空き缶でしあわせ#35
初めては不安ではなくワクワクを
過去の自分
初めての経験はとても怖い。不安だ。できればやりたくない。誰も僕に声をかけないでほしい。ずっとそう思っていた。新しいことは、皆が経験して安全が確保されてから最後にこっそり始める。そんな人生を選択し続けていた。
世間の優しさで「やってみたら?」なんて言われたら、全力で首を振っていた小さい頃の記憶がある。小さい頃は恥ずかしがり屋さんとか、人見知りで可愛い対象として見られていた。その記憶が強烈に残っている。
違和感
そんな恥ずかしがり屋さんは、味を占めてずっと首を振るスタンスを続けていた。誰かが一緒にやってくれたり、次やってみようねと声をかけてくれていたから。
それは突然の出来事だった。誰も自分に興味が無くなっていく感覚があった。小学校の中学年くらいだっただろうか。もう、可愛いの時期はとうに過ぎ、世間一般の子どもになっていたのだ。そんなことには気づかず、私はまだ「特別な私」だと勘違いしていた。
教室を見渡すと、僕が私がと手を挙げる人たちが注目を浴び、先生も生徒もその人たちへ目を向けていた。「特別な私」はいつの間にか「静かな人見知りな子」に変わっていた。
気づきと葛藤
ちょうどクラスの構図を少し理解した時のこと。チャンスは自分から取りにいかないと巡ってこない、というような意味で「チャンスの神様は前髪しかない」という言葉を聞いた。はっとした。ついに気づいてしまったと思った。それと同時に思ったことがある。
「わかる」と「できる」は全くの別物なのである。言葉を知っていくら衝撃を受けたといっても、行動に落とし込めないと意味がないのだ。知識を得たが何も変わっていない自分が情けなくなった。考えて考えて考えるが、何も変わらない。こんなに考えているのに何で変わらないんだろうと、ずっと思っていた。
発見と思考の転換
考えているだけでは何も変わらないと気づいたのは、高校生か大学生の時だった。考えるというのは大事なことだけれど、変える時は行動しないと何も変わらない。
高校生の時に、初めて2週間の研修に参加して気づかせてもらった。大切な経験だったと今は思う。
考えている時間を2、動く時間を8くらいの比率にしていこうと決めてからは考える時間は少なくなったように思う。だけれど、それと同時に何をどうやって考えるかの重要性に気づいたりする。屁理屈みたいだけど。笑
そんな面倒くさいことを考えながら今日も生活してみる。
※時系列などそろっていないこと、ご了承ください。