空き缶でしあわせ#16
見えないけどみえるもの
世の中には見えていないはずなのに、見えてしまうものがある。例えば、今日の写真は見えていないけど、丸い形は時計かなと思う。
仕事をしていると、見えていないのに「これが中途半端だ」とか、頼んだのにやってない、みたいな事が起こる。何とも世知辛い。まあ、やってないのが良くないのかもしれないけど。そういう話を聞くと、なんだか怖くなるし大人は結構厳しい中で生きていると思う。
最近”当たり前”と言う言葉がものすごく重い言葉に聞こえることがある。いつどんな時に聞いてもだ。まず、当たり前はその人の価値観で決まる時もある。仕事では、マニュアルみたいなものがありそれに則ったことをすることが”当たり前”である。
それらの”当たり前”はみんなの当たり前であり、知らずにすっぽかすとミスになる場合がある。「知らなかった」が許されないのである。それに恐怖を感じてしまう。とても怖い。私に見えない”当たり前”は皆には見える”当たり前”なのだ。
その恐怖に打ち勝つため、私が考えた対策は「聞きまくる」ことだ。聞きそびれて自分の常識の範囲で行った時は「確認する」ことにしている。初めてやることは確認してから実施し、自分の判断でできそうなことは実施後に確認する。そうすることで恐怖はだいぶ軽減する。
これも、読者の皆様からすると”当たり前”なのだろうか。
自分の見えない世界を広げるために明日からも生きていくことにする。