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【読書録36】自分のやりたいことに素直に取り組むことが未来を創る~暦本純一「妄想する頭思考する手」を読んで~
昨年、出版された際に初版を購入、今回、2度目の読了。
本書は、スマートスキン開発者でユーザーインターフェース研究の世界的第一人者であり、落合陽一の大学院時代の指導教員でもある著者による、アイデアを発想し形にしていくまでを説いた本である。
何度読んでも面白い。この本を言い表すのにこれ以上ないというようなネーミングのタイトル。著者が「体験」の中で獲得した知恵をわかりやすく伝えてくれている。
昨今は、「イノベーションの時代」と言われ、新しいモノを産み出す事に価値を見出す時代であるが、著者は、イノベーションを「義務感」「使命感」を感じながら起こそうとしている事に違和感を感じると警笛を鳴らす。
真面目と非真面目
著者は、こう言う。
イノベーションのスタート地点には、必ずしも解決すべき課題があるとは限らない。
解決すべき課題があって、その課題解決を目指すのを「真面目」なイノベーションと言い、一方で、「やりたいことをやる」のを「非真面目」なイノベーションとし、こう言う。
課題解決型の真面目なイノベーションのやり方では、予測不能な未来に対するイノベーションを起こすことができない。
「非真面目」は、「不真面目」とは違うのだ。
不真面目は、いわば「真面目度」を測る価値観の上に乗っている。しかし「非真面目」はその「真面目度」を測る価値観に乗っていない。
そしてこう語りかける。
真面目に課題解決をすることだけでなく、自分の「やりたいこと」は何なのか非真面目に考えてみるとよい。
不真面目は、他人の価値軸と逆にいく、つまり「奇をてらう」ことである。一方、非真面目は、自分の価値軸の上で「面白い」ということを素直かつ真剣に考えることであるという指摘は、面白い。
現代、自由や民主主義という価値観と統制や権威主義という価値観の国家間の争いが生じている。そのような中、各人が自分の価値観の上で「面白い」「やりたい」ということを起点にできること、つまり「自由」や「自分らしさを発揮できる」ということが、明日の社会を創っていくには欠かせないことを改めて考えさせられる。
想像と妄想
「想像」とは、現時点から未来を予測して考えることであり、「妄想」とは、自分のやりたいことであると言う。
その「妄想」というのが本書のキーワードの一つになっている。
「想像」を超える未来をつくるために必要なのは、それぞれの個人が抱く「妄想」だと私は思っている。
では、自分のやりたいことである「妄想」をどう形にしていくか?
それが本書の主題である。
その「妄想」は、実現可能かという判断を優先させていたら、「妄想から始まる」どころか、妄想を抱いた時点で終わってしまう。
そして著者の好きな言葉として、2つの言葉を引用する。
高名で年配の科学者ができると言うときは正しい。でもできないと言う時ときはたいてい間違い。(アーサー・C・クラーク)
素人のように発想し、玄人として実行する。(金出武雄・カーネギーメロン大学)
著者は、「天使度」「悪魔度」という表現を使うが、発想の自由度とプロフェショナルとして突き詰める力、双方が必要ということである。
言語化は最強の思考ツール
著者は、自分のやりたいこと、モヤモヤとした妄想を形にする第1歩は、言語化することであるという。
やりたいことを一行で言い切ること。これを発明の世界では、クレームという。ビジネスの世界で言う「イシュー」である。(安宅和人さん「イシューからはじめよ」)
これを明確にすることからアイデアの具現化はスタートするという。
確かにモヤモヤしているときに、言語化してみることは重要である。
本を読んでこのように改めて文字にして見ることも自分の頭を整理するのに有効である。
そしてクレーム化できたものの中から実行に移せるものは、すぐに実行に移すことが重要であるという。
準備ばかりしているといつまでたっても「本番」を迎えられない人生になってしまう。
自分が今「面白い」「やりたい」と思うことをクレーム化し、実行に移せるものは実行に移す。
ここで面白いのは、「実行」することの重要性を説いているところだ。
アイデアを練り上げていくのではなく、なるべく打席に多く立つことだという。
手を動かさないと始まらないのである。
アイデアは「既知」x「既知」
なるべく多く打席に立つには、アイデアの数が勝負であり、妄想をいろいろな方向に拡げた方が良いという。
その際にポイントとなるのは、アイデアは、「既知」と「既知」の組み合わせなので、その組み合わせを増やすことである。
このあたりのアイデアの作り方は、以前に読んだ「アイデアのつくり方」を思い出させられた。
著者が、アイデアの源という「妄想」は、自分のやりたいことからスタートするのであり、好きなものを多く持つことが妄想の幅を拡げるコツであるという。
