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【読書録52】稀代のカリスマ・アントレプレナーにして変人の軌跡~Steve JobsⅠ・Ⅱを読んで~

 今更という感も強いが、スティーブ・ジョブスの伝記を読む。

 著者は、ウォルター・アイザックソン。
アインシュタインやキッシンジャーの伝記を書いた伝記作家である。スティーブ・ジョブス本人からの依頼で本書を書いたという。
 そのいきさつは、本書の冒頭にある。
長くは生きられないかもしれないと悟った彼が、自分の子どもたちに自分が何をしてきたかを遺したくて依頼したという。


強烈な個性

 著者は、この本でのジョブスの描き方についてこういう。

ジョブスに対しては、皆プラスかマイナスか、とにかく強い感情を抱くため、同じ事実が見る人によって違って見える「羅生門効果」がはっきり出てしまう。とにかく私としては、矛盾する記憶はなるべく公平に取り扱うとともに、情報源を明確に示すように努めたつもりだ。

 著者の、多面的・多角的な描写により、その試みは成功していると思う。
ジョブスの見方、周囲の捉え方を重層的に描いており、偶像ではない彼の姿を描いていて面白く読む事ができた。

 「Ⅰ」は、養子としての人生のスタート、両親との関係、ウォズなど友人との出会いを中心とした青春グラフィティから始める。禅や菜食への偏食やインドへの自分を探す旅なども青春を彩る。

 菜食主義者は、体臭がしないと、週に1度しかシャワーを浴びない。トイレの水で足を洗うなど少し笑えるエピソード。
「現実歪曲フィールド」という誰が相手でもどんなことでも自分の思った通りに現実を捻じ曲げてしまう彼が成し遂げたことにも通じる性格(?)。

 著者は、ジョブスの人物像とアップル製品の結びつきについてこう言う。

ジョブスは上司としても人間としてもモデルになるような人物ではない。わかりやすくて皆がまねしたいと思うような人物でもない。悪鬼につかれているかのように、周囲の人間を怒らせ、絶望させるのだ。しかし、彼の個性と情熱と製品は全体がひとつのシステムであるかのように絡み合っているーアップルのハードウェアとソフトウェアがそうなっていることが多いように。

 そんなジョブスも30才を迎えると、ベンチャー界のカリスマとして大金を手に入れる。一方で、「人間は30歳を超えると思考パターンが型にはまり、創造性が落ちる」という焦りからか、周囲とますます調和ができなくなり、ついには、自分の会社を追われることになる。

 ある意味ここからが彼のスタートなのかもしれない。

王政復古 今日の敗者も明日は勝者に転じるだろう

著者は、本書の冒頭でこういう。

本書に描かれているのは、完璧を求める情熱とその猛烈な実行力とで、6つもの業界に革命をおこしたクリエイティブなアントレプレナー(起業家)の、ジェットコースターのような人生、そして、やけどししそうな情熱である。

 前半の会社を追われるところから、ピクサー、ネクストでの経験を経て、再度、アップルに復帰する。著者は、「再臨 野獣、ついに時機めぐり来る」「王政復古 今日の敗者も明日は勝者に転じるだろう」と表現する。

 後半の「Ⅱ」では、アップルに復帰してからの快進撃とがんとの闘病、家族との関係等を描き出す。伝説のスタンフォード大学の卒業式典でのスピーチも背景を知るとさらに心にしみる。

メメント・モリ

 このスピーチは、「メメント・モリ-死を忘れるなかれ」という章で取り上げられている。
 
 その中で、本書で引用されているのは以下のパートである。

 人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるおは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことがー周囲の期待、プライド、ばつの悪い想いや失敗の恐怖などーそういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事な事だけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、何かを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。

 このパートを引用するとともに、古代ローマでは、凱旋した将軍が通りをパレードする際、「メメント・モリ」とささやき続ける従者がその後ろに従っていたというエピソードとその意味、自分も死ぬ存在だといさめられれば英雄も物事を正しく判断し、多少は控えめになるということを紹介する。

 ジョブスが、控えめだったとは言えないが、やりたいことなすべきことに対する純粋な気持ちや集中力は、メメント・モリの賜物であると思う。

リーダーには、全体像をうまく把握してイノベーションを進めるタイプと、細かな点を追求して進めるタイプがある。ジョブズは両方を追求するー過激なほどに。そして、さまざまな業界を根底から変える製品を30年にわたって次々と生み出した。

最後にもうひとつ・・・


 すべてをコントロールしたいと臨むジョブスが、本書にだけは最後まで干渉しなかったと言う。伝記はそれで良いのであるが、著者は、ジョブスに最後の言葉を述べさせることなければ、世にジョブスという人物を正しく伝えられないのではないかと考え「最後にもうひとつ・・・」と題して、ジョブスが、「自分がなにをしてきたか、自分はなにを後世に残すのか」について繰り返し語ったことを彼自身の言葉で紹介する。
このパートは、必読である。一部分だけ紹介する。

なにが僕を駆り立てたのか。クリエイティブな人というのは、先人が遺してくれたものが使えることに感謝を表したいと思っているはずだ。僕が使っている言葉も数字も、僕は発明していない。自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし、自分の服なんてつくったことさえない。僕がいろいろできるのは、同じ人類のメンバーがいろいろしてくれているからであり、すべて先人の肩に載せてもらっているからなんだ。そして、僕らの大半は、人類全体になにかお返ししたい、人類全体の流れに何かを加えたいと思っているんだ。それはつまり、自分にやれる方法で何かを表現するってことなんだーだって、ボブ・ディランの歌やトム・ストッパードの戯曲なんて僕らには書けないからね。僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。そして、その流れになにかを追加しようとするんだ。そう思って、僕は歩いてきた。

 本書で彼の人生を辿っていくと、最初からこのような考えをしていたわけではないと思う。彼が出会ってきた人、出来事などが彼をそのような考えに導いて言ったように感じる。まさに「Connecting the dots」。その場その場で真剣に生き切った軌跡が彼をこのような境地に導いたと感じる。

オンとオフのスイッチ

 本書の最後は、彼の死生観とApple製品の特徴を結びつける形で終わる。
死んだあと何かが残ると考えたいジョブスも、もしかしたら、死は、オン・オフのスイッチみたいなもので、パチン!その瞬間にさっと消えてしまうかもしれないと考えると言う。

「だからなのかもしれないね。アップルの製品にオン・オフのスイッチをつけたくないとおもったのは」

 後付けの理由なのかもしれないが、死生観まで踏まえた製品づくり。なかなか他の人にはできないだろう。

 経営者・マーケッターと芸術家・アーティストの間に立つ。決して真似できない個性。そんな彼をある意味許容し、力を最大限活かす環境を整えるのもアメリカの強さか。

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