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自分のスキを仕事にして飯を食う^^
約4か月後、2回目の起業だ^^
体調を管理が難しい。起業家って結構大変な仕事です^^
準備とか、実験自体は2011年の11月3日に始まり、
KD1RRと言うゲームが、DLsiteで、10本売れ、一応、売れることが分かった^^
あれから14年。12年だと思っていたが、資料を調べて14年だとわかった。
生活保護で、メシのくいっぱぐれは無い。家事をこなし(役場の人曰く、家事をこなすことを仕事と見て、それにお金を払っているのだから。そう訪問の時に言っていました。21年前ですが。)
病院をたくさん変わりました。多分、5つ。薬の問題とか医師がへぼだったとか・・・
生活保護は、救命ボートだと、ぼくは思います。セーフティネットであり、最後の砦。
この保護された環境で、自分の才能を思い出し、心は14歳に。創作好きで、開発が好きな、根気あるスポーツマンの俺を思い出しました^^
2011年。うつが酷いときに、何とかしないと俺が無くなる恐怖を感じ、
フラフラの頭で、HSP3.1プログラミング入門を手に取り、読みました。
最初は理解できませんでした^^
生活保護は楽だが、結婚は無理だ。何とか自分の出来ることで、父が言っていた、月30万円を引き寄せることをしないと😢
やっと、去年からnoteの記事が売れ始め、まだ、少しですが、収益の扉が開きました^^
家事は裁縫以外はマスターしたので、仕事の気分転換にして、部屋をいい状態に保っています。
病気がもう死ぬまで治らない人は、ずっと、生活保護を受けることができます。でも、軽いうつで作業所に行ける人は、
仕事をする道に戻れとぼくは思います。ぼく自身も、まだ、障がいが残っていますが、本を理解できるようになったし、
以前、ITで起業していて、パソコンの先生は仕事を得るのが大変で、だったら、ゲームそのもの作ってネットで売ってみようと、2015年に決意しました^^
2015年の決意
毎日、K病院。精神科デイケア。俺は一体、何しにここへ来ているのだろう?目標も無く、ただ、卓球とUNOを過ごし、昼はただ飯が食える。
(生活保護なので、食費が公費から出る)
これじゃあ、俺は死ぬまで結婚できない。変な女が、迫って来るし、無視して、ゲームをするが、お前らは、したいのはHだけなのか?そんなバカ女はもうごめんだ。(21年前の彼女がHはうまいが、他は全部だめで仕事体験が0と言う、社長令嬢だった)
人生の中で、ごく普通の女って、ちゃんと相手を見つけて、結婚している。障がい者の、お嬢さんは、必死こいて、相手を探している。
その前に、病気を何とかしろよ。追いかけるのは止めて欲しいと言いたい。
2015年の決意は、仕事と生活とリハビリ環境の変更を変えることだ。
まず、病院を変えた。その時に受けていたカウンセリングで、ぶった切られ、(言葉のナイフと言うものがあると知った。怒りでするカウンセリングってなんなんだ?)
自分の判断で、自分のアパートの近所にどういうワケか、心療内科兼精神科のMメンタルクリニックが存在していて、(その後、2024年に院長が変わり、Nメンタルクリニックに名前が変わった)
運としか言いようが無いなと、ドアをノックし、自分が紹介状なしで来たことを言うと、「こまるなあ、無いと本当はいけないんだよ。まあいいでしょう」と精神科ソーシャルワーカーのおっさんが言った。
役場でも怒られ、それ以降、紹介状をきちんと取ることにしている^^
作家&ゲームクリエイター
どっちも、ぼくのスキで得意なことだ。才能と言ってくれる人もいる。自分だけそう信じても、ただのおったかぴょんだが、他人がそう言うなら、才能だと肯定する^^
ゲームで飯を食いたいと考えたのは14歳であり、40年も前である^^
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その間、高校時代に年賀状配達のバイトをしたり(2週間で約5万円の大変なバイトだった)
高3の時は、弟と、うどん屋さんのバイトをしたり、社会経験を積み始めた。ゲームだけではわからない一般社会の常識をやさしく、先輩に教わった。郵便では、1時間、さぼれと先輩に提案され(びっくり)、
公務員にならないかと言われ、年賀状配りで、半分の資格が取れていて、後は簡単なペーパーテストで受かれば、郵便局へ入れるとのことだった^^
20歳の時に、父が、2回目の起業をし、家の修理の仕事に自動車修理工から鞍替えした。ぼくは、月5万円で、使われ、泣きたい思いをしながら、
丸ノコを持った。25歳で、家一軒の、アルミサイディングと言う建材を家に被せると言う仕事をマスターし、現場二つになり、そのうち一個に、下ろされ、怖くなった。泣きながら、仕事の準備をし、家の裏から仕事して、
何とかできることが分かると自信を持てて、表の仕事をして、丁寧な仕事に、お客様に感謝された。どうやら、何か作る才能が、この仕事でも発揮できたのだよ^^
どうしたらゲームクリエイターになれる?
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一般的には専門学校に行って、高いお金を払って(確か、70万円くらいだったな)難しい問題を毎週こなさないといけないと、その学校へ行っている、知り合いに聞いた。家に帰っても、その難しい問題を解いて、
ゲームを完成させないといけない。スキでやる人は楽しいが、何となく進路をゲームクリエイターにした人は地獄だろう。
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