…1年前の自分、1ヶ月前の自分、昨日の自分、1時間前の自分、1分前の自分、1秒前の自分…
長々としたタイトル。
10秒前にこのタイトルを書いたがもうその時の自分はいない。
高校生ぐらいの時から「過去の自分は今の自分とは違う。」ということに気づいた。もちろん多重人格だとか、SF的な話ではなくただ、感覚的なものである。
例えば高校2年生の8月5日の自分が想像できるだろうか。そりゃ何をやっていたのか、どういう状況だったのかなどは、何となくわかる。おそらく部活で走り回っていただろうし、当時の彼女とちょっと気まずい雰囲気があっただろう。でも、その時のよりリアルな気持ち、例えば「あー今日の昼ごはん何だろうなー」だとか、「帰って課題やらないとな」などその時考えていたことはもうほんとに分からない。
もっと言えば今こうやって文章を書いているが最初にタイトルを書いている自分のリアルな気持ちはもう分からない。「長々としたタイトル」と書いた時のリアルな気持ちも分からない。
何が言いたいかというと、今この瞬間の気持ちなんてものはすぐに忘れてしまうものだから、もう、今この瞬間の自分はそれ以前の自分とは違う自分なのではないかということである。
自分という存在はずっと続いてきたものだから、変わらないけれど、今のリアル気持ちを10分後忘れて忘れてしまったとしたら……
そんなことを考えては、途中で考えるのがめんどくさくなってまあいいかと思うことが多い。
しかし最近ふと思った子ことがある。
考え方の変化や価値観の変化は誰にでもある。
特に新しい環境に行けば、新しい出会いがあり、新しい価値観に触れるわけだから当然である。そのことが悪いとは思わない。
でもさっきの哲学チックな考え方をすると下手すれば、変わる前の価値観や考え方はなくなってしまうのではないか、と思う。
僕は大学で教育を学んでいる。大学に入っていろんな授業やいろんな考え方に触れたことで入学前とは違う考え方、よく言えばより深く教育について考えられるようになった。
でもそれは入学前の自分とは違う自分になっているということである。
「成長しているからいいじゃないか」とも考えられるが(むしろ自分も含めて普通はそう考えると思う)、ほんとにそうなのか、と疑問を抱き始めた。
おそらく学校で働き始めればそこで新たな考え方や価値観に触れる。新たに学び成長するという意味では良いことであるが、逆に言えばもうその時には今の自分。つまり大学時代の自分はそこにいないわけである。
ここからは僕も正解が分からないが、どんどん新しい考え方、価値観を身に着けていくことが100%良いと言い切っていいのだろうか。
成長は大切である。それは当たり前。
でも成長するということはそれ以前に考えていたこと、リアルな気持ちはなくなることにつながるのでは?
そう考えると、どこか寂しさに似たものを感じる。
謙虚に吸収していくことを前提としながらも、これまでの自分も大切にしていきたい。