あまりに知らず、、、だけど人と人との愛情は美しいに決まっている。
なぜにこの映画を知ったのか、数日前なのにそのきっかけを忘れてしまった。
フランス映画「寄宿舎・悲しみの天使」。
どんな映画なのだろう?とネットで評などを見てみると、数年前にあった某芸能事務所の性犯罪のことと重ね合わせた形で、「到底受け入れられない」的な意見が多数見受けられた。
性犯罪は確かに犯罪に違いない。
特に性のことなど知らぬ子供たちをその対象にするなど言語道断、許せるはずはない。
そんな思いで昨夜、見てみた。
撮影の舞台となったのは13世紀のフランス、ロワイヨーモンの修道院を利用したのだという。実際の話は寄宿舎、その内容を調べるといろいろだが、要は若い学生が親元から離れて勉学に励む施設だろうか。
映画では男性だけの施設で、その昔、ある男子修道院を訪れたことがあるし、学生時代にフーコの「薔薇の名前」、北イタリアのベネティクト会の中であった出来事を知る者としては何となく想像はできる。
その中で繰り広げられる若者の心の変化が映画の内容だ。
この映画では幼少のクラスの男の子ともう少し、そう日本で言えば高校生くらいだろうか、その二人が偶然に出会いお互いに惹かれていく話。
確かにいろんな人の評の通り、それを同性愛だといえばそうなのだろう。
だからといって情事めいた内容が出てくるわけではなく、ただ純粋に「人が人を愛する」、それだけの内容なのだが、ここからが難しいところ。
キリスト教という世界観の中で・・、こうなると私にはわからないのだが、同性愛は禁じられているという。その理由はこれから紐解かなくてはならない。
2人の愛情は親代わりとされる寄宿舎の神父、要は教育者的な立場の人に人として良からぬことゆえ、やめるよう諭される。
フランスの寄宿舎、それがどんな雰囲気は映画に出てくる内容で推測するほかはないのだが、お互いがいわゆる「恋文」を詩にして手紙として渡すというもの。その純粋さいったら今の若者は笑うだろうか。
いや、時代が変わりメールなどが利用されるようになった現代でも、人の心は昔のままだろう。むしろその表現方法は不器用になっている気もする。
ただ単に伝える媒体が変わっただけで、人そのものの気持ちは変わらない。
人と人、それが仮に男性同士であったとしても男女、女性同士、あるいは年齢の差のある者同士かもしれない、しかしそこにある人と人、人を愛する気持ちは美しいのひとことだ。
そう思って観ていたのだが、やはりそこはキリスト教、寄宿舎の教えというものがあるのだろうが、ふたりを引き裂くような指導がなされ、最終的にふたりのうち幼少の者は自殺をしてしまう。映画では、若い二人は「・・・・そう仕向けられた」ように思われた。
神父であろうと親であろうと先生であろうと、そこまで人と人との愛情に介入するほど重要なことがあるだろうか、それは個々人の考えであっていいのではないか。
ここはキリスト教の戒律をもう少し調べないとわからないが、そんなことを思った。