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【読書録9】思考の補助輪としてのSDGs~落合陽一「2030年の世界地図帳」を読んで~

 最近、道徳的な本を続けて取り上げてきたので毛色の違う本を取り上げたい。今日が「デジタルの日」だからというわけではないが、落合陽一氏の著書である。

 1年ほど前に読んだ本書を最近、再読する。前回読んだときは、ふわっとしてあまり理解できないという印象であったが、今回は、非常に興味深くまた自分の考え方を深める参考になった。

 本書は、SDGsの解説書ではない。
SDGsを2030年の未来を考える為の「補助輪」として活用する。また統計情報やそれを俯瞰するためのフレームワークを活用し、「2030年の世界地図帳」として示す。

 本書を読んで「正解」を探そうとすると、期待に外れる。「地図帳」として俯瞰して考えることで、停滞や思考停止を突破して、自分自身の行動指針を立てるきっかけにすることを著者は期待している。

思考を深めて、実践につなげることを期待しているのだ。

 その際にSDGsを活用する意義として、以下の通りいう。

 世界各国の人と共通言語を持って、また同じ言葉でしゃべれるテーマを持って、自分が価値があると考えるものに励んだり、考えたりしていくことは、これからの時代を生きていくすべての人にとって、とても大切なことだと思う。

 2030年の日本を統計資料等で俯瞰すると、悲観的になるが、「悲観したいのではなく、考える補助輪を提示して次の成長を描きたい」とする。


1.  世界の4つのデジタル・イデオロギー

  2030年に、世界に影響を与える破壊的テクノロジー(それまでの価値観や社会のあり方を劇的に変化させる技術)として、➀AIなどの機械学習関連技術領域➁5G③自律走行(自動運転)➃量子コンピュータ⑤ブロックチェーンを上げる。それらは、SDGsが掲げる目標達成にも大いなる貢献をすると言う。例えば、日本についても相対的な貧富の格差が深刻でそれが教育機会の格差につながり、貧困の再生産・格差の固定差を招く恐れがあるが、テクノロジーにより格差縮小の可能性があるとする。

 その上で、本書では、2020年代のデジタル社会を支配するイデオロギーを、4つの類型にわけて解説する。それらは地政学的な差異から生まれるデジタルとの向き合い方の違いから生じる。

「アメリカン・デジタル」  
人の自由な可能性を探求するためにコンピュータを使うという考え方。GAFAMなど、貪欲に新市場を求め、研究開発に予算を惜しまない。
「チャイニーズ・デジタル」
国家の強力な情報統制下にあり、BATHなど、GAFAMとは別種の生態系が築かれる。
「ヨーロピアン・デジタル」
ヨーロッパの伝統と文化を背景にしたブランド力によるエンパワーメント。スペック上に表れない価値の創造。顧客との間に強力なエンゲージメント「サードウェーブ・デジタル」
インド・アフリカなど「近代」を経由せず一足飛びに現代へと到達。タタ・モーターズのナノ。モバイル決済のMペサなど

 置かれた環境や関係性による発想の違いを前提に考えるというのが、本書を貫く基本的な姿勢になっている。

2. ヨーロッパ式ゲームとしてのSDGs

 SDGsについても、ヨーロッパ的な価値観という地政学的な影響のもとに生まれたとする。

 ヨーロッパには、「プラトンのイデア」、「ルソーの社会契約論」、「カントの永遠平和のために」など、理念を通じて世界を変革しようとする運動が根付き、長い歴史がある。
「法と倫理」に基づく思想がSDGsにつながっている。

 GDPRについて、「ナチスドイツが、データベース化された個人情報を迫害に利用していた」という歴史から、ヨーロッパでは、個人情報=人権という意識が強いことが背景にあると指摘する。

 またアメリカの環境問題との向き合い方も、単にアメリカが環境問題に否定的ということではなく、法と倫理に基づ排出権取引等に傾くヨーロッパに対して、アメリカは、規制ではなくイノベーションによって、炭素排出量を抑えるという、アプローチの違いという指摘は興味深い。

 SDGsについて、国連での多くの国で同意するため、最低限度のルールになっており、LGBTや兵器削減などのルールは入っていないとする指摘も「なるほど」と思う。

3. 日本の立ち位置と「デジタル発酵」

 このように物事の背景にある考え方について理解した上で、自分の立ち位置を考えることは大変有益である。

 それらを踏まえた日本の話である。日本には、米・中・欧の中間地点であることに活路があるとする。

 日本が迷走しているのは、明治維新や敗戦による文化的な断絶のため、長い文化を持っているにも関わらず、安いコスト競争に巻き込まれている為ではないかとする。
 米・中・欧の三極の中間地点で通貨と市場を維持しながら文化とテクノロジーの両輪で付加価値をあげていくアプローチが必要で、目指すは、欧州におけるスイスモデルとする。

そのキーワードは、「デジタル発酵」によるイノベーションである。

 「発酵」を創造性を生み出すためのひとつのモデルとして捉える。人間をネットワーク的な存在、すなわち人とのつながりや生活環境との相互関係に支えられた存在として捉える。

 多様性に開かれた人間関係、さらには自然や生物圏をも含んだ豊かなネットワークの中で、オープンマインドに自分ならでは、日本ならではの発想を「発酵」させてイノベーションを起こそうということであろう。

