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40代ジェネラリストが模索するポスト会社員の働き方

以前も記事にしたとおり、私のキャリアは ザ・ジェネラリスト と言えるようなもので、それを活かすには「経営」に関わるのがひとつの道だと思って、これまで社会人人生を送ってきた。

高い専門性をもつスペシャリストへの憧れやコンプレックスは未だにあるけれど、どうあがいても自分はそうはなれないし、そういうタイプではないことも、さすがにもうわかっている。

さて、突然ですが、ここで皆さんに質問。

ジェネラリストは、会社員を辞めて、やっていけるのでしょうか?

(いや、厳しいでしょ)(やっぱり何かの専門家じゃないと食っていけないよね)

という多くの方の心の声が聞こえてくる。

独立したり起業するには、独自性や専門性が必須
それも、ひとつだけでなく、複数の専門性の掛け算がないと厳しい
セルフブランディングには、違う分野の掛け算だと、なお良い

一般的には、こう言われている。

けれど、私のなかでムクムクとこんな問いが大きくなってしまった。

『ホントにそうなのか?』

その問いへの答えを考えていくと、『時代は確実に変わってきてるので、意外となんとかなるんじゃない?』と思えてならない。

普通の会社員が(会社の代表や窓口としてではなく)個人として、社外の人と、共通のビジョンや価値観、想いでつながり、双方が高い熱量をもって仕事を進めることで、新しい価値が生まれていく。

そこでは、正社員、副業・複業、契約社員、フリーランスなどの「雇用形態」や、役職者、平社員、派遣社員などの「立場」は意味を持たず、ビジョンや価値観への共感度、想いや熱量の強さがダイレクトにアウトプットに反映され、価値を生み出していく。

そんな働き方が、ごく当たり前になっていく世の中が、ぼんやりと見えてしまった。

そんなわけで、2021年4月から、ポスト会社員の働き方を模索します。

転職でもなく、起業でもなく、複業・パラレルワークと言えばそうかもしれないけど、自分なりにちょっと違う道をつくりたいと思っている。
キーワードは「人生を経営する」「自分の商品をつくる」「ひとりだけどチームを組む」といったところ。

人生100年時代、25年間の会社員人生に区切りをつけ、組織に属さなくても、新しい経験や挑戦をしながら、幸せなキャリアを築けるのか。

40代オッさんジェネラリストによる人体実験。ネタとして、皆さんに楽しんでもらえるといいのですが。

この記事は、きっと9割の人からは「こいつ何言ってるのか、さっぱりわからん」という内容だと思う。でも、今までもnoteでの発信が新しい出会い、つながりを生んでくれたように、今の考えに至った思考プロセスを公開することで、同じような考えを持つ1割の人とつながれたら、とても嬉しい。

自分の人生を経営しよう

これまで「キャリア」を考えるとき、会社や組織で働くのが「大前提」だった。その前提のもと、会社をうまく経営したり、組織をうまく運営するためには、めちゃくちゃ時間と労力を割いてきた。経営について学んだり、リーダーシップについて苦労したり、チームマネジメントに苦労したり。

個人のキャリア志向として、組織に頼らず生きていく必要性は社会人1年目からずっと頭にあったけど、でもやっぱり、組織に属して働くのが当たり前。

それを大前提として、そこでどう働くのか、生産性を高めるにはどうすればいいか。どんなスキルを身に着ければいいのか。組織という枠組みの中で、個人として高いパフォーマンスをあげるにはどうすればいいのか。

社会人になってから、ずっとそんなことを考えてきた。でも、よくよく考えると、力の掛け方がおかしかったのでは?と気づいてしまった。

会社や組織についてはものすごく時間と労力を使ってきたのに、自分の人生をうまく経営・運営するために同じだけのエネルギーを注いでいない。

自分の人生の方が大事なはずなのに、そこにちゃんと時間を使ってないのはなぜ?

それって本末転倒じゃないか。

仕事をうまくやるためには、時間も労力もめちゃくちゃ掛けてるし、知見やスキルを蓄積・向上させるためにめちゃくちゃ頑張ってる人が、なぜか自分の人生をうまく生きるためには、全然力を注いでいない。

自分の周りにも意外とこういうタイプがいて、それが経営コンサルタントだったりするからおもしろい。もしかすると、ヘタに高学歴な人ほど、陥りがちな罠なのかもしれない。

会社や組織のために頑張ることが、自分の人生をうまく経営することに直結しているという確信があるなら、それはいい。

でも、そうじゃないなら、ちょっと待てと言いたい。というか、過去の自分に、ちょっと待てと言いたい。

会社や組織をうまいことアレコレする前に、自分の人生をうまく経営できているのかと。


そもそもなんで組織で働くのが前提なんだ?

