そのとき主審は何を見てそう判断したのか? #13
皆さんこんにちは。家本です。
今回は前回に続き、10月29日に行われたJ1リーグ 川崎 v 神戸戦の「なぜそこで終わるのか」「なぜ選手の手を払ったのか」の2つのシーンについてお話します。
【ケース3】 川崎 v 神戸戦 95分06秒のシーンについて
10月29日のJ1リーグ 川崎 v 神戸戦 95分06秒のシーンです。後半の追加時間が5分と示された94分44秒に神戸がCK(コーナーキック)を得ます。そして95分02秒にイニエスタ選手(神戸)が蹴ったボールをチョン選手(川崎)が弾き、橘田選手(川崎)がなんとかPA外へ蹴り出したボールを山口選手(神戸)がシュートを打とうとしたその瞬間に主審は試合終了の笛を吹きました。このとき、時間は95分06秒でした。このシーンに対して多くの方が「なんでこのタイミングで笛を吹くんだよ!」「もう少しやらせろよ!」と反応されたのではないでしょうか。まずはこのシーンについて解説します。
論点は何か?
1.競技規則上何か問題はあるのか
2.多くの人の納得感を得られたのか
2.フットボールの魅力を高めることができたのか
判定の難易度はどれくらいか?
難易度 ☆☆☆☆☆(5段階評価)
*判定ではなく、価値観や考え方の類のものなので評価はなし
なぜ主審は試合を終了したのか?
追加時間は5分、90分以降に時間を追加するような事象(負傷や交代など)は特になし、神戸がCKをはじめたとき(95分02秒)には目安となる追加時間は超過、という3つの事実にもとづき、主審は競技規則に則って試合を終了したのだと推測します。
家本はこのシーンをどう判断するのか?
僕の結論は、「部分最適な観点で言えば、競技規則を犯している訳ではないので"問題ない"という見方もできるが、全体最適の観点で言うと、その判断が多くの人の納得感や充実感、あるいはフットボールの魅力を高めたとは言い難いので、少なくとも山口選手のプレーまでは保証してあげたほうが良かった」というものです。
その根拠を、「競技規則」と「フットボール観、レフェリー観」という2つの観点からお話しようと思います。
まず、「競技規則」の観点でいえばとてもシンプルで、主審の決定は競技規則上何ら問題ない、ということです。追加時間に関しては、競技規則には次のように明記されています。
もう少し深掘ります。
まず、この試合の後半は、上であげたような「空費された時間」があったので主審は時間を5分追加しました。そして、ランニングタイムで90分を過ぎてからは特に時間を追加するような事象はありませんでした。ですので、後半の終了時間は、基本的にはランニングタイムで95分00秒となります。
そして、94分44秒(残り時間あと16秒)のときにCKとなったのですが、たとえばこれが"CKではなくPK"だったと仮定します。加えて、PKを再開する時には追加した時間は「超過した」とします。この場合、PKは行われるのですが、その結果が出た時点(反則があった場合を除く)で試合は終了となります。なぜなら、競技規則でそのように定められているからです。
簡単に言うと、時間を超えてPKを行う場合は、キッカーがキックしたボールが、
ということです。要するに「セカンドチャンスはない」ということです。
そして、追加時間は運用上、多少の幅(たとえば、追加時間が1分なら最小1分00秒、最大1分59秒)が認められているとはいえ、基本的には「追加した時間(1分なら1分00秒)が来たら試合を終える」よう、審判は指導されています。ですので、競技規則上は主審の決定は問題ないと言えます。
次に、「フットボール観、レフェリー観」の観点でいえば、これは先ほどと違って決められたルールではなく人の"価値観"なので、「何を大切にするのか」「フットボールの競技の精神をどう考えるか」によって違ってきますし、何が正解というものでもありません。
たとえば、あの状況でもう少し様子をみた結果、山口選手がものすごいミドルシュートを決めて土壇場で神戸が同点に追いついたとします。川崎側からすると、目安となる5分00秒は過ぎているにもかかわらず、主審が試合を終えなかったために得点が生まれたと憤慨するでしょう。逆に神戸がその状況の川崎の立場だったなら、同じく憤慨するでしょう。
そういう点でいえば、「状況よりも時間を大切にする」という主審の価値観は十分に理解できます。であれば、主審は自分の価値観を大切にするために、イニエスタ選手にはCKを蹴らせずに(イニエスタ選手がボールを蹴ったのは95分02秒)試合を終えるか、インプレーになった瞬間に試合を終える必要がありました。ですが実際には、主審は自分の価値観よりもリスクを取って状況を優先させました。リスクを取って状況を優先させたのであれば、時間的にみてもあのタイミングではなく"多くの方がある程度納得する状況やタイミングまで見守る"という判断の方がよかったと個人的には考えます。なぜなら、フットボールは"みんなのもの"であり、"面白さや感動をみんなで創り出すもの"だからです。
加えて、「審判は何のために存在しているのか」と言うと、フットボールを通じてみんなが笑顔になったり、幸せになるために試合を整え、導くことを委ねられています。時間の管理や競技規則の施行はそのための手段でしかありません。その存在意義を踏まえて今回の判断を検証すると、時間管理のこだわりは部分最適でしかなく、本来の目的である皆の喜びや感動の創造といった"全体最適の実現"を忘れてしまった、あるいは大切にできていない、と個人的には考えます。
要するに、原則はあるものの「試合の終わり方はひとつでもないし、杓子定規に決まるものでもない」といことです。そして「細部にこだわりすぎて、本来の目的や全体最適を忘れてはならない」ということです。
そして、厳しい言い方ですが「終わりよければ全てよし」という言葉の意味を審判をされる方は多くの方の感動と喜びのためにもっと真剣に考える必要があると、個人的には思います。
【ケース4】 川崎 v 神戸戦 試合終了後のシーンについて
同じく10月29日のJ1リーグ 川崎 v 神戸戦の試合終了後に起きたシーンです。「試合の終わり方」に不満のある神戸の選手たちが主審に異議を唱える中、佐々木選手(神戸)が主審に何か言いながら主審の背後から左肩に右手をかけます。それに対して主審は、佐々木選手に何か言葉を返しながら自分の左肩にかけられた佐々木選手の右手を右手でいなします。このシーンに対して多くの方が「主審のその態度はない!」「選手をリスペクトしろ!」と反応されたのではないでしょうか。まずはこのシーンについて解説します。
論点は何か?
