らない。どうしよう。」
このいい店という言葉がさすのはもちろん美しいお姉ちゃんがいる、キャバクラ店もしくはクラブを指します。学生時代から美味しいラーメン店や焼肉店などはよく知る夫でしたが、お酒が飲めない夫にとって夜の街は未知の世界。このリクエストには東京育ちの夫もお手上げの様子で、さぁどうしたものかと頭を抱えていました。
妻(虎も夫が飲めないことは知っているはずだけど、どうして彼に頼んだんだろう?)
敏腕経営者ですので、おそらく聞く人に聞けば、あっさりと名店には行き当たるはず。しかし、あえて最近営業についた、お酒も飲まず、夜の街にも疎い夫に、それを聞くのはなぜか、どこか気になりつつ、夫と作戦を練りました。
まずはインターネットで調べてみましたが、どれが確かな情報なのかわからない。と、インターネットの情報だけを信じることは、あっさり辞めました。次に始めた方法は、同僚に聞いてみる。しかし、企業の経営者に愛されるほどの店で、しかもエリアや接待交際費の予算のなかで、虎の満足度を満たすお店となると、一介のサラリーマンの情報だけでは、十分というわけにはいきませんでした。
最終的に夫がたどり着いた方法が「共通点のある人に聞きまくり、その上でインターネットで確認し、直接問い合わせる」という方法でした。
ここで指す共通点とは、
・接待をするお客様と同業者
・接待をするお客様と同程度の収入層(あくまで仮定です)
・希望エリアで出店している飲食店経営者
・希望エリアを担当している営業マン
・接待をするお客様が馴染みのサービスパーソン などです。
郷にいれば郷に従えという言葉がありますが、そもそも郷を知らないままで飛び込むのは、あまりにリスクが大きいのです。何事もまず幅広く情報を取りに行き、仮説をたて、一つずつ当たってみるこの方法は、とてもシンプルで、確かな打ち手につながる方法だった。と、夫は当時を振り返ります。
何日もかけ、思い当たる人に片っ端から聞きまくった夫は、これだ!という情報と人脈についに出会います。その人は中学時代の友人の兄の友人。一見、関係性のないこの方に出会うことができたのは、一所懸命に動く夫を見かねて、周りの方達が自ずと動き出してくれ、ご縁を繋ぎ広げてくださった結果でした。
接待当日、夜遅くに帰ってきた夫の表情は、まるで試合を勝ち星で終えたアスリートのように晴れやかなでした。念願かなって辿り着いたそのお店は、雰囲気や接客、サービス、どれをとっても申し分なかったそうで、虎もとても喜んでくれたと夫は話し始めました。
夫「『馴染みの店もあるけれど、いい店にはまた来たくなるものだよ。このお店にはぜひまた来ようと思う。』って、褒めてくれたんだよ。粋だよね。お店の方もとても喜んでくれていたよ。
今回のリクエスト。考えてみると、虎からのメッセージじゃないかと思うんだ。俺、人に聞くの苦手だからさ。『こんなこと人に聞いていいのかな?』って思って言葉にするのを躊躇してた。でも、聞いてみたら、みんなすごく親身に聞いてくれて、いろいろなことを教えてくれたんだ。誰に聞かなきゃいけないじゃなくて、誰に聞いてもいいんだよね。」
そう話す夫の表情は、どこかスッキリと付き物が落ちたようで、これまでにはなかった自信や確信といった雰囲気を漂っていました。
3. 信じてくれる人
(1) 想いは届かず、ダメ社員
知らないことをとにかく知りたいと、夫は話を聞くに徹し始めたのは、2015年初春のことでした。
「現場留学」と銘打って、クライアントの担当者や、決裁者だけでなく、現場で働くスタッフさんやお客様に至るまで、とにかくクライアントに関わる方々の話を片っ端から聞きまくり、自身の成長に繋げつつ、自社が介在できる課題を見出すというこの企画を、虎はとても評価してくださっていたそうです。
そして、一つの提案にたどり着いた頃、夫が務める会社では、年度末に行われる一年を通した人事査定会議が粛々と進んでいました。
査定会議は、そのグループをまとめるGM陣で執り行われ、その結果を各GMが一人づつ面談でフィードバックをするという方法です。
そして、フィードバック面談を終えた夜、夫はとても意気消沈して帰ってきました。何かよろしくないことが起こったことを感じつつ、気づかないふりを通そうと私は声をかけました。
私「おかえり!」
夫「ダメだった。」
わたし(まだ何も聞いていないが。どうやら雲行きはよろしくないようだ。)
もう眠っている娘を寂しげに眺める夫の背中には、どんよりとした重く濁った空気がまるで目に見えるようでした。何かがあったこと感じながら、夕飯の用意を整え私が食卓に着くと、夫はポツリポツリと話し始めました。
「この一年、自分なりに頑張っていたつもりだったけど、今日言われた。
『この一年、お前は何もしてこなかった』って。」
そう言いながら、夫は苛立ちと涙を滲ませました。
そんな夫を前に、私の腹の底からはふつふつと、というよりドクドクと、まるでドロッとした溶岩が込み上げるように怒が湧いてきて、そのドロドロの思いは口を突き、とめどなく溢れ出しました。
「この一年、何もしてこなかったって、どういうことやねん!?毎日ずっと働いてるやん!!
