ここにも誰かの日常 綺麗な庭 綺麗な庭だった。喫茶店だから、といえば簡単に片付いてしまうが、手入れが行き届いたきれいな庭だった。朝起きて、一番に落ち葉を掃除して、石畳のすきまから生えた草をむしって「やっぱりいい庭だ」とつぶやいているんだろうな、と想像できるようなそんな庭だった。 私が訪れたのは、熱い夏だったから縁側の窓は全開になっていて、外で蚊取り線香が焚かれていた。私の日本のイメージをそのまま現実にしたような、そんな場所だった。そこで、友と話すことは格別に面白い。
変わらないようで変わる 毎日一緒に見えること 同じ毎日を過ごしていると、自分が見ているものが同じになっていく。初めて行った職場のシミも3か月通うと何も感じなくなる。これがいい事なのか悪い事なのかはわからないけれど、少しだけ悲しい気持ちになる。あの時は気づいていたのに、と考えることもなく日々の仕事をしている。 通勤の途中にずっと工事をしている場所がある。出勤の時は必ず旗振りのおじさんがいる。そう思いながら8月を過ごしていた。気づくと工事自体やっておらず、自動の時差式信
君の世界は何色? ペットという生き方 私の家では、ラブラドールレトリーバーを飼っている。体重は30kgくらいで、歳は13歳。とにかくカワイイ。きっとラブラドール本人は、ペットで買われていることに気づいていない。家族と住んでいると思っているだろう。ペットは私たちが勝手に、自分たちの所有物にしようとしたものだろう。逃げないように首輪をつけたり、しっかり従うように技を覚えさせたりしている。自分たちの都合のいいように生き物をランク付けして生きているのかもしれない。 君の世界は
視野を狭くする 見える範囲 人間と馬では、目がついている位置が違うように、人間とその他では見える範囲が違う。人間でもきっと裸眼の人と、眼鏡をかけている人では違うだろう。 見える範囲と聞くと、一番先に思い浮かぶのは視覚だろう。しかし、私たちの世界では物事をどれだけ広く知って理解しているかも見える範囲ということがある。それは、ものすごく厄介な尺度で、仕事ができるとか、頭が良いとか、そういう話に直結しがちなのだ。 物事の見える範囲が広いと、対処するときの選択肢が増える
失敗とは 自分にとっての失敗 私は、失敗が怖い。上手くいかなかったとき、ミスをしたのに気が付いたとき、心臓がキューっと締め付けられる感覚が襲ってくる。ごまかそうかどうかすごく考えてしまう。それではダメだと自分をできるだけ律するが、とても難しい。ごまかしても大丈夫な問題かどうかを考えてしまう。明らかな失敗は、認め、心からの謝罪が大切だと思うが。 他に失敗したと思う時は、挑戦しなかったときだ。「やってみる?」とか明らかなチャンスボールが来ているのに自信がなくて、ミスが怖
昔からあるもの 「築300年です!」とか「江戸時代に建てられたものです!」とか聞くとすごく不思議な気持ちになる。今は2024年で、天気は雨だ。139年前の今日は天気は何でどのくらい寒かったのでだろう。 他にも、古い建物を見に行くと「この場所を何百年も前の人はどんな格好で歩いていたんだろう」とか「この段差絶対誰か転んだだろ」とか考えてしまう。土はとっくに入れ替わっているだろうし、場所も少しは変わっているんだろうけれども面白い。 今日は少し酔っぱらっているので、この辺で
ある一点に集中すると見えるもの。 視界 私は比較的、視野が狭い。視界は人間の解剖にほぼ準拠していると思うが。誰かと同じ道を歩いているのに見ているものが違うと聞いた時、少しだけショックを受けた。私と同じ景色見てるじゃん、っておもってたから。そのショックの源は、自分が世界の中心だと思っていたからだ。 視界は解剖学で解明されている。それでは、視野はどうか。視野はきっと経験とか知識で決まると思う。私は、色々な経験が少なく知識もない。だから、視野が狭いと思う。それでいいんだけ
この先にあるもの いまの私 社会人3年目。ようやく右と左が分かるようになってきた。社会の構造が分かってきた、ような気がする。でもまだ、管理者からするとまだまだなのだろう。そんなことは分かっている。25歳、歳だけ一丁前に重ねていて中身は何も伴っていないように思う。小学生の頃に見ていた25歳の人は大人で、自分に無いものをたくさん持っているように見えた。今考えると、社会と言う枠組みの中にはめ込まれて生きている感じが、教育を受けているものと違うから「大人」に見えていたんだと思う