 著者は、多様性を重視する。「多様性を否定する多様性」の否定(ヘイトスピーチなど多様性を否定するものの多様性を否定)など印象的なワードが本書にも並ぶ。

4. SDGsに動的にアプローチする7つの対立軸

 さてSDGsについてに戻ろう。著者は以下の通りいう。

SDGsを社会あるいは歴史の中で体系づけ、独自の解釈を生み出していくのは、同時代を生きる私たちの仕事

 様々な仕事をする中で、SDGsを意識しなくても、自分の独自性を追求していく中で、社会や環境とのつながりが増え、改めて持続可能性について考える機会が増えていると感じる。

 その上で、SDGsを自分事として考える為には、固定された静的な目標であるSDGsに対しては、様々な対立軸の中間でバランスをとるような、動的なアプローチが重要であるとして以下の7つの軸を提唱する。

SDGsを自分ごととして考える為の7つの対立軸
➀デカルトかつベイトソン ー 原子論的かつ全体論的に
 デカルトを踏まえながらベイトソン的に捉える。
 例:貧困に陥った要因を一つ一つ分けて考えることも大切であるが、   
   生活環境や人間関係などの様々なつながりの中で一定の割合の人々         
   が貧困に追いやられると捉えることも重要
➁ソーシャルグッドかつディスラプター ー 硬直的理想の攪乱者であれ
  ソーシャルグッドによる理念を見失わずに、同時に価値観や状況を   
  かく乱する存在必要
③集団かつ個人 ー 公でありつつ私を忘れない
➃デジタルかつアナログ ー デジタルは完全な世界ではない
⑤短期かつ長期 ー 1年後と100年後を同時に考える
⑥理念と空気 ー 支配の構造を脱中心化する
⑦傍観者と主体者 ー 私たちはすべてをできはしない、しかし何が        できるか考えよう

 視座を俯瞰し、対立軸の中で自分を固定せず、弾力的に捉えていくこと、それは我々の社会が次の可能性を見出すために不可欠なことだとする。

 単純な正解はない、自分らしさを追求して自分の頭で考えよということであろう。自分の頭で考える為に本書で示された「地図帳」「補助輪」を上手く使っていきたい。

5. 3人との対談から

 この本には、3人の識者との対談が掲載されている。こちらも非常に面白い。いくつか面白かったトピックスを取り上げたい。

安田洋祐氏との対談「持続可能な経済発展は、そもそも可能か」
・グローバルに見ると「経済成長」と「格差の是正」はすでにかなり両立している。心配なのは、先進国における格差問題。新興国における貧困問題よりもサステナビリティを阻害する要因になる。
・資本主義社会において、本来は「消費」や「投資」のために存在しているお金が、他者との比較のための物差しに使われてしまっている。それが格差を広げる要因になっている。

宇留賀敬一氏との対談「エネルギーと地球温暖化について今世界で起こっていること」
・各国のエネルギー政策には本音と建前があることを見極める必要がある。
 日本人は、「2040年にすべてEVへ移行します」というと本当にやって
 しまう。ところが他の国は、まずは宣言して有利なポジションを作った
 うえで、実際にやれなかった場合には、やらないで済ませてしまう。
・個人レベルで足元でできることは、何事も電力会社任せにしないこと。
 例えば、再エネ100%の電力を供給している会社に変えることもできる。
・現在の電力業界は、高度成長期にエネルギーの安定的な供給体制に貢献
 したが、一方で、大手電力会社の固定化はイノベーションを生み出しに
 くい構図になっている。

池上彰氏との対談「なぜ世界の問題は解決できないか?」
・統計は、順位を見るだけではなく、どういう基準で算出された数字なの 
    かまで考えないと、実体から離れた結果が独り歩きする
・自然が豊かだからこそ私たちは生きていける。
・多様性の阻害によって、持続可能性が失われる。                 
 例:戦後の植林による杉・竹の爆発⇒森林の持続可能性が損なわれる

6. ここが日本だここで跳べ

 とりとめもなく長くなってしまったが、これで最後にしたい。

 私が、落合陽一語録で一番好きなのが、Newspicksの「【シン・ニホン】落合陽一×安宅和人「日本再生を考える」」で出てくる

「ここが日本だここで跳べ!!」

である。SDGsと向き合う上でもこの姿勢は重要である。

SDGsをひもとくと、一見自分には関係ないように見えても、実はできること、そしてできないことがあることに気づくでしょう。多くの人に自分には何ができるか主体的に捉えるという一歩を踏み出してほしい。

 また彼の以下のような問題に対する接し方は、非常に示唆に富んでいると感じる。

 傍観者であるプロジェクトと主体者であるプロジェクトを正しく判断する。主体的であるプロジェクトは責任を持って取り組み、傍観者であるプロジェクトは自分が主体的立場にないことを自覚し、問題について賛同する主体的を支援していく。

実際にはかかわりのない立場にいながら、SDGsについて理解を示したことで貢献したつもりになっていると、問題の本質を見失い、解決から遠ざかります。我々には手が届かない課題が存在すること、それについて考え続けること、自分の代わりに行動する誰かを応援すること、その中で何を行動するか常に考え続けることを忘れないでほしい。それが、SDGsという何もしなくては17の達成が難しい目標を見出した時代に生きる我々の最低限の倫理なのです。

 多様性とは、自分と同じように他者を尊重すること、他者のやっていることを邪魔しないこと(すなわちインクルーシブであること)。これは、先日ノーベル賞を受賞した真鍋博士に指摘されたごとく、日本社会の弱点なのかもしれない。

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