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【読書録18】あなたはなぜ絶望的な状況の中、戦い抜けたのか?~梯久美子「散るぞ悲しき」硫黄島総指揮官・栗林忠道を読んで~

  昨日(2021年12月11日)、日米硫黄島戦没合同慰霊顕彰式が行われたというニュースを見る。

 私に硫黄島の戦いのことを書く資格などないとは思うが、今回は、深い感銘を受けた本書を取り上げたい。

文庫本の解説で作家の柳田邦男先生は、こう述べる。

いい本は、二度読むと、はじめて読んだ時より感動する場面や文章表現がぐんと増え、三度読むと感動がいちだんと深くなってくる。私は、そう思う。

解説「何と深い教訓を」柳田邦男

私も本書は、まさにそのような本であると思う。

硫黄島の戦いについて、著者はこう記す。

太平洋戦争においてアメリカが攻勢に転じた後、米軍の損害が日本軍の損害を上回った唯一の戦場である。最終的には、敗北する防御側が、攻撃側にここまで大きなダメージを与えたのは稀有なことであり、米海兵隊は史上最悪の苦戦を強いられた。
米軍の死傷者数2万8,686名に対し、日本軍側は、2万1,152名。戦死者だけ見れば米軍6,821名、日本軍2万129名と日本側が多いが、圧倒的な戦闘能力の差からすれば驚くべきことである。

 その硫黄島の戦いの日本側の総指揮官が、本書の主人公・栗林忠道である。著者は、その時世の句の一つが改ざんされ、新聞に掲載されたことを知り、栗林や硫黄島の戦いのことを調査していく過程で、その句に込められた意味を浮き彫りにしていく。

(原文) 国の為重きつとめを果し得で矢玉尽き果て散るぞ悲しき
(発表文)国の為重きつとめを果た得で矢玉尽き果て散るぞ口惜し


硫黄島の位置づけ

 硫黄島は、面積約22km2の狭さである。南西の端にある摺鉢山を除くと、起伏に乏しく平坦な地形であり、滑走路の建設に適していた。栗林着任の1944年6月時点で飛行場が2か所あり、さらに1か所建設中であった。小さな島に、飛行場が3つ。洋上浮かぶ「不沈空母」であった。

 さらに、その位置が、東京から1,250km、サイパンから1,400kmと両者の真ん中にあり、日本本土に攻め上ろうとする米軍にとって、最大の足掛かりであった。 米軍が硫黄島を手中にすることで、日本中のあらゆる都市に大規模な空襲を行うことができる。まさに戦略的な拠点である。
 さらに、硫黄島は、東京都の一部、日本の国土である点も、ここを失うことは日本の歴史上はじめて国土を侵略されるということも硫黄島の位置づけを考える上で重要な点である。 

指揮官としての栗林忠道

 栗林は、米国駐在経験が長く、米国との戦争の無謀さについて重々理解してたが、第百九師団長となると、その司令部を小笠原諸島の中心地で居住性も拡大に高い父島ではなく、水が乏しく工作も不可能な焦熱の島であり、最前線である硫黄島に置いた。「指揮官はつねに最前線に立つべし」という彼の信念に基づいたものである。

 そして硫黄島に着任すると、島の隅々まで見て回り、地形と自然条件を叩き込むことで当時の日本軍の伝統的な考え方を否定した作戦を立案する。その作戦を簡潔にまとめると以下の2点である。

➀水際作戦を捨て、主人値を海岸から離れた後方に下げる
➁その陣地を地下に作り、全将兵を地下に潜って戦わせる

 一日でも長く島を維持し、本土への攻撃を遅らせる為である。
そしてその栗林の作戦は、米軍が5日で落ちるという予測を大幅に覆し、36日間持ちこらえさせた。
 その栗林の判断について著者は、こう述べる。

栗林の判断は、目の前の現実を直視し、合理的に考えさえすれば当然行き着く結論だった。しかし先例をくつがえすには信念と自信、そして実行力が要る。

 著者は栗林のことを一言で、「観察するに細心で、実行するに大胆」と言う。

 同時にこの作戦は、今まで汗水たらして海岸近くに陣地を作っていた兵士たちの努力を水泡に帰すとともに、地熱の高い硫黄島で、水不足の中作業をする兵士たちに過酷な負担を負わせることになる。

 そのような環境下で、栗林は、全将兵の水や生活などの待遇面で階級による上下の差をつけることを固く禁じ、自身の水の量や食事も兵士たちと同じ条件とした。また兵士の士気を高めるために、上官が現場に出ることを徹底した。

 栗林自身も積極的に現場にでて毎日陣地を見回り、気さくに声をかける。後に捕虜になった日本兵の多くが、栗林の顔を直接見たことがあるということも米軍側を驚愕させる。通常、2万を超える兵士のほとんどが最高指揮官にあったことのある戦場など考えられないからである。

 最高指揮官とは、自分の判断ひとつで兵士たちを死に追いやるもののことでもある。それは人間としてあまりに重たい行為である。だから、そうした立場に身を置く高位の軍人は、何とかしてその重さと折り合いをつけようとする。