ここ数年で強く感じるようになったこと。

組織に属するメリットとデメリットが、徐々に逆転してきていないか?
個人でやることのデメリットがどんどんなくなってきてないか?

会社や組織に属して働くことは当たり前すぎて、そこに疑問を持つことなんてまったくなかったけれど、ここ数年、身近でも新しい働き方をはじめる人がどんどん増えてきた。

ひとりで会社を立ち上げたのに週休3日でやってる人パラレルワークとワーケーションで楽しそうな人複業しながら個人での活動を続けている人嫌いなことを一切やらないようにしている人

もちろん、自分と比べちゃいけないくらいスゴすぎる人たちばかりなのだけど、メディアの向こうの誰か知らない人ではなく、身近な先輩たちがそういう道を歩んでいるのを間近で見ると、あらためて会社に雇われる働き方が「当たり前」ではないと思わされる。

一般論として、組織に属して働くことのメリットと言えば、

・大きな仕事ができるので、成長機会が多い
・さまざまな仕事ができるので、成長機会が多い
・優秀な仲間と働ける
・雇用が安定している
・多少パフォーマンスの変動があっても、収入が変動しない

一方で、組織に属するデメリットは、

・自分の信条や主義主張に合わない仕事もある(特に、大きな組織の場合)
・自分の価値観と合わない仕事もある(特に、大きな組織の場合)
・社内の人との仕事が多い(特に、大きな組織の場合)
・上司や同僚、部下は選べない(一般的には)
・収入面で、大きなアップサイドは見込めない

こんな感じだろうか。個人でやることのメリット・デメリットはこの裏返しだ。

このリストを眺めれば眺めるほど、『ホントにそうなのか?』『時代は確実に変わってきてるので、意外となんとかなるんじゃないか?』と思えてならない。


自分が大事にしている価値観に気づいてしまったら

会社や組織の運営では、ミッションとかゴールとか毎年のように考えてきたくせに、自分の人生のミッションとかゴールについては、ちゃんと考えていなかったせいで、ずいぶん苦労した。

モヤモヤ期が無駄に長引き、「中年の危機」を乗り越えるのにえらく苦労した話は、以前書いたとおり。これはホントの実体験。

ここに書いたことを実践してみて、すっかり忘れていたけど、あらためて自分が大事にしている価値観に気づいた。

若いときから、やけに「精神の自由」を求めていた
自由を得るための力が欲しいと思っていた
発言の自由が担保されない世界は嫌い、忖度嫌い
オープンなコミュニケーションを阻む価値観は相いれない
人が行かない道でも気にせず進む派

25年も働いていると、いつの間にか手段が目的になっていることがチラホラあることに気づいた。そして、自分が大事にしている価値観を体現するために、時間と労力をちゃんと使っていないことにも気づいてしまった。

なんてこった。。

「個人の時代」なんて、100万回くらい擦られた言葉だけど、いざ自分が大事にしていた価値観を思い出し、自分がありたい姿を描き始めた途端、急激に我が事として迫ってきた。

ありたい姿を本当に目指すなら、ちゃんとそこに時間と労力を使おうよ!(会社ではそうしてたじゃん)

「いつかやりたい」なんて思っていても、そのために動かなければ、いつまで経っても実現するわけないんだし、「来世先送り案件(©紫乃ママ)」になってしまうじゃないか!


