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施術を受けるということ。
お久しぶりでございます。
サイキック整体の竹内です。
前回の記事から大分経ってるな〜って思ったら1/3でした。
今年はまだ始まったばかりなのに1ヶ月が1年のように感じる日々でして、何を書こうかどうしようかと考える暇もなく今日になっています。
初めての確定申告や、宣言通り自分自身が0になってしまって途方に暮れたなど、かなり出来事は多かったのですが今回は「施術は受けたい人のところに行けばいい」というお話をしていきたいと思います。
個人事業主として初めて通しで活動する2025年なのですが、確定申告などを真面目に取り組むことで自分の「経営」というものがいかにおままごとであったかというのを痛感しました。
それと同時に、勤め人であればわからなかったようなことも多く体験することができ、数字の話が苦手な自分にとってはかなり刺激的な日々を過ごすことができています。
同時に「生活」というものをより自分の意思で作っていくという自覚も生まれ、なぁなぁにしていたところを強制的に向き合うというギフトも頂戴することとなっています笑
その中で大事なものは「信念」とか「目標」というような「自分だからこそ掲げられる想い」の強さや有無なのかなと思いました。
そういう信念と言われるものは人には負けないものを持っていると自負している僕ですが、年始に「今年は今まで得られたものを全て破壊してゼロから頑張りたい!」となぜだか高らかに宣言していて、文字通りその通りになってしまって大変な思いをしましたというかまだしています。
今まで自分が信念だと思っていたものは「自己価値の証明」や「コンプレックス、傷などの具現化」がメインだということに気づいてしまったんです。そういう「根源的なもの」に至るための道中で出会う「手放しても良いもの」に取り組んで行った結果、「そもそも俺は何をしたいんだっけ」とまっさらで何にもない自分へと変わっていってしまいました。
まぁこれらがあったからこそ「磨いてこれた」わけなので後悔しているわけではありません。ただやりすぎたなとは思います笑
自身を磨くほどにどんどん本当の自分になっていって、その都度次はどうしたいか想いが湧き出てくると思ってました。でも実際は手放すほどに透明になっていって、欲求とか生きる意味とか本当になくなっていきました。
流石にまずいなぁと思って、欲求をデザインする、火をくべて大きくする練習をしています。
かなり前置きが長くなりましたが本題です。
そういう体験の過程で「必ずしも自分の施術が全てではないのかな」と思いました。
生活があるからとか、そういうビジネス的な側面は当然あります。
でも、目の前の人がよくなるとか、お客さんの感覚で他に懇意にしている人がいるなら、そっちに行ってもいいよなって思ったんです。
施術においての姿勢や磨こうとする意志、求められたことに応えるための習慣などは徹底的にやっているという自信はあります。
でもそれと需要は別なのかなと思うことがあります。
一番好きなのは唐揚げだけど、そりゃあカレーも食べるよねみたいな話で、好物だからといって毎回食べてるワケじゃないよなっていうイメージです。
自分にできることを120%提供する準備を常にしていて、そこに対する自信があれば、あとは依頼が来たら真摯に向き合うということが大切なのかなと思いました。
当然、僕にしかできないことがあるので、僕の力を必要な人に届けるための活動はずっとやり続けていくのは変わりません。
こんなことを書くと怒られそうですが、別に自分を卑下しているわけではないです。
正直、自分と似たような活動をしている人を見ると「別に俺いらないんじゃないか」って思うことはあります。
施術は水物というか、その時の症状は、その時のその人だったからそういう感じ方をしているのであって、施術後、2回目3回目が同じ人である可能性なんてないんです。
その時の気候、温度、朝起きた時間、どんな食事をとって、どんなルーティンでここまで来てもらったのか、電車は?遅れは?居合わせた人はどんな人?など、無数の要素が重なった結果僕のところに来ていただいています。
その時、その瞬間のベストを出すことはできても、次がそうなるかはわからないのはそういうことなんです。
究極の行き当たりばったりというか、そういうものだと思っているからこそ、自分を磨く手を止めることがとてつもなく怖いんですね。
ある意味では狂気的に内観して、自分を全部破壊して、何にもなくなってからまた積み重ね始める。
時代は変わる、人も変わる。
変わることは永遠に変わらないからこそ、変化していく姿勢を止めてはならない。
そういう追い立てられる何かがあるからここまでこれたのだと思います。
それでも通用しないことがある。
理解されないことがほとんど。
磨くほど透明になってどんどん欲求が減っていく。
それでも磨くことをやめないという感じですね。
そういうすったもんだを経て、ようやく自分という人間を少し理解することができたように思います。
今年はより一層、必要な人のところに届くように頑張ります。
いかがでしたでしょうか?
サイキック整体という施術をする竹内晶貴という人間はこんな感じです。
みなさまが抱えている色々な症状や違和感、後悔してしまったこと、そう言ったことを入り口に、心身の調和を取り戻す施術をしています。
今まで頑張ってきたことに無駄なことは何一つなかったのだと、施術後の体感という形で証明するのが僕の仕事です。
ぜひ一度受けにきてみてください。