こんなにかわいい娘が生まれて、今はもう歩き始めている。その間、この子が起きてる間に帰ってきたことなんて数えるほどや!これ以上働けって、どれだけ働けばええの!?
私が聞く!今から電話する!!携帯かして!!」
一人ヒートアップする私を、呆然と眺める夫。
「・・・いや、あなたが俺の上司にキレるの?」
その冷静なツッコミで我に返ったわたしは、確かにそれはおかしいかもしれないという思いと、では何をしろというのかという困惑とで、思いが迷走し黙りこみました。
その時の私は、夫が早く家に帰ってこれないことに怒っていたのか、こんなに泥臭く、地道にやっている夫が正当に評価されないことを怒っていたのか。ほぼ八つ当たり同然の理不尽なロジックを、私は他人にぶつけようとしてる自分自身に驚きました。
と、同時に、その当時はまだ良き母・良き妻を演じようともがいていた自分が、もっと泥臭く一緒に子育てをしたいと思っている事実に、この時改めて強く気付きました。
結局、当時の上司に何をいうでもなく、日々は矢のように過ぎていきました。
愚直という言葉がしっくり当てはまる夫は、多くの人から聞いた内容を基に作ったこの結論であっているはずと、自分に言い聞かせながら、お客様方に提案した内容を曲げることなく、淡々と遂行し続けていました。
この頃、人事査定とは裏腹に、社外での夫への信頼は少しずつ厚くなっていき、社内と社外の夫への評価に差が生まれるようになりました。当時の夫は、社外では頼りにされ、信頼される人材。一方で社内ではダメ社員と呼ばれるギャップに、思い悩んでいるように見えました。
(2) 「浦安デニーズランチタイムの激励」
そんなある日、夫はいつもより少し早く、感慨深げに家に帰ってきました。
パジャマ姿で大喜びする娘は、夫の足にまとわりつきます。服を着替え、娘を抱いたまま、食事を食べながら、夫がゆっくりと話し始めました。
その日、夫は虎の会社の支店との打ち合わせに同席し、その合間の時間でランチに誘われたそうです。人もまばらな平日の昼下がりの浦安のデニーズで、食事を前に夫がポツリと漏らしました。
夫「いやぁ、がんばりたいですね。うまくいかないですね。」
なんの前触れもなく話し始めた夫の言葉を聞いた虎は、何がうまくいかないかを詮索するでもなく、何か考えを巡らせながら、返しました。
虎「焦るな。お前は絶対に大丈夫だ。とにかく今は、焦るな。」
夕食を噛み締めながら、夫は、目に涙を浮かべながらにポツリポツリと話してくれました。
夫「信じて待ってくれる人がいるって、本当にありがたいことだね。自分以上に、俺のことを信じてくれている。そう感じたんだ。
なんかさ、俺のやることって、多分地味だし、時間がかかることも多いと思う。だけど、お客様には関わったその時だけじゃなくて、ずっとあの時やってよかったって思ってもらえる提案をしたいんだ。
正直、営業としてはどうなの?って思う気持ちもあったし、もっと派手なことをしなきゃいけないのかな?ってここ最近は思ったりしてた。
今日、虎に『お前は大丈夫だ。』って言ってもらって、改めてこれでよかったって思ったんだ。こんな風に信じてくれる人が俺にはまだいるんだから、今は迷っちゃいけないってすごく思ったよ。」
退職という選択すら話題に上っていた当時、変わらず自分そのものを評価し、成長を信じてくれる存在に、なんとか応えたい。応えられる人材になりたい。そう話す夫を前に、信じてくれる人の存在がこれほどまでに人に力を与えるのかと、夫を通してその姿勢を教えていただいているように感じました。
4. ダメ社員の挑戦
(1) 形が勢いを作る
数ヶ月後、季節は実りの秋を迎えていました。
春の「現場留学」から夫が提案したプロジェクトもまた、 着々と実を結び始め、確かな数字となり、その実績は徐々に見える化していきました。
プロジェクトのシンプルさとは打って変わって、その実績は目を見張るものだったそうで、社内の誰もが思いもかけないこの功績に、チーム内だけでなく社内の多くの方に届いたそうで、ある時、ついに夫は社内表彰を受けることになりました。