働くことの原点は、つくること

私立文系卒、典型的な量産型サラリーマンとしてキャリアをスタートした私にとって、「ものづくり」はとても縁遠いものだった。

なんなら典型的な大量生産イメージに、ちょっとした嫌悪感すら持っていた。「ものづくり」という言葉に紐づく一品一様の世界にも、また非効率性を感じ、イマイチだな、なんて思っていた。

『いやいや、これからはサービスを売る時代でしょ』などと、わかった風なことを考えていた。

当時は、「ものづくり」とは、大資本が必要な大量生産か、職人やアーティストの一品生産の二択だと思っていたような気がする。

ところがこの5年半、プロダクトづくりや、顧客・市場とプロダクトをつなぐ仕事に、大きなやりがいや喜びを感じてきた。コンテンツをつくって世に出したり、仕組みやプログラムをつくって始めたりするのも、何かを「つくる経験」で、ものすごく楽しかった。

自分のなかの「職人魂」を感じたり、手探りでつくってみて、自分のこだわりを注ぎ込んでみて、最後の仕上げにちょっとした工夫をこらして、、、というプロセスが楽しかったし、自分が世に出したモノに触れたお客さんの反応を見るのが、また楽しかった。

なんでかと考えてみて、「つくって売る」という体験は、働くことの原点なんじゃないかと思うに至った。

米や芋などの作物をつくって売る。
道具をつくって売る。
衣服をつくって売る。

時代を1000年もさかのぼらなくても、たった100数十年前は、ほぼすべての人にとって、働くってこういうことだったはず。

つくる部分にやりがいを強く感じる人もいれば、売る部分の方にやりがいを感じる人もいるだろうけど、このふたつがセットになっていると、世の中に価値を提供している実感を得やすいんだと思う。

ところが、組織で働いていると「つくる」に携われる人はとても限られる。「売る」に関われる人は、まだいい方だ。

現代の組織には「社内の人との(調整)仕事ばかり」という人が、ものすごく多い。だから、自分の仕事に価値を感じられなくて、働くことの楽しさを実感できない人が多い。

これ、すごくもったいないことだと思う。

もっと多くの人が「つくる経験」をできるようになったら、働く喜びや楽しさをもっと実感しやすくなるんだろうな......なんて考えを巡らせていたら、こんな考えにたどりついた。

「個人の時代」が来たのになら、いずれまた時代が回って(螺旋状に発展し)、だれもが「自分の商品をつくる時代」になるんじゃないか?


普通の人が「自分の商品」をつくる時代

私立文系量産型の私が「プロダクト」に関わる仕事をしたように、高度な専門性が求められる大量生産のための「つくる」でもなく、職人やアーティストの「つくる」でもない、普通の人による「つくって、世に出す」という経験が、いろいろな形でできるようになっている。

なんなら、個人でも「つくって、世に出す」機会が増えている。それこそ、このnoteのように。

noteさんのミッションは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」だし、「何かをつくっていればその人はクリエイター」だと言っている。


普通の個人が「つくって売る」
作家・イラストレーター・デザイナーなど狭義のクリエイターやアーティストならいざ知らず、普通のサラリーマンだったジェネラリストを思い浮かべると、組み合わせとしては、まったくピンと来ない。

でも、薄っすらと、ここに何かがあるのが見える。

個人がコンテンツをつくって発信することは、とてもやりやすくなっている。さらには、スキルシェア市場が広がったり、D2Cを支援するプラットフォーム(製造委託の仕組みやEC用SaaSなど)が広がり、個人や小規模なチームがなにかをつくって売ることのハードルも下がっている。

これを敷衍(ふえん)して考えていくと、、、

個人が「自分の商品」をつくることが普通になる時代。
ビジョンや価値観を共有できる人が、そこに惹きつけられる世界。
そこでの関係性は一方的な売り買いだけでなく、「一緒につくる」こともある。

そうして、「なにかをつくる」体験、その楽しさを実感する人が増え、また新しい良いモノが生まれていく。
そんなイメージが、私にはぼんやりと見えてきた。

「1億総クリエイター時代」も、これまた200万回擦られた言葉で、右から左にきれいに聞き流していたのに、これからの自分の生き方を考え始めたら、これまた突然我が事として迫ってきた。ビックリだ。


想いや価値観を共有する人と共創したい

会社を辞めて、ひとりでやっていくとなると、真っ先に思い浮かぶ選択肢は、フリーランス、独立、パラレルワーク・複業といったところだ。

ただ、このあたりの選択肢はどうしても時間の切り売りになりがちだし、下手すると、単に雇い主が増えただけということにもなりかねない。雇い主が複数になるのは、本質的に会社員的な働き方となにも変わりがなく、なんなら今まで以上に大変になってしまう。それは避けたい。