無残な死を兵士たちに強いざるを得なかった栗林は、だからこそ硫黄島での日々をつねに兵士たちとともにあろうとした。

 父島から指揮を執った方が物資豊富で安全という意見もある中、最前線である硫黄島に居続けた。毎日隅々まで歩き陣地構築を視察し、率先して節水に務め、三度の食事は兵士と同じものを食べ、兵士たちの苦しみの近くにあろることを自らに課したのは、彼の最高司令官としての「覚悟」であろう。

家庭人としての栗林忠道

 一方で、本書の最大の特徴は、家庭人としての栗林を家族への手紙やご遺族へ取材で浮き彫りにしていることである。
 末娘の「たこちゃん」への愛情あふれる手紙。特に「たこちゃん」の夢をみたという手紙が何通もでてくる。それは涙なしには読むことはできない。

たこちゃん、お父さんはこの間また、たこちゃんのゆめを見ましたよ。それはたこちゃんがとてもせいが高くなっていて、お父さんくらいありました。そして、お父さんのズボンをはいていましたが、頭はおかっぱでした。あまりせいが高いのでお父さんはびっくりしていたら、そこへ丁度お母さんが出て来ましたので、二人でいつもよくしてあげたように、おっぷり回してやろうとしましたが、とても重くなっていて、それはできませんでした。

 娘さんが大きくなるのをどんなにか見たかったであろう。家族を含む日本本土に住む日本人を守るために過酷な戦いに挑む。
 著者は、その中でも、”遺書”にあたる手紙の中で、家のお勝手の隙間風を気にしているのに驚き興味を惹かれる。
作戦面でも常識にとらわれない栗林であったが、この”遺書”も他の軍人たちのものと比べるとかなり異色である。

 妻への想いも手紙にあふれている。隙間風については、繰り返し心配するとともに、お風呂の焚き方、冬場のヒビや赤ギレの心配や日用品の心配など、家族の生活の細部について心配する。いつ米軍が上陸してくるかわからない状況下でこれらの手紙を書いているのである。

 陸軍という強固な官僚型組織の中で、自分の考えを持ち、異論であってもかまわず、唱えていくには何か大きな支えが必要であろう。それが彼にとっては「家族」であったのではないかと思う。そしてそれは、きっと彼だけではなく、多くの人にとって、覚悟をもって何かをなす際に必要な存在なのではないか。

栗林忠道の「生き方」

著者が、本書の完結編と位置付ける「硫黄島 栗林中将の最後」(文春新書)の「わたしの硫黄島ーあとがきに代えて」で、硫黄島を訪問した際に感じたこととして以下のように述べている。

 それまで私は、見捨てられた南の孤島で勝ち目のない戦いを指揮し、死んでいった栗林はさぞ無念であろうと思っていた。硫黄島とは私にとって、有能な軍人であり、妻子を愛する家庭人であった栗林が無残な戦いに斃れた悲劇の島だった。
 しかし実際に島に行き、地下壕に立って感じたのは、持てる能力のすべてを注ぎ、彼にしかできない戦いをした栗林という人の、いまだ消えないエネルギーのようなものであった。
(中略)
 司令部壕の暗闇に立って思ったのは、ここは栗林がまぎれもなく「生きて」いた場所だったということだった。
(中略)
栗林だけではない。この島は、ここで亡くなったすべての将兵が人生の最後の時間を生きた場所なのだと。その時まで私は、硫黄島戦を書くことは、死について書くことだと思っていた。
(中略)
 ここで栗林中将と2万の将兵がどのように生きたのかそれを書こう。

梯久美子「硫黄島 栗林中将の最期」(文春新書)

 絶望的な状況の中、軍人と与えられた任務に自らのすべてをかけて遂行する栗林。そして、単に任務を忠実に遂行するのみならず、自らの意見を大本営などの軍部の中枢にはっきりと述べる。限界的な状況の中、彼を支え続けたのは、家族への思いだったような気がする。
 甘っちょろい私にそうそうまねできるものではなく命がけで仕事などできないが、家族を自分の中心とし、家族への想いを軸にしつつ自分の信念や使命に従って生きていく生き方に惹かれる。

 そして、時世の句の「散るぞ悲しき」に込められたのは、そのような栗林の思いすべてを織り込んだものであった。
 硫黄島訪問時の上皇陛下、上皇后陛下の「悲しき」で終わる御製と恩歌を著者は、栗林への返歌のように思えるという。最後にそれをご紹介したい。

精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき
銀ネムの木木茂りゐるこの島に五十年眠るみ霊かなしき

梯久美子「硫黄島 栗林中将の最期」(文春新書)

 家族を思い、自らの使命に殉じた人たちのことを思うと、平和な世の中に生きていられる我々だからこそ、家族を思い、愛しみ、自らの使命を思い定め、生き抜いていきたいものである。
 米軍上陸が始まってからのことや、他の将校・兵士たちのことについてまったく触れることができなかった。そのことは、また別途書く機会があればと思う。


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