心のしこり ふと発したひと言が 誰かが言ったことと自分の意見が違う時。誰かの意見に同意したら自分の負けを認めてしまう時、否定されることを覚悟して自分の意見を話すだろうか。誰かが言ったことに同調した時、他の人が圧倒的に追い込まれてしまうとしたら、その「1人」のために異論を繰り出せるだろうか。 私は、それをやろうと努力するようになった。自分の意見と違う時は、意見を聞いた後、違うところを共有しようと努力を始めた。話を聞くだけでなく、自分の意見を話すようにしている。それは、
この夜が遠い過去になる前に あの日の夜 親友と夜の街へ繰り出した。ワクワクしていたのは当然のことだけれど、夕暮れのノスタルジーを感じながら街の雰囲気にも酔っていた。私は、お酒がなくても雰囲気で酔えるタイプなので、とても安上がりなのだ。 みろく横丁とは、八戸にある。せんべろの聖地に見えるように、たくさんのお店がひしめき合っていた。昭和を過ごしたことはないけれど、どこか懐かしい雰囲気で、気を許すと”ただいま”といってしまいそうな雰囲気だった。 決死のおもいで 親友
窓から見ているのに違う景色 旅行に行った時、ホテルの窓から景色を見るのが好きだ。それが例えば、隣の建物に近くて一面コンクリートだったとしても。 家の数だけ暮らしがあるように、窓の数だけ景色がある。窓は不思議なもので、たくさんあるのに同じ景色は見えない。大きさや形が違うから見える広さも違うし、見え方も違う。古民家だとガラスが歪んでいたりして景色も歪んで見えることがある。ステキだ。 旅していると、色々な窓が見える。そこから覗く住人の顔は清清しかったり憂鬱だったり笑顔だ
誰かの日常 私の日常 私の日常は、8:30から17:30まで働くこと。遅番は10:00から。夜勤もあるからその時は16:30から。休みの日以外は働いて、生活や楽しみのために働く。それが私の日常だ。 休みの日は、友だちに会いに行ったり、本を読んだり映画を観たり。自分なりに楽しんでいる。それが続いていく。だから日常なのだろうけれど。 あなたの日常と私の非日常 あなたは多分、朝から夕方まで観光客に声をかけて自分の車に乗せてお金を稼いているのだろう。 そんなあなた
似ているようで違う、違うようで似ているもの 似ているようで違うもの 蛾と蝶の違いは何だろう。考え始めてから10分経っただろうか。いつもこんな事を考えているわけではないのだけれど。スマホで調べればすぐに分かるのに10分も粘ってしまった。お金は使っていないが、その分時間を使っている。 蛾と蝶の一番大きな違いは、夜活動するか昼活動するからしい。夜に活動するのが蛾、昼に活動するのが蝶だ。自分では、色の鮮やかさの違いしか思いつかなかったから、調べてよかったと思う。 違うよう
君の楽しそうな横顔をみると、 君の横顔 私は、君の横顔が好き。そう言われたとき、僕はなんと言い返すだろう。そんな現実味のないことを考えながら、今日もコーヒーをすすっている。別に何を妄想したってお金はかからないんだし、好きにさせてくれよ。と、誰にも迷惑だと言われていないのに思う。 朝が苦手だ。世の中は朝活なんでのもが流行っているらしいが、なんて世の中になってしまたんだろう。それなのに、朝5時に目を覚まして、勉強をしたり、散歩したりする日々を1か月くらいしたことがある。
この世界の隅っこにあるもの この世界の隅っこ この世界の隅っこはどこなんだろう。自分の部屋の隅っこはとても分かりやすいけれど、世界に規模を大きくし瞬間、隅っこが分からなくなる。 地球は丸いらしいから、地球に隅はないのかもしれない。隅っこはないけれど端っこはあるのだろうか。てか地球の隅とか端とか何を言っているのだろうか。それを考えた時点で、今日の記事の意義は無くなる。 この世界の隅っこにあるものは 例えば、この世界の隅っこを自分自身だとする。すると、世界の隅っこ
君の言葉は分からないけど。 僕が話す言葉 私は、日本人だ。日本人として日本語を話している。英語も勉強しているが、母語と比べると全然話せない。でも、たくさんの人とコミュニケーションを取って、自分の世界を広げていきたいから勉強している。 日本語は、世界一難しい言語と言っている人がいるらしい。たしかに、ひらがな、カタカナ、漢字を駆使して文面は書かれているし、漢字においては訓読みとか音読みがある。覚えても覚えきれない。日本人特有の雰囲気や文化があり、とてもではないが、難しす