形や立ち位置が変わると、周りの雰囲気も大きく変わり、夫は社内の様々な方と関わる機会が増えたそうです。
ちょうどその頃から、夫は新たなステージに挑戦したいと話し始めるようになりました。
内容は決まって、より組織のコミュニケーションが円滑になり、成長を遂げる現場に関わる人材になりたいという内容でした。
「これまでの提案を通して関わることができた、様々なレイヤーの方が、それぞれに組織に対して課題や悩みを感じている。それを方法や手段じゃなくて、もっと本質的に解決する手助けをしたい。自分のように組織の中で悩みを抱えている人がいるなら、もっと深く、もっと本質的なところで向き合い続けたいんだ。」
第二子の妊娠が発覚して間もないこの頃、正直妻として、母として、春の旅立ち症候群を迎えた夫を前に、
(はぁ、このタイミングで来てしまったか。もうちょっといれば出世も見えるのに。)
と、正直前のめりに応援できない私がいました。が、やはり真っ直ぐに純粋に愚直にキラキラした目で、将来の希望という目標を見つけてしまった夫に、そんな私利私欲に曇った私が映ることはありませんでした。
そして冬、夫は新たなステージ、人材領域への社内移籍を見事に叶え、社内でも厳選された人材の精鋭部隊と呼ばれる部署への異動を果たしました。
『組織の持続成長とそれを支える人がイキイキと働く為のモチベーションを研究し、科学する』というコンセプトは、あまりにも夫の叶えたい世界にフィットしていたようで、まるで一目惚れの恋が叶ったかのように、その後夫はその仕事に夢中になっていきました。
実績・評価・転籍と、あまりにスピード感のある決断に、少し戸惑いつつも、第二子妊娠中のツワリ真っ盛りの私は、いつになく意気揚々と進む夫を前に、まぁ、そちらはそちらで楽しそうだし、任せておけば大丈夫かと、傍観を決め込みました。
そして3月末、いよいよ夫の旅立ちを目前に、同僚が送別会をひらいてくださいました。その夜、帰宅した夫は私に、サプライズで届いた虎からのビデオメッセージを見せてくれました。
「奇抜なことは一切やらない。常に直球で勝負してくる。誰もが言えないことを、真っ直ぐに伝え聞きにくる。歴代No. 1の営業マンだった。ありがとう。これからもよろしく。」
そのメッセージをとても嬉しそうに、何度も何度も見返していました。
5. 離れても好きな人
(1) 明太子キャンペーンの行方
それから6年が過ぎ、7年目の春。私たちは糸島市に移住してきました。
虎は、変わらず夫を応援してくださり、直接お仕事で関わることがあってもなくても、定期的に近況や想いを語らう時間をとってくださっています。虎にお会いしてから帰る夫もまた、あの頃と変わらず、感慨深げに帰ってきて、そんな日はきまって夜遅くまで、夫の話を聞く時間を今では心待ちにしている私がいます。
さて、冒頭でお話しした、虎からのリクエストがきっかけで始まった明太子キャンペーンに話は戻ります。
六本木のキャバクラを探したときにたどり着いた方法と全く同じ方法で、とにかく共通点のある人に聞きまくるというスタイルでリサーチをし、実際に食べてみて、自分たちのおすすめの一品を見つけることになりました。
インターネットの情報だけでなく、福岡が好きな方、福岡に住んでいる方、食通の方、食に関わるお仕事をしている方など、思いつく限りに話を聞きました。
明太子の話題を皮切りに次々にコミュニケーションが生まれます。
実際に会う約束をする方、福岡に行く時には連絡をくれるとおっしゃる方、家に立ち寄ってくださる方。
変わらない関係や、新たなご縁を感じ、明太子を通してたくさんの方と関わることができ、新たな土地での生活をスタートした私たちにとって、とても嬉しい時間となりました。
本題の明太子の方はというと、知り得た情報から実際に店舗に出向いたり、通りすがりで見つけて手に入れたり、どうしても気になるものは取り寄せてみたりして、結局どれだけの明太子を食べたかわからないほど食べまくったところで、最高に美味しい3種類と、おまけを一つにたどり着きました。
しかし、そこまで辿り着いたところで、夫婦の意見が割れます。
