おとなと子どもの狭間 2011年1月30日
2011年から2014年までほぼ毎日、一言日記のようなものを書いていた。
ほんとうに一言だけの日もあれば、数行書いている日もある。ただ「なんとなく」を吐き出す場として続けていた。
途中、ガラケーからスマホに変わり、使うアプリの変更もあったので残っていない部分もあるんだけど、読み返してみると割と面白い。
だからこれからほぼ毎日(平日)、当時の一言日記と、それについて今なにを思うかを書いていこうと思う。
2011/01/30
見えとるはずのもんが見えやんってのはすごく悲しくて、すごく星が綺麗やったりするとちょっとばかり感動を覚えたりする訳で、少しは大人になったのかななんて思ったり。
お分かりいただけただろうか。
カッコつけてます。
スンッとしたすまし顔で、「ちょっとええこと書いてやったぜ!」と言っている声が聞こえてくるかのよう。
安心しろ!誰に見せるでもないところで カッコつけとるお前は まだまだお子ちゃまや!!
と言ってやりたい。
三重県出身なので、ことばがほんのり関西弁っぽいのはご愛敬ということで。
この時のぼくはまだ19歳。
誕生日が2月なので、本当にはたち目前で、ぎりぎりティーンエイジャーでした。大人にはなり切れず、かといって子どもにも見られたくない葛藤は、もれなくぼくにもあったようです。
気になったのは最初の「見えとるはずのもんが見えやんってのはすごく悲しくて」という部分。どういう意図で書いたのかは覚えていないんだけど、面白いなと思った。
雲の合間に見え隠れする星のことを言ったのか、それとも昼間もそこにあるはずなのに見えない星のことを言ったのか。
視野の狭さをを嘆いているようにもとれる。
全体を見ようとするあまりに見落としてしまう部分があったり、逆に部分的にだけものごとを見てしまい 全体を把握できなかったり。
たまに「あれ、なんでその程度のことに気づかなかったんだろう?」と、自分でも不思議に思う見落としをすることがある。
見て簡単に分かった気にならずに、丁寧に考えることを習慣づけていきたいなと思う。
そんな今日でした。
おやすみなさい。