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【読書録135】致知2024年8月号「さらに前進」感想
致知の感想をnoteに書いて、今回が36回目となる。
今回紹介するのは、8月号である。すでに10月でありまた、9月号よりも遅くなってしまった。時間かかってしまったが、選んだ2つの記事はとても良い記事だったと思う。
総リード さらに前進
さらに参ぜよ三十年
という禅の言葉から始まる。
悟ったからといっていい気にならず、悟った後もずっと修養を続けていけという戒めの言葉である。人は何歳になっても、生涯、修養を続けていくことが大事だ、という教えでもある。
「生涯、修養」というのは、致知で取り上げられる方々の共通点だと思う。
最後の、坂村真民さんの言葉も良い。
「人間いつかは終わりがくる。
前進しながら終わるのだ。」
人生いつまでもそういう態度でいたいものである。
さらに参ぜよ三十年
円覚寺の横田南嶺管長と野球の栗山英樹氏の対談記事。2023年10月以来2回目。前回の記事も以前に書いたが、とても印象的であった。
今回の記事からも印象的な点を何点か記載したい。
栗山監督は、サインを頼まれると、「夢は正夢」と書くという。横田管長から、夢を正夢にするには何が大切かと聞かれてこう答える。
「ああなりたい、こうなりたい」と誰しも夢を描きますよね。でも、「こうなる」「こうする」と言い切れる選手は少ない。本気で「なる」と決めれば、きょう何をしなければならないのかが具体的になり、練習もこれだけは何としても絶対やる、という信念を持ってぶれなくなる。そして、自分で決めたことを自分でやり切る体質をつくっていく。やはり「なりたい」と「なる」は違います。この差じゃないでしょうか。
私の場合、なかなか自己開示できず、願望や決意を表に出すことができない。noteではなるべく普段表に出さない自分の決意や思いを出そうとしている。
「なる」と決めること、とっても大事だと思う。
栗山監督は、重い病気にかかり野球ができなくなったという経験がある。この経験の大きさをこう語る
いま考えるとメニエール病で野球ができなくなったり、そういう経験が全部生きているというか、大きくプラスになった感じがします。命までは取られないんだから、何とかなる。そう思って前進してきました。
別の場面でも同じ趣旨のことを言う。
あの時に比べたら、これくらいなんてことないって思えるようになったものですから、重い病気で追い込まれたことはすごく大きかったです。WBCの時も「プレッシャーをどう乗り越えたんですか」みたいなことをよく聞かれましたけど、「いや、命までは取られないので」と思っていました。
この感覚は、経験した人にしかわからないところであろう。文字にするとなにか陳腐なものになってしまうような気がする。いざというときの腹のくくり方は常に意識しておかないといけない。
最後に、「さらに参ぜよ、三十年」という禅の言葉に絡めて、死ぬまで修行を続ける決意を語る場面が素晴らしかった。
坂村真民先生は、九十七歳まで創作意欲が衰えなかった。松原泰道先生は、百二歳まで説法していた。そして、山本玄峰老師は、九十六歳まで矍鑠としていたといい、山本玄峰老師が、晩年まで記憶力が衰えず、お世話になった方の名前を上げてありがとうと唱えたり、あの時ああ言ったのはすまんとお詫びをしていたというエピソードを語りこういう。
九十歳を超えてもお世話になった人にありがとうという気持ちを忘れない。人に不快な思いをさせたことを素直に詫びる。そういうことをずっと重ね続けられたから衰えなかったのかなと。死ぬまで修行を続けることを目標にこれからも歩んでいきたいと思います。
人間としての素直さを失わないこと。これが一番の修行なのかもしれない。自分も素直な気持ちで人と相対し続けたい。
人生の真価は晩節に宿る 先達に学ぶ“晩晴学”
人 生の晩年に輝ける人はどんな人か?それを「晩晴学」と題して研究する、静岡県立大学名誉教授・前坂俊之氏による記事である。
渋沢栄一の言葉を引用して、人生の軽重を決めるのは晩年、晩年が立派でありさえすればその人の価値は上がるという。
