小さな食卓から
共食。一緒にご飯を食べること。
同じ食べものを共有し、とりわけて食べる。
人間だけが古代から行ってきた文化的行動であり、他の生物には見られません。
companion(仲間)はcom-「一緒に」、pan「パン」、-ion「こと、もの」で「一緒にパンを食べる人々」。
食べものを分け合う人々こそが、原義的な仲間なのです。
報告されたたくさんのエビデンスの一部を取り上げてみる。
小学生を対象とした研究では、朝の疲労感や身体の不調がなく、健康に関する自己評価が高い。
成人や高齢者を対象とした研究では、ストレスがなかったり、自分が健康だと感じていることが報告されている。
孤食が多い高齢者は、うつ傾向の物が多いことも報告されている。
朝食共食頻度が高い小学生は起床時間、就寝時間が早い。
などなど。
気になる方はぜひ農林水産省のまとめ、根拠となる論文をご覧いただきたい。
コミュニティにとっての心臓の機能を果たすのは食事の場なのではないか。
食べることは生物の日々の営みであり、だからこそ、誰もが強い意味を持たずとも参加できるのが食事の場ではないか。
今うまくいっていない物事の活路は食事の場(=心臓)にあるのではないか。
意図的な実践の中にこそ答えが浮かび上がると考えます。
小さな食卓をデザインしました。
トマト鍋を、準備する人、食べるタイミングから参加する人、用事で参加できず会が終わったあとに食事だけを取る人。
いろんな関わり方でいいのです。
たとえその瞬間に参加できなくても、皿に盛ってラップをしてメモと一緒に並べておくだけで、小さな食卓はあとから参加する人のために延長されていきます。
ひとつの食卓をみんなでデザインしようという参加者の主体的な姿勢がキーになります。
食卓の中に、またひとつ次の食卓へのヒントを見つけました。