専門分野以外にも色々と好奇心を持ち、アイデアを拡げることでさまざまな世界の「未知」を自分の「既知」としてインプットする。
またアイデアを出すには、孤独なプロセスが必要であるというのも印象深い。確かに、一人になった時に思考は進む。一人でモノを考える時間をもつことも重要だというのは納得である。
試行錯誤は、神との対話
本書のタイトルである「思考する手」に言う「手」とは、「手を動かす」の手であり、実行する事の重要性を説く。
自分のやりたいことである妄想を起点とした発想法のパートも面白いが、2度目読んだ時には、この手を動かすという「妄想」を形にするための心構え、考え方に非常に惹かれた。
金言が多い。
同じようなアイデアは、自分以外にも思いつくことができる。でも、その実現を阻む壁を乗り越えられるのは自分しかいないかもしれないし乗り越え方に自分らしさを出せるかもしれない。そう思うと、一回やってみて失敗するぐらいのほうが、やり甲斐のある面白いアイデアのように思えるのだ。
失敗が重要なのは、それが「自分が取り組んでいる課題の構造を明らかにするプロセス」だからだ。
手を動かさないと失敗さえできない。失敗によって問題の構造が見えてくれば前進だ。
失敗は挫折とは違う。
その失敗によって課題を理解し、次に自分がやるべきことを明らかにして取り組めば、打率は上がる。
「このアイデアは面白そうだけど、本当にうまくいくだろうか」などと、じっと熟考するのではない。ダメ元でもいいのでまずは手を動かしてみる。
何度も失敗を重ねながら手を動かす時間は「神様との対話」をしているのだと思っている。天使のようなひらめきは、腕を組んで考え込んでもやってはこない。
今まで試行錯誤をしながら色々な発明をされてきた著者ならではの言葉である。
手段の目的化
本書では、「思考する手」の留意点として、ピボットすること、すなわち思い切って方向転換することの重要性を説くが、その他に、「手段の目的化」についても挙げている。
「そもそも何がしたかったのか」を忘れていると思いがけない展開のチャンスを逃す
「手段の目的化」はどんな分野でもしばしば起こる。ある目的のための手段を考えているうちにその手段を完成させること自体が目的であるかのように錯覚してしまう。
組織の中では、これは、本当によく起こりがちである。
「手段」である形を整えて終わる。対処療法で物事を終わりにしてしまう。まさに「イシュー」は何かに立ち戻ることが重要である。
著者は、そのようにある種のこだわりを持つことを「イナーシャ」(慣性)と呼ぶ。
そしてこう警告する。
イナーシャ(慣性)が無駄なこだわりを生む
長く同じようなスタイルの仕事をしていると、そのまままっすぐ進む方向に慣性が生じて勢いが付き、急には方向転換ができないという指摘は、自分自身を振り返るとドキッとさせられる。
イノベーションの源泉を枯らさない社会へ
そして終章。タイトルは、「イノベーションの源泉を枯らさない社会へ」である。
イノベーションの源泉は、何か?
ここまで読んでくれば自明な様に「妄想」である。
大事なのは、「4Gの次は5G」といった具合に技術進歩の先を読むことではない。たとえば3年先の進歩を予測してそれに合う技術を考えたところでまたすぐ時代遅れになる。それは妄想ではなく「想像」だ。妄想は現時点での最先端から始まるわけではない。むしろ既定の世界に対して違和感を抱くことから始まる。
そして優れた妄想のキーワードとして、「キョトン」を挙げる。
優れた妄想は、すぐには理解されない。すぐに理解されるアイデアはスケールが小さく感じられ、「キョトン」は、自身の妄想やアイデアが、他人の価値軸とは違う価値軸の上にあることを、表しているという。
イノベーションを起こすには、「こうあらねばならない」的な真面目路線のほかに、「非真面目な」路線を確保することが必要で、人をキョトンとさせるような妄想を語る人間を排除せず、役に立つかわからないアイデアでもとりあえずやってみることが必要と言う。
そして、科学技術政策などでもよく言われる「選択と集中」という方向性に警笛をならす。
「選択と集中」だけでは未来に対応できない。
その根底には、未来が予測可能であるという奢りがあるからだ。
その発想だけでは、「予測できない未来」を開拓する技術は生まれない。
新しいテクノロジーに対する日本社会の対処も同様である。
新しいテクノロジーは、どんどん使って問題を見つけたほうが改良される。しかし、そういう発想が、日本社会ではあまり受け入れられない。使ってみないとわからない不確実なものは嫌われる。
停滞を続ける日本。一方で、機動戦士ガンダムやドラえもんを産み出したのも日本人である。妄想は得意なはずである。イノベーティブにジャンプアップするのに、まずはイナーシャから解放され、妄想=自分のやりたいことに素直に従ってまずは手を動かすことが求められている。
いや、そんな大上段に構えず、各人が自分のやりたいことを素直にやっていくということなのだと思う。