『春といえば、炉端焼きと熱燗』
私は寒いのが苦手だ。つまり冬があまり好きではない。そして秋は冬を迎える準備的な期間になるので、朝起きると1週間の天気予報と気温のチェックが日課になる。
冬が苦手になってしまった理由は至ってシンプルだ。決して忘れることができない51歳の11月末に脳卒中で倒れて緊急搬送されたからだ。
あの日は底冷えで、いつもより体内の血管が収縮した。振り返れば、仕事も生活習慣も乱れて血圧も急上昇していたが、それをケアする余裕がなかった。
そして、ついに生死をさ迷うことになった。
幸いにも一命を取り留めたが、それから数ヶ月の入院となった。リハビリの毎日だったが、生きる意味を考える機会を与えてくれたという意味でとても感謝している。
当初主治医からは「とにかく、血圧を下げなければ同じことが起こる。その時はもっとひどい状態になります」と告げられていた。つまり今度血管が切れたら死にますよという宣告だった。
それからは運動とカロリー制限の日々。その努力が報われ20kgの減量に成功。遂に血圧を通常範囲内に安定させることができた。
しかし体調が復活してくると、当然のように酒飲みは恋しくなる。病院の庭にも桜の花が咲き始めた頃、私はこっそり抜け出して、病院から少し離れた炉端焼き屋に向かった。
急な階段をゆっくりと下り、ビルの地下にある「寅」という名のお店に入った。店内は調理場をテーブルが囲むように配置されていた。私は一番奥の席に通され、杖を脇に置いてあたりを見回した。
まだ早いのか一組のカップルと、常連らしい初老の男性が一人。店内は薄暗く、目の前には赤々と炭が燃えており、その側で金目鯛があぶられていた。パチパチいう炭の音、静かに焼かれていく金目鯛の香ばしい匂い。それはとても幻想的だった。
私はその光景を見ながら、熱燗を口元に近づけて、ゆっくりと胃袋に流し込んだ。久しぶりのアルコールは胃を熱く燃やした。それと同時に懐かしさと歓喜が込み上げ、瞳がにじんだ。
倒れたあの日。あと10分降圧剤の投与が遅れていたら、命が危なかったと言われた。翌朝目覚めた時には、右半身不随で手足が動かず、その後の車いすの生活を覚悟した。まさか、ふたたび居酒屋でこのような機会を迎えられるとは。。。
そんなことがあったのだから酒なんて止めればいいのにと人は言う。しかし、根っからの酒飲みはそういう思考にはならない。酒を飲むためには、飲める体に戻したいというのが酒飲みの発想なのだ。この思いがあるからこそ、奇跡的に回復することができたと自負している。
そういう意味で、炭火で焼かれた金目鯛と胃を熱くしたあの日の味は生涯忘れることはないだろう。
あの日以来、自分の信念を曲げずに健康的に飲み続けております。プロの酔っぱらいとはそういうものなのです。
復活の原点ともいえる炉端焼きと熱燗。これが私の第二の人生をつくった大切な思い出です。