空き缶でしあわせ#21
帰った先にあるもの
自分の人生で何通りの帰り道があるのだろう。
ふと、頭の中に浮かんだその問いは自分の好奇心を期待以上にくすぐった。我ながらくどい言い回しをするな、と思いながら好奇心の方へと意識を向ける。
最初に浮かんだのは、小中高の時の帰り道だ。小学校の時は、2種類の帰り道を選びながら歩いていた。中学校の時は3通りの帰り道を自転車で帰った。高校の時は5通りの帰り道を歩いたり自転車で通ったり、助手席から眺めたりスクールバスの窓から見たりした。大学になると地元を離れ地元から遠く離れた世界で暮らした。寮に入ったりアパートを借りたりした。友達の家からの帰り道を合わせたら10通りくらいだろうか。
ゆっくり順番に考える。小学校の時は、自分でルールを作って遊んだ。今思うとすごいことをしてたと思う。何かと何かがあるとどうやったら面白くなるか考えてルールを作って遊んだ。創造力が無限大だったと思う。同時に、決まったルールを理解できない自分もいた。絶対違う方法が良いのに、とか心の中で文句を言いながら過ごしていた。世の中のルールが煩わしかった記憶がある。
中学生になると、少しずつ世の中のルールに従うことを思え始める。ルールがあってその中で生活し始める。遊びに関して言うとルールをどう使って自分を有利にしていくかを考えていた。ルールを理解して戦略を立てる事だ。私はそれがすごく苦手で、友だちにすごく嫉妬していた。中長期的な戦略を立てるのがめんどくさかったし、意味がないとまで思っていた。
高校生になると思春期真っただ中で、いつもイライラして遊ぶ時はすかしていた。その記憶が全てだ。恥ずかしい思い出ばかり。
大学生は、一番”青春”という言葉がふさわしい時期だった。少しずつ世の中が見えてきて1人暮らしを始めて、自由に使える時間がたくさんあった。友達の家に遊びに行ったり夜中に家に帰ってみたり。明け方まで飲み明かして何やってんだろうと笑いながら朝日を見たり。最高だった。
好奇心の先には自分の大事な思い出がたくさんあった。ステキな思い出に包まれながら私は生きている。たくさんの帰り道を通って生きていこう。