自分が、自分の人生を経営するためには、自分でコントロールできる部分を確保しないといけない。

では、自分でコントロールできる部分を増やすためにどうすればいいのか?
そのひとつの答えが、「自分の商品をつくる」ことなんじゃないかと、今は思っている。

この選択ができるのは、ありがたいことに前職との契約があるからで、今後もこういった契約ベースでの仕事はしていくと思う。

でも、どこに重点を置くか。経営視点で言うと、戦略の選択は重要だ。
例えるなら、受託モデル中心ではなく、自社サービス中心モデルでいこうと思っているわけだ。

さて、普通に考えたら「自分の商品」なんだから、自分ひとりでつくるのが当たり前だし、リリースまでは黙々と籠って作業するのが定石だろう。

だが、ここは違う道を選びたい。

スタートアップを経験し、社外の人とひとつのチームのように動く経験を何度もしてきた身としては。

商品開発で目指すのは、外の人と一緒につくる「共創モデル」だ。さらに言えば、お客さんと一緒につくるモデルを目指したい。

常識的に考えれば、「なんでお前の商品づくりを、客である自分が手伝わなきゃいかんのだ?」という話になる。

たしかに、同じ世界が見えていない人には絶対に理解できない話だと思う。でも、これまた、まだうまく言語化できていないけど、ビジョンや価値観を共有できた人とは、なんらかのチームを組めるんじゃないかと思っている。


で、何をつくるのか?

会社や組織を経営するための知見、個人やチームの生産性やパフォーマンスを高めるための知見を開発するために、これまで世界中の英知が注がれてきた。

ところが、「個人が幸せに働き、幸せなキャリアを築く」ことに向けては、同じだけの英知とエネルギーが注がれてたようには、少なくとも私からは見えない。

本来は、人が幸せに働き、幸せなキャリアを築き、幸せな人生を送ることにこそ、もっと多くの英知が注がれた方がいいはずなのに。

近年、脳科学、行動心理学、進化心理学、睡眠・食事・運動に関する研究、老化を治療する研究などなど、さまざまな研究が進み、個人が幸せに生きるための知見が発展しているのはとてもいい傾向だけど、まだまだ足りない気もする。

これまで組織運営のために使われてきた知見を、個人が生きていくために転用することができれば、「幸せに人生を経営する」ことに貢献したり、「組織に属さなくても、良いキャリアを築く」ことに貢献できるんじゃないか。

自分を振り返ってみても、リーダーシップやファイナンスの知見を、個人の生活にうまく取り入れたことで、大きな変化を出すことができた。今まさに、こうしてnoteを書いて発信しているのは、マーケティングの知見を個人として活用している。

自分の人生をうまく経営するためには、複数の分野を網羅する必要がある。会社を経営するのと同じだ。営業だけ頑張れば会社経営がうまくいくわけではないし、苦手だからってファイナンスを避けて通れない。グリット/GRITを発揮して進む必要があるのか、ピボットする必要があるのか、適切に判断しないといけない。

なにやらジェネラリストの出番がありそうなニオイがしませんか。


勝算はあるの?

ここまで思いっきり青臭い夢とキレイごとをこれでもかとドヤ顔で語ってきたけど、勝算があるのか、うまくいく見込みが立っているのかと聞かれたら、「わからん」としか言いようがない。

数ヶ月後には「全然うまくいかねー」って泣きながら、時間の切り売りをしてる可能性は大いにある。怖さもあるし、自分との戦いに負ける可能性もあると思う。

まずそもそも、こんな絵空事で食っていけるか分からない。

よーく見てみると、独立してる人は、実はパートナーもがっつり稼いでたりするし、お子さんの教育費が掛からなかったりするし、住宅ローンも完済してたりする。

あれ? 俺、まだまだ子どもの教育費めっちゃ掛かるよ?パートナーの稼ぎは当てにできないよ?大丈夫か...?

スタートアップや外資系のイケてる会社で働く知人・友人たちがキラキラした世界で活躍しているのを見たら、やっぱりあっちの世界はいいなーと、憧れと嫉妬でメンタルやられてしまうかもしれない。

けど、ダメだったら軌道修正するしかない。なにせ自分の人生だから。うまくいかなそうな状態で放置するわけにはいかない。

将来の自分に賭けているわけだ。

「今のプランがうまくいくかどうかはわからんが、ダメでもお前なら何とかするんだろ?」と、エンジェル投資家が起業家を見て投資するように、自分が自分に投資してる感覚だ。

こうなるともうお決まりのやつです。

やるしかねぇ



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