自己紹介・・・何者かになりたくて足掻いたこれまでの軌跡。
あいさつ
みなさまこんにちは。MASAと申します。
現在、このnoteの他にtwitterとInstagram、TikTokで発信しております。
少し前は湯灌・納棺師、いわゆる「おくりびと」として、ご故人様を棺に納めるために必要な施行を行う仕事をしておりましたが、現在はうつ病により退職。無職となって引きこもっていたり、時々バイクでツーリングをする日々を送っています。
このnoteは私自身の発見や日常(趣味について)、普段から感じていることについて発信する場所です。
普段のちょっとした生活についてのコメントや過去訪問した記録(動画、画像)をツイッター
Instagramでも、
ちょっとした動画はTikTokでも、
上記のSNSに徒然なるままにあげております…。ちなみにアカウントの
「175」
は今の愛車、KAWASAKI W175SEから来ております。
大学生時代
当時、何の気なしに入部した武道系の部活がめっちゃ厳しく、先輩に
「押忍!」
という謎の挨拶を交わす学生生活を過ごす。
だいたい月〜土曜日は部活動に専念。ヤクザのように「辞める」ことができず、また辞めることを先輩に伝える勇気もなく、学生生活は勉学やコンパではなく、部活動中心で過ごしてきた。
当時は若いため気力、体力もあり多少のシゴキも耐えることができた。
また、先輩に絶対服従の上下関係を学んできたため、それがのちに社会人生活に役に立つ(?)こととなった。
社会人1〜5年目
卒業後に特別職国家公務員に入社。
衣食住に制限がかけられた囚人のような生活に初めこそ戸惑ったものの、部活で学んだ(洗脳?)厳しい上下関係や呑みの席での宴会芸が生きてきて(?)数年で順応することができた。
しばらく経つとその厳しさにも慣れて、そこに余裕を持って日々を過ごすことができた。
社会人(10年目)
夏休みに機会があって訪れた台湾旅行から海外旅行にハマりだす。その後、長期休暇のたびに海外へ遊びに行くようになる。気がつけばパスポートに10カ国分のスタンプがついた。
次第に目的地に着いたときの独特な「自由な雰囲気」が病みつきになり、次第に海外生活に憧れるようになる。
特にタイは自分の中でどハマりし、タイ語学校まで通う始末。タイに何度も訪問するたびに、このパワフルな南国に移住したいと思うようになる。
10年目の節目に退職。夢と希望を抱いて海外移住をすることになる。
海外移住生活
夢と希望を持っての海外生活を始める。
しかしながら、入社した日系商社はほぼ毎日サビ残業。またお酒の場でお客様の前で踊ることを強要、前職以上に理不尽な扱いをするパワハラ気質のある会社…思い描いていた理想と現実の差に戸惑う日々。
そして残念ながら営業が絶望的に苦手であったことがのちに判明。自分の頑張りとは反比例して仕事のパフォーマンスが落ちていく一方…。せっかく憧れのタイにいるのに、普段することは家と会社の往復。休日は外出はほとんどせずに、日頃の疲れとストレスが取れないためか、ひたすら寝るか呑むかの日々を過ごす。
もちろん海外生活の中で新しい出会いや学び、良い思い出もあったが、仕事面は相変わらず…。
持病の甲状腺の病気も再発して、折りしも世界的に発生したコロナの影響もあり心が折れる。私の海外生活は志(こころざし)半ばで終了する。
帰国後〜湯灌・納棺師
コロナ不況の中、転職活動を開始。
帰国後に手当たり次第応募したためか当初は転職活動に苦労したが、景気に左右されにくい業種が葬祭業であるとわかり、関連会社に面接したらあっさり内定を取ることができた。
その会社では湯灌・納棺師になった。湯灌・納棺師とは故人様(ご遺体)を洗体、着せ替え、化粧、納棺、棺内の飾り付けをする仕事のこと。
初めての接客業であり感情的なご家族を前で説明や案内、施行することはとても大変なことだったが、故人様の尊厳を守る大切な仕事をする上で、「死生観」「家族」「生きること」など、これまで考えたことがないこと、しかし人生で大切なことを学び、そして考える機会を得ることができた。また前職と比べてやりがいもある職業だっただけに2年以上続けることができた。
しかし嫌なことがあると周囲に当たり散らす人、自分都合で人を好き嫌いで選んでくる人、口を開けば陰口や悪口ばかりの人、言っていることがコロコロ変わる人etc…クセある同僚や責任感のない上司たちと接するうちに次第に息が詰まるような気持ちになる。
さらに追い討ちをかけるかのように、大病も患い手術そして入院…。
退院後、出勤中になぜか吐き気を感じるようになり、次第に会社にも行けなくなる。駆け込んだメンタルクリニックで「うつ病」と診断される。
その後寛解に向けていろいろとリハビリをするも結果虚しく休職期間が満了。そのまま退職するかたちとなった…。
終わりに・・・
社会人10年目までは我慢の多い人生を過ごしてきました。また、そこから何者かになろうとした海外移住、湯灌・納棺師も気持ち半ばでうまくいきませんでした。結果としては思い描くような結果とならずに誰かに指示や忖度によって生きてしまったなと我ながら感じてしまいます。
これまで育ってきた環境が周囲から「努力しろ」「もっと頑張れ」と言われるようなところで生きてきました。それに私は頑張って、まわりについてきたつもりです。また周囲の希望に対し特に反抗することなく従順に対応してきたようにも思います。
きっとそれが自分の本心を殺し続けた結果、現在のようになったのでしょう…。
ただ幸いにも今は無職。面倒な人間関係がリセットされて「自分のこと」で生きることができます。
これまでの人生を取り戻していくためにも日々の「できること」に集中していきます。このnoteがあとで見返したさいに、私の人生を取り戻す軌跡、今を生きている証、そして今後を生きるヒントになることを願いつつこの自己紹介を終わりにします。
ありがとうございました。