1.主審は佐々木選手の手を感情的に払い除けたのか
2.主審の行為はリスペクトに欠ける行為なのか
判定の難易度はどれくらいか?
難易度 ★★★★(5段階評価)
なぜ主審はあのような対応をしたのか?
映像を見ると、試合終了後に神戸の酒井選手や山口選手が強い口調と態度で主審に何かを(試合の終わり方に対する抗議と推測)言っています。主審はそれをいなしながら、整列のためにフィールド中央へ歩いていきます。主審がフィールド中央へ到着したところで酒井選手と山口選手は主審のそばから離れていき、代わりにイニエスタ選手がやってきて、主審には何も言わずにチームメイトにこの試合の労をねぎらいはじめます。これはチームメイトに対する「もうやめよう」というメッセージだったと考えます。そういう状況の中、佐々木選手が主審の背後から上であげたような行為を行います。主審も思うことは色々とあったと思いますが、一連の出来事を大事にせず、サポーター・ファンへの挨拶を行おうと判断したのだと推測します。
家本はこのシーンをどう判断するのか?
僕の結論は、「主審の心境は十分理解できるものの、別の対応がよかった」というものです。
まず、この状況が生まれたのは、上であげた【ケース3】の事があったからですし、選手たちの気持ちも反応も痛いほどよくわかります。主審は「あのような終わらせ方」をすれば、ああいう状況になることを想定した上で試合終了の笛を吹いたのか、その上であの対応だったのか。そこは"フットボールの魅力向上と試合のコントロールを委ねられた責任者"として問われる必要があります。
もちろん、すべての事象で選手や監督、サポーターやファンの方に納得してもらうことなど不可能ですし、コミュニケーションは大切とはいえ、必ずしも対話する必要はありません。状況によっては、対話に時間をかけるよりも選手の不満を"うまく"かわしながら事を先にすすめることが重要なときも実際にはあります。
映像を見る限り、残念ながら主審は、この状況で佐々木選手が自分に触れてくることは想定していなかったと思います。この佐々木選手の"一連の行動"をどう捉えるかは人によって意見が分かれるところです。仮に"問題"とするならば、別の対応が必要でしょう。しかしながら、見方を変えると、こういうシーン(状況もですが)を生み出したのは選手だけの問題ではなく、審判側にも問題があると個人的には考えます。
なぜなら、近年、多くの審判が"良かれと思って"、あるいはコミュニケーションの目的を"履き違えて"、選手に安易にボディタッチ(スキンシップ)を取ることが多くなっています。それをされた、あるいは見た経験が増えれば増えるほど、選手たちは「レフェリーが気安く触れてくるなら自分たちもレフェリーに気軽に触れてもいいんだ、問題ないんだ」と考えはじめます。もちろん選手とレフェリーは"仲間"ですので、すべてのスキンシップを否定するつもりはありません。状況によっては、とても有効な手段です。しかし、公式戦は戦い(真剣勝負)の場であること、リスペクトは不可欠とはいえ"ゆるんだ関係"は誰も臨んでいないことを考えると、近年の選手に対する審判の度を超えた行為は個人的に懸念しています。
話を戻します。
いずれにせよ、佐々木選手があの状況でどういう意図をもって主審の肩に手をかけたのかはわかりませんし、主審に対して何を言ったのかもわかりません。ねぎらいの言葉だったかも知れませんし、"不満"だったかも知れません。そして主審も、佐々木選手にどのような言葉を返したのかわかりません。僕は読唇術を身につけていないので、この点はここでは言及しません。
SNSを見ていると、「主審は佐々木選手の手を強く払いのけた」というコメントを数多く見ます。ですが、映像をよく見ると、主審が佐々木選手の手をいなした事実は見受けられるものの、強く、あるいは攻撃的に払い除けてはいません。ただ、自分の肩に置かれた手を右手で"外して"いるだけです。とはいえ、"美しい行為"ではありませんし、お互いに「相手を重んじるとはどういうことなのか」を考える必要があるように思います。
もうひとつ付け加えるならば、こういう状況のときに審判は「不満を持っているであろうチームの選手を自分の背後に置かない」というのは鉄則です。そういう意味では、主審がこの鉄則を怠ったことはとても残念ですし、こういう状況になる前にもう少し周りを見渡して相応の対応をとっていれば、こういった事態は避けられたと個人的には考えます。
レフェリーは学校の先生や警察官、弁護士や裁判官のように「"ちゃんと"していて当たり前」と思われている存在です。良くて当たり前、ミスは許されない、何かあるとすぐに叩かれたり揚げ足を取られるような"多くの方からとても注目されている存在"だということを、レフェリーをされる方はしっかりと理解したうえで事に当たって欲しいと思います。
それではまた。
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