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こんにちは。
サイキック整体の竹内です。
見た目と内面のギャップって誰しもあると思うんですけど、実際に話してみないとわからないことって多いじゃないですか。
そういうところのすり合わせを「挨拶」とか「敬語」とかを用いて行うからコミュニケーションは成立するって思うんです。
でも今って人に会って話をするってことが自然じゃなくなってて、ちょっと頑張らないといけない感じになってます。
その上LINEとかそういうメッセージツールで簡単にやり取りもできるし繋がることができるから余計に「会話の中で徐々に知ってくことの良さ」みたいなのがわかりにくくなってるのかなって思います。
あ、良いとか悪いとかの話じゃないですよ?
現代ってそういう性質だよねって話です。
そういう形の「コミュニケーション」が自然になることで自分が他者に対して感じている印象が実はすごい浅はかなもので、知らずのうちに相手を軽んじていることってあるよなぁって思ったんです。
今の時代だからこそ、今の時代に合うやり方があるからいいんですけど、ただなんというか、自身の置かれている状況をどこか引いてみたいっていうか。
客観視する癖って大事だと思うんです。
傷つけないためにってのもありますけど一番は「傷つけてしまったことに後からでもいいから気づけること」だと思うんですよね。
そうじゃないとちゃんと謝れない気がするから。
謝るって大人になる程難しいですよね。僕はちょっと苦手です。
恋愛とか最たるもんじゃないですかね。
やっぱりフラれるのって嫌だし、声かけるかどうかとか色々考えます。
自分の生き方とかやりたいこと、何か熱量が注げるものがあればいいですよね。
だって一番の軸は自分自身に置かれるし、人生の舵を自分で握ってる感じがしてすごい「立ててる」気がするから。
男女関係なしに、自分の感性を媒介にして「表現」する人って多いと思うんですよ。
でもそういう人ってすべからく傷ついてて、自己価値がひくい人がとても多いです。
10人中9人が肯定しても、1人の否定で3日くらい悩んだりするようなそういう人が多いんです。
まぁ全員に好かれるわけないっていうのはそうなんですけど、こういう場合って「正論」って本当に役に立たないんです。
わかってるけど心が先に反応して、頭で辻褄合わせるころには谷底に転がり落ちてるんですよ。
良い悪いめんどくさいというよりは「そういう特徴があるよ」って感じです。
最近知り合った絵を描く知人がいるんですけど、まぁ美人なんです。すんごい美人。
シャっとしてて、落ち着いてる感じの美人なんですけど、中身がもう強いんです。
世界観がしっかりあって、こだわりも熱量も人の何倍もある。
でもちゃんと空気を読む力もあって、合わせることもできる。
ただ、もっと自分の世界観を余すことなく表現したいっていう葛藤を感じるようなそんな人でした。
どうしてこういう矛盾、不完全燃焼感が出るのかというと「過去に色々乗り越えてきてるから」なのかなって思いました。
で、その中でもう「手離してもいいものがあるのかな」とも思いました。
とにかく見た目がいいので、異性は寄ってきます。
そこで色々傷つくことがあったみたいでどうしても警戒せざるを得なくなったんですね。
だから心を開くって言うことがとてもハードルが高くなってしまって、様子を見ながら少しずつ距離を詰めるって言うことが癖になってるように見えました。
これって本当に労力を使うことでして、すごい疲れるんです。
なんというか「ただ生きてるだけ」なのに勝手に寄ってきて勝手に誤解して勝手に傷ついて勝手に去っていく。
そら心なんて開けなくなるってって話。
でも関わってきた人の多くがそうなら「自分が悪いのかな」って思っちゃうんです。
「そうじゃないよ」って、「こう言う理由があってこういう流れがあったからあなたのせいじゃないよ」ってわかりやすく伝えてくれる人が必要なんです。
繊細な感性があって、人にはできないことができる人って、能力に気づいてそれを自分で育てていけるようになるまで時間がかかります。
傷が多いほど時間がかかります。
生きていくためにがんじがらめにしたり、ガッチガチに固めて今日まで生きてきた人もたくさんいます。
そう言う人たちに寄り添って、何がどうなってるのか説明してあげる人が必要なんだと思います。
1箇所ずれると全部ずれるけど、1箇所整うと全部整うのが身体です。
今までの傷や痛みがチャラになるなんてことは言えませんが、今までのしんどさを変わるきっかけやエネルギーにするための可能性を提示することはできます。
その人の「心」に言葉を入れた箱を置いておくんです。
好きな時に開けてもらえるように。
今じゃなくていいし、別に開けなくてもいい。
まぁ、なんか気になって、ちょっと気が向いたら開けてみてねってくらいの。
もしかしたら使えるものが入ってるかもしれないから。
そんなことをここ数日考えてました。
僕は今年すごい頑張ったのでもう2024年はやり切りました。終わりっす。
残りは施術させていただきつつ休息を増やして、来年の準備をしようと思います。
表現に対する変化もたくさんあって、年内はnoteの更新が増えるかもしれません。
よかったら読んでもらえると嬉しいです。
それではまた。