見出し画像

承06-01 「感謝」ってなんだろう?

◆「感謝」って何だろう?

前回、路線バスの運転手不足の話で、感謝の通じる関係について書きましたが、その「感謝」とは何でしょう?
すぐに、思い当たるのが「ありがとう」という言葉です。
この「ありがとう」という言葉は、「感謝」でしょうか?例えば、何かしてもらった時、軽く「ありがとう」と言って、それで済ませてしまっていいのでしょうか?時々、私は悩みます。
今回は、この「感謝」について、深めて、考えてみたいと思います。

◆「ありがとう」という言葉の意味は・・・

その語源は、「ありがたし」と言われています。つまり、ありえないほどのこと。それほどのこと捉え、感謝しているということでしょう。ならば、その“ありがたい”行為に対して、何かお返しをしたくなるのは、人として、もっともなことだろうと思います。
よって、「ありがとう」には、何らかの感謝の行動が続くべきと、私は考えます。

◆感謝は返謝してこそ完成する

北川八郎さんの言葉に、「感謝は返謝してこそ完成する」という言葉があります。
北川八郎さんの『繁栄の法則』より(作家・阿蘇山中の南小国町の満願寺窯で七陶三農の生活。)という本に書かれているそうですが、私は、残念ながら、この本をまだ読んだことはありませんが、その内容を紹介したサイトで出会いました。
良いものをいただいて、自分もよいものを返す、必ずしも、良いものをもらった相手ではなくても、社会に対して返す、それが、「感謝」だという意味とのことです。
そして、皆が、これを実践することで、良いものをもらったら、良いものを与え、それを受けった人が、また、良いものを返す・・・というように、良いものを与え合う循環ができます。心理学では、ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、人にうつると言われています。その意味では、良いものを与え合う循環は、ポジティブな循環を創り出すものだと思います。

◆「返謝」も、「共感」をしてから

ただ、「感謝」するために、良いものに、良いものを返す(=「返謝」する)とはいえ、「返謝」が、受けた行動とあまりにもつり合いが取れないと、おおげさとか、恩知らずとかになってしまったり、はたまた、裏に何かがあると疑われたり、思わぬ問題を引き起こしかねません。たとえ、恩を受けた本人にとっては、大きなものであったとしても、そのことを理解してもらわなければ、できれば、その自然な、バランスはとっておきたいものです。
そのために、恩を受けた時には、相手に「共感」してみたいものです。その行動を、相手は、どんな気持ちで、どの程度の負担で行ったものかなど、考えてみることで、「感謝」に報いる行動=「返謝」の行動は見えてくるのではないかと思います。

◆「ありがとう」は、「感謝」ではなく、「感謝」していますという宣言

ここまで考えてきて、私は、「ありがとう」は、「感謝」の行動ではなく、“私は、あなたから恩を受けました。だから、これから感謝します、「返謝」の行動をとります”という宣言なのかなと思うようになりました。文字にすると、何だか、押しつけがましい言葉に感じられますけど。
したがって、比較的軽い「恩」であれば、次、何かあった時には、お返ししますよと、心に留めておき、必要に応じて、それを実行することが、「返謝」となるかもしれません。とすると、表向きは、「ありがとう」という言葉で、いったん、その場は終わるという形になるかもしれません。その場合でも、その前に、必ず、それで、終わらせてしまっていいレベルの「恩」なのか、相手の思いなのかを、「共感」を通して、考えたいものです。

◆まとめ

・「ありがとう」は、「ありがたし」から。ありえないほどに、うれしいことである。
・「感謝は返謝してこそ完成する」(北川八郎さん著『繁栄の法則』より)
・「返謝」は、相手に「共感」してから
・「ありがとう」は、これから、「返謝」しますよという宣言だと思う。

いいなと思ったら応援しよう!