【読書録69】致知 2022年11月号 「運鈍根」感想
致知の感想としては、しばらく空いてしまった。今回は、2022年11月号。
総リード 運鈍根
今号の特集は、「運鈍根」。
恥ずかしながら、初めて聞いた言葉であった。
とのこと。
運は、好運と解したくあるが、致知発行人・藤尾秀昭氏は必ずしもそうではないという。
という。
そして、運に恵まれるか、恵まれないか、だれにも分からない。
その捉えどころのない運に、鈍と根で立ち向かえとこの言葉の意味を解釈する。
「鈍」とは、粘り強さ、誠実さ。目標に向かってわき目も振らずまっしぐらということ
「根」とは、根気・根性。何があろうとへこたれず続けるということ
運鈍根の人とは、不運を鈍と根で好運に塗り替えていく人という意味でとらえている。
そんな運鈍根の人の例として、森信三先生の事を挙げている。
記載された森信三先生の人生における逆境をみると、よく自暴自棄にならなかったと感じざるを得ない。このような経験と鈍・根の精神で渾身の力で望んだ授業から編み出された「修身教授録」。心に響かないわけがない。
森信三先生の金言を心に刻んで、人生を歩んで生きたい。
日の目を仰ぎたいから、耐えるのか?
よくわからなくなる。ただ、置かれた場所で全力で咲き誇るしかないのではないか?何のために咲くのか?自分なりの大義、目的があるはずだ。自分なりの羅針盤をもって人生を歩みたい。
この言葉を読んでそんなことを感じた。
今回は記事を一つだけ取り上げることにした。
安岡正篤『百朝集』に学ぶ人間学
東洋思想研究家の田口佳史氏が、この度、致知出版社から復刻した『百朝集』について語る。
本書の内容も大変興味深いが、それよりも、田口氏の人生の歩み、向き合い方に凄みを感じた。
新進の映画監督としてタイで撮影中に水牛2頭に襲われ瀕死の重傷を得て、生死を彷徨う中、『老子』と出会い、スピーチライターをしながら東洋思想の学びを深めていく。
32歳で東洋思想の勉強をはじめてから、50年近く続けている習慣があるという。
この継続力は、本当に見習いたい。
その朝の2時間の中で、最初に読む本として本書を挙げている。
私も朝活を継続したい。その際の最初の書は、精神を高める本、心を清める本からはじめる事だろう。
今、これを書いているのは、朝6時であり、致知のこの田口氏のパートを朝最初に読んだ。致知の一節を読むのも善い習慣であろう。
継続の力の重要性について、本書「58六中観」「59六然」の解説と合わせてこういう。
50年近くの積み重ねがあって初めて説得力をもつ言葉である。私もすでに47歳となるが、今からでも朝の習慣は取り入れたい。
今回のテーマである「運根鈍」については、「立命」の重要性と合わせて、ご自身の本書との出会いを踏まえてこう語る。
最後に、田口氏と松下幸之助との「一流の経営者の条件」の門答は、運鈍根とはなにかを考える上で外せないものとして紹介したい。
そして、田口氏は、この問答を踏まえてこう括る。
「幸運の神様は前髪しかない」というが、愚直に根気強く徳を積み重ねていくしか、掴み取れないものだろう。
根気よく、継続する。継続。朝の時間の活用でも50年の重みは大きい。今からでも積み重ねていきたい。
そして「運は、巡り合わせ」一時一時のことに腐らず、へこたれず、平常心で、自分らしさで立ち向かうことが重要だと改めて感じた2022年11月号であった。
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