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空き缶でしあわせ#15

昨日映画を見た


昨日映画を観た。「偽りのないHappy End」という映画だ。

姉妹が主で描かれている。妹が失踪してしまい、その妹を姉が探すという映画である。

姉の正義感

姉は東京に住んでおり、母の死をきっかけに妹を東京へ引っ越すよう促す。姉は妹がただ心配だったのだろう。しかし、妹の想いは考えていたのかはいささか疑問である。映画中でも描かれているが「私の心配事は減ったかな」というセリフがある。妹が自分の目が届くところに連れてこれたからだと思うが、妹も大人である。家族とは言いえそこまで必要だろうかと視聴者としても感じた。しかし、この意味は映画の後半になるにつれて示唆されるようになる。

妹の想い

この映画では、妹の想いや感情、回想シーンはほとんどない。妹は断片的に描かれており、さっぱりして他人にもあまり干渉しないような印象を受けた。妹は地元にとどまり生活しており、東京は住む場所ではないと感じている。そんななか姉からの話があり、次の週に引っ越しを決める。

家族という単位

この映画を観て感じたことは、家族についてだ。私の家族はたまたま関係がよいまま過ごすことができているが、家族によって家族関係が複雑になる場合がある。今回の映画では、姉妹は連絡を年に1~2回程度しかとっていない。それなのに姉は妹の気持ちを考えずに東京に来たらどうかと話をしていた。家族だから踏み込んだ話ができているのだと感じるが、自分もそうしてしまっていないかを考えるべきだと思った。”家族だから”という言葉で何でも話していい訳ではないと思う。逆に”家族だから”話さない、話せないこともあるのは事実だ。家族は、強い力で結ばれていながら少しのほころびで関係性が崩れる脆さも含んでいる。家族って何なのか考えさせられる映画だった。

本当を知らない怖さと人を信じられない心

この映画では、誰が何を知っていて何を信じているのか、みたいなことをずっと考えながら観ていた。姉の過去を知っていくと姉の人格形成についても考えさせられ、姉の過去と家族の関係性や姉妹間でのお互いの想いを知ったり考えるとこの映画の見方が変わっていく。姉は、妹から「なんで東京に来たか分かる?」と聞かれたが、分からないと話す。姉は、なんでか聞き返さない。知らないことと知ろうとしないことは全然違う。知ることの怖さもあるが、知ろうとしない方が怖い気もする。信じることについても、怖さが付きまとうかもしれない。怪しい人ならなおさら、本当のことを言ってもお情け頂戴に聞こえても仕方がない。信じる事、信じられない心、難しい所だと思う。しかし、映画を観て思ったのは、冷静でいる大切さである。いつも自分の片隅に冷静な自分がいた方がいいだろうと思った。心が100:0で動いてしまうと、判断が上手くいかないことがあるだろうと思う。心を動かすのは大切な体験だし、色々な感情を感じることで人生に深みが出るとも思うが、1/100でいいからいつも冷静な自分を持っておきたいと思う。

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