「人の生涯を重からしむると軽からしむるとは、一に其の晩年にある。ずいぶん若いうちは、欠点の多かった人でも、其晩年が正しく美わしければ、其の人の価値は頗る昴って見えるものである」
本記事では、3人の偉人を取り上げることで「晩晴学」を語る。
1人目は、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門である。
昭和のファシズムで電力国営化により、関連事業をすべて取り上げられたのち、隠遁し、すべての公職を辞し、茶の道、禅に専心する。
戦後、電力に精通する松永に「電気事業再編成審議会」の会長になったとき、既に七十五歳であった。池田勇人・通産大臣と協力して、電力の安定に貢献する。
それだけでもすごいことであるが、さらにすごいのは、トインビーの「歴史の研究」の日本語訳を九十二歳で刊行したことである。情熱さえあればなんでもできるということだ。
社会に求められれば全力でその能力を発揮し、求められなければ自分の修養に力を注ぐ。あこがれる生き方である。
2人目は、憲政の神様、尾崎行雄である。
尾崎の「人生の節目で必ず試練に遭いながら、マイナスをプラスに変える思考」が素晴らしいと思う。
昭和の軍部によるファシズムの時代、不敬罪に問われ、刑務所に送られるが、そのことについてこう言ったという。
「議員としてこれほど不運なことはないが、(略)もし不敬罪で発言を禁じられていなかったならば、(略)彼らは私の生命を奪ったかもしれない」
また国内で、盟友だった犬養毅が暗殺された際、外遊中であったが、同伴した二人目の妻が病死して、妻の遺骨を持って帰国した尾崎には、同情心からか命を狙う者が現れなかったことに対して、「妻の病死が自分の生命を永らえさせた」という言葉を残したという。
1953年、九十四歳の時の吉田茂の「バカヤロー解散」の際の総選挙ではじめての落選。九十五歳で没する。
3人目は、禅を世界に広めた鈴木大拙である。
晩年に秘書として付き従った岡村美穂子さんによれば、九十歳の頃の大拙は、長寿法の質問に「仕事こそ人生なり」と真面目に答えたという。またこうも話したという。
死を恐れるのは、やりたい仕事をもたないからだ。やりがいのある、興味のある仕事に没頭し続ければ、死など考えているヒマがない。死が迫ってくるより先へ先へと仕事を続けていけばよいのである
一日の仕事があればとにかくそれを行い、他のことは考えない。
やりたい仕事をすれば余計な妄想はなくなる。こういうことを「莫妄想」というのだと教えています。
大拙の行動力もすごい。九十歳でインド政府の招きを受けて渡印し、九十四歳で再渡航するなど最後まで西洋と東洋の思想の懸け橋になったという。
この晩晴学を体現した3人の生きざまを踏まえてこういう。
長寿の達人の生きざまを見ると老いるほど活力を増していることがお分かりになると思います。年とともに輝きを失われて行かないのはなぜでしょう。私は「知行合一の精神」だろうと思います。
私が感銘を受けた達人たちは、「こうでないといけない」と決心したことは、たとえ百万人が反対しようと我行かんの気概で実行し、困難を突破しています。
これを著者は、いま日本人に欠けている真の個人主義という。
そして、著者は、2人の長寿の達人の言葉を紹介し、晩節についてこう語る。
〇人生の本舞台は常に将来に在りー尾崎行雄
〇天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶー渋沢栄一
(夕陽が沈む時に光り輝くのは点の意思であり、人間も年と共に輝く人生が尊い)
晩節とは”日暮れ”の時間。私の偽らざる実感です。同じ時代を生きてきた友人や知人が、次々と鬼籍に入っていく。妻と二人暮らしですが、話し相手がだんだん減り、日増しに孤独感が募ります。
されど、学術でも芸術でもなんでもいい。やりたいと思ったことを知行合一、年齢に拘わらず実践していくと、生死を超えられる。知行合一と生死一如、これこそが日本人の強さの源、老いてなおさらに前進する秘訣ではないでしょうか。
こんな風にいつまでも前を向いて生きていきたい。
これは長寿の秘訣でもあるのかなと思う。