空き缶でしあわせ#58
ここにも誰かの日常
綺麗な庭
綺麗な庭だった。喫茶店だから、といえば簡単に片付いてしまうが、手入れが行き届いたきれいな庭だった。朝起きて、一番に落ち葉を掃除して、石畳のすきまから生えた草をむしって「やっぱりいい庭だ」とつぶやいているんだろうな、と想像できるようなそんな庭だった。
私が訪れたのは、熱い夏だったから縁側の窓は全開になっていて、外で蚊取り線香が焚かれていた。私の日本のイメージをそのまま現実にしたような、そんな場所だった。そこで、友と話すことは格別に面白い。ちょっと深い話をしようと思った時に隣のテーブルにお客さんが来てしまったから友達には申し訳ないと今でも思う。
何を話そう
その時、その場所でしかできない話がきっとあるんだと思う。私の感覚の話だけど、喫茶店でしか話せないことがあるよね。あと、食事の時しか話さないこともある。確実に一つだけ言えるのは、車の中でしか発生しない話題があることだ。人それぞれ車の中でしか話せないことがあると思う。
ここにも誰かの日常
喫茶店に入って1時間が過ぎると、その土地の暮らしが気になってくる。どんな人が住んでいて、どんな暮らしをしているのか。はたまた、いま座っている席に誰が座っていたのか。考えても正解の出ないことを延々と考えるのも好きだ。
座った席からアパートが見えた。白い角ばった建物だった。柄シャツを着た男が一室に入っていく。妄想していた住んでいそうな人リストからかけ離れたその風貌は、私の固定観念を現実を通して突き付けてくる。それでもなお、何かの事務所として使っているのかと、変な妄想は続いてしまう。
ここにも、誰かの日常があるのだ。