夫は、よりたらこ感がわかるフレッシュな風味でご飯がすすむ明太子がお気に入り。私は出汁と辛味が効いた、お料理に合う明太子がお気に入り。そして夫婦揃って、間違いないNo.2は同じという結果に、ここから先は好みだよという話になりました。
夫「どうしよう、割れたな。問題は虎の好みの明太子をリサーチしようがないこと。あえて聞くのか?いや、そもそも味や風味なんて、その人の味覚や伝え方でどちらにも転がるぞ。」
私「うぅん。その答え、考えても出ない気がする。
いっそ3つ全部送って、虎に決めてもらうのはどう?」
夫「それいいな!じゃあもういっそ明太子選手権してもらおう!虎に連絡するよ!」
申し出を喜んでくださった虎から、この明太子の送り先を会社に送ってほしいとお返事が届きました。
たった一つの明太子リクエストから始まった、この明太子キャンペーンは、最終的に虎が経営する社内で明太子選手権となり、わたしたち夫婦を含め、とてもたくさんの方を結ぶささやかなだけどあたたかい素敵な企画となりました。
最後に虎からメッセージが届きました。
虎「人生初の明太子祭りを体験させいただきました。一緒に食べた社員もみんな『旨〜い』と大喜びしてくれましたよ。どれも今まで食べた明太子と確かに違う。甲乙つけ難い。わたしとしては、はじめのふたつが断然上品で素晴らしいけれど、毎日食べるなら、最後の一品だったよ。
今回の話、『できる人』は一見なんでもないと思えてしまうことも、色んなことに使って広げていける人なんだと、社内でも話をしました。
今度はこちらも手伝ってほしい。3つのケーキのうち、どれを取引先にお渡ししようか迷っているんだ。子どもたちと一緒に食べまくってくれ。それから、どれが美味しかったか教えてほしい。」
翌日、千疋屋と書かれた虎からの贈り物の大きな箱が、我が家に届きました。
夫・私「粋だなー!」
こうして私たちの春の明太子キャンペーンは幕を閉じました。
あとがき
今回の明太子キャンペーンは、私たちの移住生活スタートのたくさんあった出来事の中でも、ひときわ楽しい思い出となりました。これまで明太子をそんなに食べたこともなかったですし、間も無く結婚10周年を迎える自分達の、集大成とも言える夫婦の共同作業になったように思います。
どんな明太子が美味しかったのか、気になる方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽に人好きな私たちにご連絡ください。通も唸らせる明太子をご紹介し、楽しいやりとりができるとこを、こっそり楽しみにしておりす。
この記事を書くにあたり、はじめて虎の声を聞いたあの夜から、もう8年も経っていることに少し驚きました。
この6年で、私たちを取り巻く環境は目まぐるしく変わったように思います。一人娘だったあのよちよち歩きの我が子は7歳になり、弟と妹の世話を焼くすっかり立派な3人きょうだいのお姉さんです。
夫もまた、これまでに得た人材領域での知識と経験を基に、その人自身が持っている輝きを最大限に発揮できるようにと、この春、長く勤めた会社を卒業し、晴れて独立を遂げました。
目まぐるしく環境が変わる中、今後の自分達の行先を案じて、どこか心許無く思うこともありますが、そんな時はいつも、虎がくださった言葉を振り返ります。
「焦るな。お前は大丈夫だ。焦るな。」
言葉や物事が伝えてくれる本質をしっかりと見つめ、目を逸らさず直向きに、ただ粛々とその姿勢を崩さず、与えられる役割を果たし続ければ、どんな偉業も成し得る。そんな愛を私たちに伝え続けてくれているように感じます。
最後に、夫を通し虎に関わるたびに私の脳裏によぎる、山本五十六さんの言葉を紹介し、このお話のあとがきとさせていただきます。
やってみせ 言って聞かせて させてみて
誉めてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず
やっている姿を感謝で見守って
信頼せねば 人は実らず
山本五十六
Written by 中松 ふうふ
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